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幹部シナリオ⑩『魔天の御子(黒騎士アディユス)』その5


 剣士が〝神の塔〟に侵入したのはこれが二度目だった。


 前回は力及ばず目的地の手前で命からがら逃げ延びた。


 だが、今回は違う。あれから力を付けた。態勢も万全だ。勇者が何人立ち塞がろうと皆殺しにしてみせる――と、気持ちの上では強がってみせるが、たった四人を相手にしただけでかなりの重傷を負ってしまった。


 半身はもう使い物にならない。満足に動くのは右腕のみ。壁に手を突いてなんとか前進しているが、いま新手に襲い掛かられたら撃退できる自信がない。それどころか今回ばかりは逃げることも難しいかもしれない。せめて――せめて……、目的の部屋まで辿り着いてみせる。


 二十年……。魔族にとっては瞬きほどの月日だが、人間にはとても長く重い時間だ。


 助け出せたとしても許してもらえるとは思っていない。


 恨んでくれていい。その手で殺されたとしても本望だ。


 何にせよ――彼女に会いたい。剣士の思いはそれだけだった。


 不気味なほど静まり返った塔の中。剣士の荒い呼吸と靴音が反響するだけで、それ以外の気配は皆無だった。警備が手薄……どころの話ではない。各階層はとてつもなく広いのに、何十階層も積み上がっているのに、塔には誰もいなかった。


 いや、彼女以外は。罠かもしれないが、進む以外に選択肢はない。無人であることを好都合と考えて剣士はまっすぐ目的地を目指して階層を上っていく。


 やがて魔力探知で突き止めた部屋に到着した。


 部屋の中に生命反応は一つ。さらに剣士の周囲百メートル圏内の気配を探るが、依然として自分とその一つ以外に誰もいないことを確認する。


「……行こう」


 両扉を押し開ける。廊下の光が差し込み室内を照らし上げた。


 部屋の中央には円卓の台が鎮座し、その上にはボロを纏った女が座っていた。台座から伸びた鎖が彼女の両手両脚の拘束具に繋がっている。動ける範囲は台座の上だけ。下に降りることは許されず、おそらく二十年の歳月をこの上だけで過ごしてきた。


 あらゆる感情が込み上げる。ここが敵地でなければ泣き叫んでいたところだ。これが人間の、それも天使だと自称する種族のやることか。彼女は同族で、神に選ばれた勇者。そんな人に対してもこの仕打ち。狂っているとしか言いようがない。


 彼女は俯いたままこちらを見ようともしない。


「すぐ助ける……!」


 重たい長剣を投げ出して進む。駆け出したい衝動を動けない体が抑えつける。ほんの十数メートルが千里よりも長く感じる。それでも時間を掛ければいずれ必ず到達する。


 そして、その時がやってきた。


「ユリシア……」


 台座に手を突き、女に手を差し伸べた。


 その瞬間――ずぶり、と背中に刃物が突き込んでくる感触があった。不思議なほど痛みはなく、しかし確実に刃先は心臓に達していた。


 女を前にして我を忘れ、背後に忍び寄った刺客の気配にも気づかないとは。


(いや……警戒を怠っていなかった。確かにこの部屋には私たち以外誰もいなかった……はず……だ)


 剣士は台座に背中を預けるようにして振り返り、そこにいた人物を確認して唇を震わせた。


「そん……な……。なぜ君が……?」


 もう一度台座の上を振り返る。


 間違いない。


(だとしたら……まさか……そういうことなのか……?)


「君が神?」


 刺客が腕を水平に振るうと、台座の上に、ごろり、と首が一つ転がった。


◇◇◇


 塔内部は静謐にして清浄。神の住処に相応しき聖域然としている。卑賎なる者は呼吸さえ躊躇し、聖職者であろうとも足が竦んでしまうほど空気が澄んでいた。ここは人間が立ち入ってはならない場所なのだ。


