SIDE―妹② お兄ちゃんが死んだ。……それはさておきゲームしよう。
お兄ちゃんが死んだ。
自殺だったらしい。
らしい、というのは直接死因を聞かされていないからだ。
深夜、両親が激しく口論していて、そこから嫌でも聞こえてきた内容から把握した。
何でもお兄ちゃんは近所の廃工場の屋上から飛び降りて死んだというのだ。
遺書が無いので自殺だと確定はできないが、両親は自殺の可能性を否定しきれないのか互いの教育観を詰り合っていた。
「おまえが厳しくしすぎたからこんなことになったんだ!」
「あなたがもう少し構ってあげていたらこんなことにならなかったのよ!」
……どっちでもいいよ。
私という引きこもりを生み出した時点でふたりとも親失格だと思うし。
責任の所在が判明したところでお兄ちゃんが蘇るわけでもないんだしさ。
はあ。
拍子抜け。
正直、お兄ちゃんが死んでしまって悲しい。
肉親だしね。そりゃ悲しいよ。
悲しいけれど、……泣きたくなるほどショックかと言われると別にそうでもない。大嫌いだったし。
むしろ清々した。
そして、清々したら、今度はなんというか、心にぽっかり穴が空いてしまったような感じになった。
これはあれだ。よく漫画やアニメなんかに出てくる「主人公の不在にやる気をなくしてしまうライバル」の構図と一緒なんだ。
普段は何かと喧嘩腰のライバルが、戦場とか大会とかで主人公がいないと知った瞬間大人しくなってしまうというあの変則的なツンデレ演出。なかなか妄想が捗るシチュエーションで私も大好物なのだが。
……そうか。私はいま、そのライバルの心境なんだ。
張り合いがないっていうのかな。ちょっとだけつまらないな。
いつもいつも「マジ死んでほしい」って思っていたのに、もうこれからはそうやって憎しみに燃えることもなくなっちゃうんだ。
そりゃ物足りなくもなるよね。
お兄ちゃんに取られたポータブルゲーム機はいま私の手許にある。
自殺現場の屋上に、高校指定の鞄の上に置かれてあったらしい。
鞄から出してあったということは飛び降りる直前までこれで遊んでいたのかもしれない。
今から自殺しようってときに一体どんな気持ちでゲームしていたのかな、お兄ちゃんは。
私が引きこもりで人生悩んでいたときも、お兄ちゃんはお兄ちゃんでリア充的なよくわからない悩みに追い詰められていたのかもしれない。
私をいじめることでそのストレスを発散していたんだ、きっと。
気づいてあげられなくて、ごめんね。
私をいじめてくれたこと、もう気にしてないからね。
これからは人生からドロップアウトしたお兄ちゃんの分まで力強く生きていくよ。
「――はい。しんみりすんのここまで! 私がくよくよしてたらいつまで経ってもお兄ちゃんは浮かばれないもんね!」
可愛い妹が自分のせいで落ち込んでたらお兄ちゃんも苦しいよね。
わかってるよ、お兄ちゃん。
私、もうお兄ちゃんのこと忘れるからね!
というわけで。
「ひゃっほー! ゲームが戻ってきたあああああ! 魔王降臨キタ――――っ!」
早速強くてニューゲームだ!
「って、嘘嘘っ。セーブデータが引き継がれるだけでレベルとか諸々の数値は初期設定に戻るんだってば。難易度は若干上がるかもだけど、そっちの方が~楽しい~し~♪」
妙にハイテンションになってしまっているな。
でも、しょうがないよね。
だってずうっとおあずけ食らってたんだもん。
犬みたいに尻尾フリフリしたって仕方ないもん。
ひゃほーい、ひゃほーい!
電源を入れて、ゲームを起動させる。
真っ黒い画面にゲームソフト会社のロゴマークが浮かび上がり、次いで注意書きが表示される。
この焦らされている時間も今は楽しい。
はよ来い、はよ来い! なかなか焦らしてくれるじゃねえか。さっさと私に攻略される準備をしろってんだ。まったく気の利かないゲームだぜ!
ワックワクを止めようがなかった。
そして、ようやくスタート画面になって――って、ちょっと待てええええ!?
「何よコレ!? お兄ちゃんてば100時間以上もプレイしてんじゃん!?」
今も秒単位でカウントされ続けている総プレイ時間は、146時間。
私が一度プレイしたときは確か40時間行ったか行ってないかくらいだったはず。それを差し引いても100時間超えている。
たった一週間でどんだけよ?
