勇者復活
時は一時間前に遡る――
〝壁〟の天辺に張った天幕の中にはヴァイオラとリリナ、そしてそこに合流したアニ一行がいた。簡易寝台に横たわるアテアを囲んでいる。
目を覚まさないアテアの手を握って、ヴァイオラは静かに涙を流した。
「アテア……っ、アテア……!」
「命に別状はありません。背中に深手を負いましたが、安静にしていれば自然治癒でいずれ外傷も塞がることでしょう。ですが――もう二度と戦うことはできません」
ジャンゴは冷静にそう宣言した。アテアを回収した際に容態まで看破したのだが、背中のダメージは特に深刻で、神経までズタズタに破損していた。
もう二度と剣を振るえない。それどころか、下半身が満足に動くこともない。生涯寝たきりで、この昏睡から目覚めるかどうかもわからない。
生きているかどうかもあやふやな状態であった。ジャンゴの診断は慰めにもならず、静まり返った天幕内でヴァイオラの嗚咽だけが誰ともなく責め立てるように響いた。
……これもすべてシナリオ通り。ゲーム本編と何ら変更がない第一章の結末に、しかしアニは胸の奥がチクリと痛んだ。同時に、目指していたはずの通過点をいざ目の前にして感傷的になっている自分をどこか他人事のようにも感じていた。
「ヴァイオラ、少しだけ俺に任せてくれ」
余計なことだとわかっている。だが、もう見過ごすことはできなかった。
「……治せるのか?」
「やってみなけりゃわからない。期待を持たせても酷なだけかもしれないけどな」
ヴァイオラは首を振って立ち上がると、アニに全幅の信頼を寄せていることを示すようにアニ以外の人間に天幕から出て行くよう命令した。
「ハルス、おまえは戦いの準備だ。アテアとの戦いで消耗している魔王軍をおまえが倒せ」
「――っ!」
ハルスの顔に緊張が浮かぶ。これほどの大舞台と責任重大な任務を想像していなかっただけに掛かるプレッシャーも相当なものだろう。
「心配するな。親衛隊は強いし、ジャンゴとリンキン・ナウトも協力する。おまえは一人じゃない。幼馴染もいることだしな」
含みを持たせて言うと、リリナが反射的に振り返った。しかし、ハルスの意識はすでに戦いに向けられていてその視線には気づかなかった。
天幕に一人取り残されたアニは、早速アテアの容態を確認した。ハルウスの鎧はすでに除装されており、半袖短パンの帷子姿は診察も施術も行いやすい。
アテアの体をうつ伏せに寝かせ、上着を躊躇なくめくり上げる。露わになった背中には見るも無残な損傷がいくつも刻まれていた。生きているのが奇跡的なほど凄惨な生傷。一瞬目を逸らしかけたが、歯を食いしばって耐えた。
(俺が逃げるわけにいかないよな……)
「お兄様? 一体どうなさるおつもりですの? ――はっ!? ま、まさか、このロリ巨乳娘を昏睡状態で動けないのをいいことにあんなことやこんなことをして手籠めに掛けようと……!? いやあ! ケダモノですのお!」
「悪いが、その手の冗談に構っていられる気分じゃない。俺の邪魔すんならおまえも出て行ってくれ」
「本気ですの? たかがゲームキャラにそこまでするなんて。かつてのお兄様なら鼻で笑っているところですわ。一体どういった心境の変化ですの?」
「おまえがいなくなっている間にいろいろあったんだよ」
「? レミィ、一瞬たりともお兄様のおそばを離れたことなんてありませんわよ?」
「またそれか……」
アニの許に戻って来てからようやく問い質すことができたのに、返ってきたのは以前と同じ反応だった。前回は数時間の不在で、今回は数日間も姿を暗ました。この二度の雲隠れに共通点は見当たらず、原因がわからないでは尋問の取っ掛かりも掴めない。レミィも無自覚なのだとしたら、いま聞き出そうとしたところで時間の無駄に終わる気がする。
「その話は後だ。マジで事態は一刻を争う。すぐにアテアを何とかしないと」
「でもでも、お兄様に回復魔法なんて使えましたかしら?」
「……気休めの手当て程度ならな。でも、今からするのはゲームにおいてバグと呼ばれる反則技だ。治らないかもしれないが治る可能性もある。二つに一つなら試さないのはおかしいだろ」
右手に闇属性魔法。左手に光属性魔法。融合し、虹色の輝きを放つ。
「お、お兄様……何ですの、それ!?」
「さあな。俺にもよくわからん。でも、属性で分類するなら〝混沌〟てとこか。こいつでアテアの傷を書き換える」
アテアの背中に虹色の魔力波を流し込む。キーン、という耳鳴りのような不快な音が木霊する。空間がねじれ、アテアの背中も歪に曲がりはじめた。
「だ、大丈夫なんですの?」
答えられない。人体に掛けるのは初めてだった。無事に成功することを祈るしかない。
「で、それってどれくらい掛かりますの?」
「……少しずつ変化していってる。このペースなら一時間ってところだな」
「えーっ!? 一時間も待ってられませんわ! 魔王軍はどうしますの!? 今にも向かって来ますわよ!」
「そこはシステムのほうで何とかしてくれ。シナリオを追加するなりして時間を稼げ」
そもそも、ゲーム内の時間はプレイヤーがいる外の時間に影響を及ぼさない。治療にどれだけ時間が掛かったとしてもストーリーは進行しないのだ。
そのように調整ができるのが『レミィ』という名の〝システム〟だ。
「シナリオを変えるついでに妹のゲームのほうでも調整を加えてくれ。アテア戦が終わったらそのままエクストラステージに移行できるように」