 一切の穢れと無縁であるはずの神の塔。


 それが今、前代未聞の事態に見舞われていた。


 夥しい流血と生臭さ。首が切り離された死体が一つ。


 狂ったように高笑う男と、物言わず悲壮に俯く女。


 その一室にアディユスが足を踏み入れた瞬間、男――ヒルダム大佐は逆手に持っていた黒剣を、足許に跪く女の背中に突き下ろした。胸を貫通し、抱いていた男の首まで丸ごと貫くと、ヒルダム大佐はその感触が可笑しかったのかさらに哄笑した。


「ヒャハハハハハハ! ――は? アディユスか? クハハハハ! こいつぁいい! なんというタイミング! すべてが神懸っているじゃねえか! やはり神はこのときを待っていたのだ! ようやく俺様はこの地獄の苦しみから解放されるのだあ!」


 ヒルダム大佐は台座から飛び降り黒剣を地面に投げ捨てると、入り口に向かって歩きだした。


 反対にアディユスはふらふらと台座に吸い寄せられていく。


「ま、まさか、この女の人は……」


 すれ違いざま、ヒルダム大佐は吐き捨てるように言った。


「おまえの母親だ。天使の勇者ユリシア。かつて俺様の部下だった女だ」


 粗末な布を纏い、髪は荒れ放題に伸びている。手足の拘束具からこの部屋に監禁されていたのは間違いなさそうだが、同時に長年に亘って家畜以下の扱いを受けていたことがわかる。


 だが、その女の顔は美しかった。痩せこけていても貴賓さが損なわれておらず、アディユスの面影をそこに見つけた。


「この男の首は何だ?」


 死してなお大事そうに抱えている。もしや、こいつは……


「何だ、だあ? 敬語はどうしたあ!? 純血の天使でもねえテメエはヒーマ以下の人種なんだよ! 身の程を知れ、クソ野郎が!」


「何だと訊いている……」


 感情を殺して再度問いかけた。アディユスの気迫など屁とも思わないが、ヒルダム大佐にも多少思うことがあり、面倒臭そうにではあるがその場で立ち止まって答えた。


「ちっ。知るか。俺様がここに来たときからずっと胸に抱いてたんだよ。へっ。大方、精神病んじまったユリシアに与えられた趣味の悪いオモチャだろうよ。俺様にも気づきやがらなかった。とっくの昔に壊れちまったんならそのときさっさと俺様を解放しろってんだ、くそったれめ!」


「ではなぜおまえは母上を殺したのだ?」


「殺したんですか、だろうが! 敬語を使え、敬語を!」


「いいから答えろ!」


「テメエ……」


 思えば、アディユスがヒルダム大佐に対してこうまで反発心を露わにしたのは初めてのことだった。すぐに立ち去るつもりでいたヒルダム大佐だったが気変わりした。


「クハ! クハハハハハ! まあいい。俺様はいま非常に機嫌がいいんだ! 忌々しい呪いから解放されたからなあ! 特別に教えてやる! 俺様とユリシアのクソみてえな絆をなあ!」


「絆だと?」


「ああそうだ! 恋人よりも! 家族よりも! 深い深い絆で繋がっているんだよ、俺様たちゃよお! 反吐が出そうか!? ああ、俺様もだ! この絆は愛なんかじゃねえ! 憎しみと苦しみによるもんだ! 俺様たちゃなあ! 命を分け合っていたんだぜ、ずっとなあ!」


 そう言うと、ヒルダム大佐は左手薬指を掲げた。そこに光るのは凝った意匠の指輪だった。母ユリシアの左手薬指にも同じものが嵌められていた。


「最低最悪の結婚指輪だ。――〝聖約の指輪〟ってぇ知ってるか? 一度嵌めたら二度と外せないマジックアイテムでな。対になった指輪で装備した二人に互いの生命力を分け合うっつー最悪の呪いが付与される。その女が死ねば俺様の生命力が吸われ、女は蘇る。逆も然りだ。だが、俺様が死ぬような目に遭うわけねえからな。いつも俺様ばかりがそいつの尻拭いさせられてきたんだ! ふざけんじゃねえ! くそったれぇ! おかげで俺様は四六時中死ぬほどの痛みに襲われるようになったんだ! その女が毎日のように死ぬからなあ!」


