フウガVSヴァイオラ親衛隊①
時間は二十分ほど前に遡る――
ヴァイオラは天幕から颯爽と飛び出してきたアテアに目を丸くした。満身創痍で昏睡していたはずなのに、再びハルウスの鎧を装着した彼女は、まるで今から初陣を飾るかのように溌溂としていた。
「アテア!」
思わず抱きつくと、アテアは困ったように苦笑した。
「ね、姉様、苦しいよ……」
「よかった! あのままもう起きないのかと思ったぞ……! 心配かけさせるな……」
「ごめんね。ボク、負けちゃった……」
「いいんだ。生きていてくれただけで十分だ……」
「ありがと、姉様。でも、そういうわけにもいかないよ。なんとなくみんなの話す声が聞こえてたんだ。状況は理解してるつもり。まだ戦いは終わってないんでしょ? だったら行かなくちゃ」
ヴァイオラは一瞬躊躇ったあと、ゆっくりとアテアの体を離した。〝壁〟の下ではハルスが勇者を使役して魔王軍を食い止めてくれている。アテアが復活するまでの時間稼ぎでもあるので、アテアの再戦をヴァイオラのワガママで引き留めることはできない。
「今度こそ勝つよ。もう油断しない」
「ああ、アテアならやれる。アンバルハルを救ってきてくれ」
「うん! あ、ねえ、それで占星術師君はどこかな? ボクを治してくれたのって占星術師君だよね? 一応、お礼くらいは言っておこうかなって」
「アニなら……。ん? そういえば、アニはどこ行った? アテアよりもほんの少し前に出てきたはずなんだが」
「ボクの傷を治したらさっさとどっかに行っちゃったってこと? はあ、相変わらず素っ気ないんだから。ボクが目を覚ますのを待ってくれててもいいのにさー」
「照れ臭かったんだろう。あいつも柄にもなく落ち込んでいたからな」
「え!? ボクがやられちゃったから? ふ、ふうん。そうなんだ。へえ」
戦火の音がここまで響いてきた。魔王軍が膝元にまで迫っているのだ。
敵はアテアが復活したことを知らない。ハルスの勇者軍団を最後の悪あがきと考えているならきっと大いに驚き絶望することだろう。
「じゃあ、行ってくるね!」
「ああ、頼んだぞ!」
アテアが〝壁〟から飛び降りた直後、けたたましい剣戟の音が轟いた。下について早速交戦がはじまったようだ。
「それでは陛下、私も後に続きます。王女の支援はお任せください」
リンキン・ナウトが〝壁〟際に立って言った。
「うむ。そなたも無理をするな、リンキン・ナウト隊長」
「もはや隊長ではありませんが、承知いたしました。では――」
ところが、リンキン・ナウトがあと一歩を踏み出すことはなかった。
同じくその気配に気付いたジャンゴが目配せだけでリンキン・ナウトに合図を送る。二人は王都アンハルがある西側に向かって駆け出した。
〝壁〟の淵に立ち、うっすらと見えるアンハル城壁の影を望む。
何かがこちらに向かって走ってくる。それも尋常でないスピードで。
間もなく〝壁〟に到達する。
「ジャンゴ殿、あれは――」
「うむ。嫌な予感がするのう。魔族でないのにこの威圧感。ワシはこれによく似た気配を知っておる」
「もしや、英雄ハルウスか?」
「ほ?」
「ケイヨス・ガンベルム殿によりますと、ハルウスはエトノフウガ族だったと」
同族の気配ならば空気感や足運び程度の所作からでも正確に感じ取れる。そして、王宮がある方角から向かってきているとなれば。
「ふむ。辻褄は合うか。アニ殿はケイヨス・ガンベルム殿の野望を阻止しきれなかったというわけじゃな。……いや、一度は阻止したが、彼の執念が土壇場で実を結んだと見るべきか」
〝壁〟から降りると、どちらからともなく剣を抜いた。アレがどんな目的でこちらに向かっているのか皆目見当も付かないが、波乱を呼ぶことだけは間違いない。仮に王国軍の味方であったとしても、見極めが済むまで足止めする必要があった。
30000メトルの距離を駆け抜けてきたであろうその女は、ジャンゴたちを認めて一旦立ち止まると、一切呼吸を乱すことなく傲岸に大股を開いて歩き出した。
女の声が鈴の音のように響いた。
「その面付きを見るに、わしの正体に気づいておるようじゃな? 爺のほうはエトノフウガ族か」
「左様で。貴女様は英雄ハルウス様とお見受けします。ですが、存じ上げておりますのは歪められた記録だけですじゃ。貴女様の威名を知らぬご無礼をお許しくだされ」
「よい。許す」
ジャンゴは下手に出て敬意を表した。女も当然とばかりに受け入れる。エトノフウガ族は完全年功序列の縦社会。見た目には年上のジャンゴでも、百年前の先祖となれば現族長よりも敬うべき存在だ。
「畏れながら貴女様の真名をお伺いしても構いませんかの?」
「よかろう。同族のよしみじゃ。傾聴せい。わしは鳳家が七代目当主、封牙じゃ! ぬしも名乗るがいい」