一日15時間はやらないと無理じゃん。
「学校行ってなかったのかな? それか、授業中にサボってやってたとか?」
どっちにしても引くわ。
あのお兄ちゃんが廃人みたくなってるのって普通のゲーム廃人よりも何倍もキモかった。普段馬鹿にしていたから余計に。
「うっわ。どうしよ、コレ。インストールし直そうかな。なんかキモいし」
でも、プレイ時間を消去するにはシステムデータを消去しなければならず。それはつまり、これからまた一周目をクリアし直さなければならないということで。
それはすごくすごく面倒くさい。
「……ま、いっか。このままやろ。お兄ちゃんの形見ってことで大目に見てやるか」
お兄ちゃんの弔いの意味も込めて。……うわあ、それもなんかやだな。
そんなことをつらつら考えつつスタートボタンを押す。
チャラリン、と効果音が鳴り、壮大なBGMが一瞬でフェードアウトしていく。
画面はブラックアウトして、徐々に光を取り戻す。
渋声のナレーションが『かつて【人魔大戦】と呼ばれた大戦争があった』という出だしを、赤黒く燃える戦火のイラストを背景に読み上げた。
さあ、プロローグの始まりだ。
◇◇◇
戦闘シミュレーションRPG【魔王降臨】のあらすじはこうだ。
いにしえより、世界は人類と魔族の二つの種族によって二分されていた。
魔族は人を攫い、喰らい、暴虐の限りを尽くしてきた。
人類は搾取されるだけの種族でしかなかった。
だが、人類は知恵をつけ、繁殖力を高めていった。魔法を生み出し、武器を作り、魔族に抗する力を得たのだ。
また、人間と亜人種が協力しあうことで魔族を凌駕する勢力へと拡大していった。
有史以来、人類は初めて一つとなったのである。
やがて人類は魔族への報復を開始する――後に百年続く【人魔大戦】の始まりであった。
しかし、魔王率いる魔族の軍勢の前では人類の武力など微風が如しであった。
魔族の不死性はどんな魔法をも飲み込み、どんな武技さえ跳ね除けた。
数で優位に立ったとはいえ人類なぞ所詮軟弱で下等な生物。
魔族の生殖を必要としない圧倒的な肉体強度は一個体であっても人間側の千の軍勢に匹敵した。たとえ千が万に変わろうとも、その絶対的な力量差が覆されることはない。
攻めかかるごとに人間勢はたちまち返り討ちにあっていた。
それを最も嘆いたのは神であった。
世界を創造し、魔族を失敗作として不毛の大地へと追いやった唯一神。
愛すべき子らが醜い魔族の手に掛けられる光景は見るに耐えられなかった。今すぐにでも救いの手を差し伸べてやりたい。
けれど、神は世界を創造するにあたり、直接的な干渉を自らに禁じていた。
神が求めたものは世界の独創。
絶対者の手から離れた子らがどのように育っていくのかを見守り――観察するために世界を作ったのである。
魔族の存在は容認しきれないが、そのおかげで人類は知恵を付け一致団結したとも言える。障害は進化を促すことを知った。
ならば、ここで神が魔族に手を下すは人類の進化の妨げとなり、また独創を見届けたいという当初の目論みを自らふいにすることになる。
神は決断する。
せめて魔族と拮抗できるほどの希望を世界に落とそうと。
かくして、それぞれの国、あらゆる時代に、人智を超越する力を有した勇者が誕生していった。
勇者たちは神命に従い、魔族を討つことだけに命を賭した。
勇者の一撃は魔族の強靭な肉体を貫いた。
聖なる魔法が醜悪な翼を燃やし、神の守りがおぞましき牙を食い止めた。
魔族は狼狽した。
人間側にこれほどの脅威が存在したのかと恐れおののいた。
間もなく、大陸半ばまで侵攻していた魔族は撤退を余儀なくされる。
勇者たちの勝利であった。
そして、このことが全人類に活力を与えることになる。
人類は再び立ち上がった。
大戦は局地的なものに変わり、長期化され、子々孫々と受け継がれていく知恵と技がさらなる武力を完成させ、魔族を徐々に追い詰めていったのである。
百年の人魔大戦で疲弊したのは、生殖を必要としない魔族の方であった。
やがて最果ての島にまで追いやられた魔王は、そこで最後の勇者の一刀のもとに倒されてしまう。
勇者は神より賜りし『魔封鏡』の中に魔王を封じ込めた。
こうして、人魔大戦は終わりを告げたのである。
世界は人類によって征服された。
それからさらに百年の歳月が流れる。
人類の記憶から魔族の存在が消えてなくなったその瞬間、『魔封鏡』が割れた。
すでに神に召された勇者の加護は消え失せ、人々の信仰も薄弱化し、それによって聖なる力が弱まったことが原因であった。
魔族を記録でしか知らない人類は、突如として世界中に巻き起こる異常気象が魔王復活の余波であるとは夢にも思わなかった。
最果ての地にて、魔王は世界の有り様を知り愕然となった。
『なんということだ……。この世界はあまりに醜い……』
人類だけが支配する大地は、過剰な狩猟と過剰な伐採により生態系を悉く壊していた。
繁栄はしたのだろう、大きくなりすぎた城と町。
労働を減らして華美に着飾る人間ども。
百年前にはおよそ見られなかった要塞までもがあちこちに建てられていた。皮肉なことに、それら堅固な物見塔が監視する先は隣国――すなわち、同じ人間同士であった。
『なんと不出来な種族であろうか……。我ら魔族の方がよほど高潔ではないか……』
そして、魔族を失敗作と詰った神に憎悪の炎を差し向けた。
魔王は誓う。
人類から世界を取り戻す。
そして、【神都地下神殿】に眠る諸悪の根源――神を討つのだ!