 いつか天使学校の先輩に聞かされたヒルダム大佐の話を思い出す。


 ――で、そのことが祟ったのか原因不明の病にまで罹っちまって。


 それが原因で神兵として戦えなくなり、神官でもいられなくなった――か。なるほど。母上とアディユスを逆恨みするには十分すぎる理由である。


 だが、


「どうして大佐と母上がそのような指輪をしているのだ? 知らずに嵌めたのだとしたら、今度は嵌めた理由に虫唾が走る」


「気色わりぃこと言うんじゃねえ! 俺様は部隊長の頃からユリシアが大嫌いだったんだ! 能面みてえに無表情でよお。敵も味方もお構いなく作業をこなすみたいに殺して回る兵器のような女だったんだぜ! そいつが勇者になった!」


「勇者? ……勇者だと!? 母上は勇者だったというのか!?」


「知らなかったのか? とんでもねえ強さだったぞ、ユリシアはよお! 本物のバケモノだった!」


 神兵だったというだけでも驚きなのに、まさか勇者にも選ばれていたとは。


 アディユスの力は何も魔族だけから受け継がれたものではなかったらしい。


「そして、あろうことか魔族との子を孕みやがった! 勇者と魔族の子供だ! どれほどの脅威かわかるか!? テメエだよ、テメエ! アディユス! テメエは神にとっても人類にとっても未知の生物なんだよ! どんな力を秘めてるかわかったもんじゃねえ!」


「? その割に私は子供の頃から放任されていたと思うが」


「そりゃ神の意向だ。自然に任せて生かしておいて、悪魔に育てば問答無用で討伐する予定だったんだ。なのに、テメエは天使として真っ当に育ちやがった。天使学校でも飛び抜けて優秀だったよなあ。神は戦力になるとお考えになったわけだ。けっ、テメエみてえな稀有な存在はなあ、実験のために生かすのが常套手段なんだよ。途中でくたばるならそれもアリだったから俺様の手で殺してやりたかったが……へっ、それだけが指導員ツインレイ人生の中で唯一の心残りだ。わかったか? テメエは単なるモルモットでしかなかったんだよ!」


「……そうか」


 どんな苦難も神がお与えになった試練である、とは己を奮い立たせるための方便だったのに、まさか本当に神の差し金だったとは。


 唯一アディユスを繋ぎとめていた信仰にもたった今裏切られた。


「つまりだ。テメエがモルモットなら、テメエを産んだユリシアもまた貴重な素体だったってぇわけだ。魔族とまぐわった勇者なんざ後にも先にもユリシアだけだろうからな。ユリシアが特別だったのか。魔族を引き付ける特殊スキルでもあったのか。どんな魔族の子でも孕むのか……とかな? なあおい、夢が膨らむだろう?」


「貴様ら、まさか……」


「俺様じゃねえ。神と神官だ。ユリシアを使って新しい人類ができないかと試行錯誤した。その過程でユリシアに死なれねえように命のつがいを作った。それが俺様ってわけだ。やれ責任だの適任だのと言ってな。神の意志に逆らえるわけねえしよ、まさか死ぬようなこともあるめえと思って受け入れたが――あれから二十年、命を削られるだけの毎日だったぜえ……!」


 死なせないための処置だったのに、死んでも復活するとなれば用途も増える。しかも、相手は頑丈な勇者ときた。確かにこれ以上ないモルモットだ。


 どれだけ体を切り刻んでも、どんな劇薬を使用しても。


 殺して、犯して、八つ裂きにして――それでも元通り蘇生する最強の実験体。


 殺風景な監禁部屋。鎖に繋がれたユリシア。ボロを纏い、一切の手入れを放棄されて伸び放題に伸びた髪。爪が剥がされているのは武器にされる恐れがあるからだろう。こんなところで二十年間も毎日のように命を奪われるような実験が繰り返されてきただなんて。


 想像を絶する。アディユスの惨めな人生のほうが何倍もマシに思えるほどに。


「そうか……」


 母上に掛ける言葉が見つからない。


「それはさぞかし研究も捗ったことだろう。多少なりとも神のお役に立てたのなら母上も本望に違いない。

 ところで、死ねないはずの母上がなぜ死んでいるのだ?」



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