「雀家十二代目当主、劫結ですじゃ。今は孫が十四代目を継いでおります」
「雀家か。剣士の一族じゃな。老体であっても隠し切れぬその剣圧。あと三十年は早く会いたかったぞ」
「貴女様も鳳家ご当主さまであられるとは。しかも、女人でありながら。さぞ卓越した伎倆をお持ちなのでしょうな」
フウガの背後にリンキン・ナウトが回り込み、ジャンゴも油断ならない足運びで直線上にフウガを挟み込む。握った柄を手遊びのように二、三回くるりと回した。
ジャンゴの手元を眺めて、フウガはにんまりと笑った。
「その刀は口ほどにわしを敬っておらぬようじゃがな。殺気がだだ洩れじゃぞ?」
「それはお互い様でしょう」
外套の下に隠している刃物の存在にはとっくに気づいている。もちろんフウガに隠す意図はないにしても、得物を手元で弄るのは手足の一部として馴染ませる訓練で一族の誰もが共有している手癖のようなものだった。
外套のわずかな揺れで得物の形状を捕捉する。おそらく剣。刀身の目測からして護衛騎士団の儀礼剣。ケイヨス・ガンベルムから奪ったものだろうか。元の持ち主が仮にケイヨス・ガンベルムであるなら厄介だ。使い込まれた武器はその頻度に比例して持ち味を増す。多少劣化していたとしても使い手が達人であれば大したハンデにもならない。
(しかも相手は鳳家の者。優れた体術と特殊な〝眼〟を持つ一家と聞く。門外不出の業。噂では他者の業を盗むという。経験値がそのまま強さに直結するなら、前回の人魔大戦の分がそもそも土台にある。わしが鍛錬に費やした六十余年でもなお及ばぬじゃろうて)
戦っても勝率は低い。それに、殺気はあってもフウガの目的はまだわかっていないのだ。こちらの用心に対して反応しているだけならば戦闘を回避する道があるかもしれない。
(さて、どう話したものか)
「考え事か? 隙だらけじゃ」
「――っ!?」
音もなく間合いを詰められた。どうにか不意打ちを刀身で受け止め切れたのは長年の経験則と反射神経によるもので、もしフウガが一言も発していなければ確実に斬られていたと思う。
フウガは長剣を逆手に持ったまま連続して斬りつけてきた。およそ剣士らしからぬ構えであり、ジャンゴからすればよくそれで力を乗せた斬撃を加えられるものだと感心するほどだ。
「ほれ! 戦いに集中せんか! ほれほれ!」
「手荒い挨拶ですな、ご先祖様! 何故剣を執られますか!?」
「これは余興じゃ! 肩慣らしじゃ! 付き合うてもらうぞ!」
不意打ちでもなければジャンゴの腕前ならフウガの猛追にも余裕をもって合わせることができる。今なお合点がいかないのはやはり最初の不意打ちである。どうやって音もなく接近できたのか。魔法を使った気配はなかったし、そもそもエトノフウガ族は代々魔法には縁遠い種族だ。体術を極めたことで魔法を必要としなくなったという側面もある。
あれほどの瞬足は人間技ではない。もはや魔法の域にある。屍鬼として復活したことで魔法的素養が身に着いたとしか考えられない。
リンキン・ナウトがフウガの背中に斬りかかった。後ろに目が付いているのか振り向きもせずに回避したフウガは呵々大笑した。
「よいぞ! 二人掛かりならより楽しめそうじゃ!」
「舐めるな!」
激昂するリンキン・ナウト。剣を肩当てに置き、柄頭を水平に構えて突進した。その体勢から予測しうる攻撃は大上段からの袈裟斬り。どんなに速く斬り込んだとしても軌道が丸わかりならばどうとでも対処できる。フウガはおろかジャンゴですらその攻撃の意図が掴めなかった。
すなわち、それこそが陽動。リンキン・ナウトは生粋の剣士にあらず。型も流派もない言わば喧嘩殺法。荒くれ者のバーライオンがリンキン・ナウトを意識していたのはまさにこの〝勝つためなら何でもやる〟無頼の姿勢であった。
フウガの間合いに入る半歩手前――その一瞬で両手持ちから片手を放した。片手での打ち込み。体を半分に開いて肩が伸びた分だけ半歩分の距離を省略したのだ。その曲芸じみた荒業では力が乗らないものの虚を衝くには十分すぎるインパクトがあった。加重を補うのは振り抜きの速度。高速で斬りつける。
「おおっ! ぬしもなかなかやるのう! ゴウケツには及ばぬがよい太刀筋じゃ!」
だが、フウガはそれさえ数ミリの距離で見切ってかわした。
「ほざけ!」
「ぬううん!」
ジャンゴとリンキン・ナウトの剣が前後から襲い掛かる――が、またしてもフウガは音もなく二人の間から抜け出てあらぬ方向に瞬間移動していた。
そのとき、ジャンゴは頬を撫でる微風を遅れて感じ取った。風の向かう方向――風下にフウガは移動していた。
(もしや風の軌道か!? アニ殿が得意とする〝風脚〟――!)