「そのことですけど、あまりにも唐突すぎてシステムの書き換えが追いつきませんの。ロード中はプレイヤーである妹ちゃんをお待たせすることになりますわ」
「ロード中って……、待たせるってどれくらいだ?」
「そうですわね。……今、この世界でリアルに流れている時間と同じだけ待たせることになりそうですわ」
「なんだと!? まずいな! あのせっかちな妹が一時間も待ってくれるとは思えねえ……!」
一時間というのもアニの希望的観測にすぎない。治療にもっと時間が掛かるかもしれないし、それ以前に五分や十分という短い時間でさえあの妹に耐えきれるかどうか。
「あいつがゲームを中断して電源を切ったりしたらどうなる!?」
「この世界が消えてなくなりますわ。当然、お兄様も。レミィもですの」
「マジか……。くそ。こんなしょうもないところで終わらせられるか! なんとしても引き留めなきゃ! レミィ、ハルスが勇者を〝復活〟させ次第、すぐにエクストラステージを開始してくれ! 俺もそれまでにアテアの治癒を終わらせる!」
「わかりましたの! でも、あのハルスとかっていう人が魔法を発動させるのに一時間以上掛かったらどうしますの?」
「……そうならないよう神にでも祈っとけ」
◆◆◆
――一時間後、ハルスは最後の一体の〝復活〟に取り掛かった。
「はあ……! あなたで最後です。【槍聖】のサザン・グレー。いま、永久の眠りから目を覚ますのです……!」
==聞け! 闇の精霊よ! 我を容認する者よ!==
==悪しき者 暁を求めるものよ!==
==不敗を誇り、万能を知らしめよ!==
==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==
==紡げ――《喪屍/コープスリバイバル》==
唱えた瞬間、黒い光がサザン・グレーの遺体に入り込んでいった。すると、遺体が青紫色に変色し、ゆっくりとだが上体を起こし始めた。他の勇者と似た行動を取るサザン・グレーの遺体だが、唯一違うのは彼の遺体だけ頭部が欠損していた。
首無し鎧の遺体が活動するのを見て、その場にいた親衛隊は思わず悲鳴を上げた。
「く、首が無くても動いた……!?」
「これではまるで魔族……! 生きる屍じゃな……」
勇者の遺体すら戦いに利用しようとするアニとハルスの狡猾さにはもはや言葉がない。後生大事に運んできた木箱の中身がまさか勇者の死体だったとは。その事実にも皆度肝を抜いた。
ルーノとクレハはアザンカの後ろに隠れ、ロアとラクトはサザン・グレーの変わり果てた姿に思わず嘔吐し涙した。レティアはつまらなげに自分の髪をいじり、エスメは困った顔で笑っている。
リンキン・ナウトだけは平静を保ち、疑問に思ったことを口にした。
「音楽家殿の遺体だけ見当たらないが、彼はどこに?」
連れてきた遺体を全員復活させて疲労困憊となったハルスだが、達成感からか返す声は自信にあふれていた。
「オプロン・トニカさんのご遺体はお返ししました。あの人には帰りを待つご家族がいましたから」
オプロン・トニカの執事と女中が遺体を引き取った。泣いて出迎えた彼らを見て、その選択は間違っていなかったと確信した。その後、アニにはかなり怒られたが。
「ふむ。ともあれこれで、ここにいる勇者たちを使役できるようになったわけか。今、魔王軍は傷の手当をしているのか動きがない。王都へ向かう前に彼らを使って魔王軍に攻め込むぞ。闇魔導士ハルス」
「はい」
「ま、待ってください! こんなのやっぱりおかしいです! 勇者様たちの亡骸を道具にして利用して……! これが正義ですか!? こんなやり方絶対に間違ってます!」
車椅子を回してアザンカがハルスたちの行く手を遮った。
「戦場へは私たちが行きます! これ以上、勇者様たちを辱めないでください!」
キッと柳眉を逆立てる。教師としての信念か、倫理から外れた行いを見過ごせないのだろう。気持ちはわかるし客観的にもアザンカは正しい。だが、ハルスにも譲れぬものがある。
「死者の尊厳よりも生きている人の命のほうが今は大切です」
「魔族より卑劣になり下がってまで生きていたいとは思いません!」
「それは貴殿だけの意見だ。魔王軍をどのようにして滅ぼしたのか、その方法を国民に知らせる必要はない。意味もない。重要なのは結果だ」
リンキン・ナウトが助け舟を出し、ハルスは微笑を浮かべて付け加えた。
「それに、僕は勇者様たちを道具だなんて思っていませんよ。むしろ逆なんです。僕は彼らを本物の〝英雄〟にしたくてここに来た」
歩き出す。呼応して勇者たちの骸も一緒に〝壁〟の淵まで移動する。
遺体に縋りついて泣いていたリリナは、歩き出したガレロに振り解かれて「あっ」と寂しげに声をもらした。
村の幼馴染。みんなの兄貴分。リリナにとっては本当のお兄ちゃんのような存在だった。一番死んでほしくなかった。生きて再会したかった。
きっと同じ想いを抱えているであろうもう一人の幼馴染――ハルスに使役されているという事実にも眩暈を起こした。一体何をどう悲しんだらいいのかわからなかった。
「ハルス……! ガレロをどうするつもりなの!?」
ハルスは肩越しに振り返ると、リリナを勇気づけるかのように得意げに拳を振り上げた。
「行ってくるよ、リリナ。何も心配しなくていいんだ。僕がきっとガレロを英雄にしてみせるから」
「何を――言って――」
涙で言葉を詰まらせた。その意味を致命的に履き違えたまま、ハルスは笑みを湛えたまま勇者たちとともに〝壁〟から飛び降りた。