「おほ? ゴウケツのその顔はどうやら気づいたようじゃな? よい眼をしておる。実はな、王宮の地下でわしの復活をかけて戦った若造どもがこれに似た技を使っておったんじゃ。〝風を踏んで走る〟――そんなことができるのかと驚いたものじゃが、まあ、やれんこともない。コツはまだ掴めておらぬが」
簡単に言ってくれる。その技はそもそも風属性魔法の応用なのだ。自然界の風に乗る想定の技ではない。というより、そんなことを魔法なくして可能にしていること自体が驚きだった。何もかも規格外すぎる。
「風の軌道までは変えられんから行きたい方に行けないのが難点でな。あやつらみたいに風魔法が使えたらもっと効率がよいのじゃが。ままならんのう」
「……それを聞いて少し安心しましたわい」
にわかに空気が弛緩したタイミングで再度フウガを問い質した。
「何故、我らに剣を向けるのですか?」
「言ったじゃろ。肩慣らしじゃ。復活したばかりでな、思うように体が動かぬ。本調子に戻るまで相手をしてもらうぞ」
「では、我らがいると知っていてここに来たということですかな? それとも、狙いはやはり魔王?」
「魔王じゃと? ほう。ここに魔王がおるのか。今はとんと興味はないが、目的を達成した暁には挨拶くらいしてもよいかもしれんな。知らぬ仲でもないしの」
こぼれた笑みに他意は見当たらなかった。魔王の存在は本当に意外なことであったらしく、その名を聞いてもまるで旧友に出会ったかのような反応だけで済ました。リンキン・ナウトが堪らず口を挟んだ。
「魔王軍と戦っていることも知らなかったのか。ならば、貴様の目的とは一体何だ?」
「よくぞ訊いてくれた! わしの目的はバルサ王家の人間を根絶やしにすることよ!」
「何……!?」
「そう驚くことでもなかろう。わしの遺体がなぜ王宮の地下なんぞに隠されていたのか、ちょっと考えればわかるじゃろ。わしはバルサ王家と主従の誓いを交わしておってな、奴らは魔王を討伐するまで散々わしを扱き使ったくせに、いざ世界が救われると今度はわしの存在を恐れるようになった。魔族がいなくなった世界では勇者という兵器はただ邪魔なだけ。むしろ、新たな戦の火種になりかねん、とな。
……まあ、それも致し方なしと諦めもついたんじゃが、まさか暗殺されるとは思わなんだ」
「……信じられませんな」
王家の決定が、ではない。その手の不義は人の世では日常茶飯事だ。そうではなく、当時、フウガを暗殺できるほどの人間がいたとは思えない。
「諦めもついたと言うたじゃろ。無抵抗に殺されてやったわ。その後のことはおぼろげにしかわからぬが、わしの名は消され武勇だけを利用されたようじゃ。わしの主だったアンバルハル王は祟られるのを恐れたのか、わざわざ王宮の地下なんぞにわしの墓を作りおった。ったく、後ろめたいと思うなら初めからするなっちゅーんじゃ」
フウガは『英雄ハルウス』と名を変えられ、国威発揚のためにアンバルハルの人間に偽装された。エトノフウガ族の武人に名を揚げたいという野望を持つ者は少ないが、歴史の表舞台からも抹消されたとなるとやはり何かしら抱えてしまうものらしい。
「どうやらわしは無念を抱えておったらしい。怨念と言ってもよいな。復活した今のわしを突き動かすのは復讐心だけじゃ」
むしろ、それこそが復活の原動力だったのかもしれない。感情ではなく本能が命ずるままに自らの復讐を遂げようとしている。説得は無意味だろう。
「この付近にバルサ王家の人間の気配を感じたのでやって来た。便利な能力じゃ。つまり、これこそ至上命令。――王家の血を引く者は片っ端から殺す。邪魔立てするならそいつも殺す。後のことは知らぬ。まずはそれが目的じゃ。わかったか?」
「ええ、わかったわ。貴女がヴァイオラの敵だってことだけは」
答えたのは凛々しくも可憐な少女の声。
リリナと数人の魔導兵がローブを翻してやって来た。
ヴァイオラ親衛隊、推参――
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