インターバル②
「報告いたします! 王族護衛騎士団が、か、壊滅しました!」
駆け込んできた斥候の報告を聞いても、ヴァイオラは平然としていた。
「へ、陛下……?」
「第一層の王国軍二万の兵はいまだ健在か?」
「は……あ、はい! 多少の犠牲は出ましたが、魔王軍幹部が離れたことで大きな損害が出ることがなくなりました。魔物の戦力と我が軍の戦力が拮抗していることで被害は最小限に抑えられています。幹部不在で魔物たちの統率が取れていないことも理由の一つかと」
「そうか。ならば、王国軍を直ちに撤退させよ。負傷者に手を貸し、一人でも多く生存者を帰還させるんだ」
「はっ! ……いやしかし、よろしいのですか? ここで引いてしまってはアンバルハルが……」
「構わん。むしろ、ここまでよく耐えてくれた。おかげで準備が整った」
「はい?」
斥候は訝しげな顔をしたが、取って返して伝令に走った。
ヴァイオラは天幕から外に出ると、なおも頭上に影を作る巨大な物体を見上げた。
それは王都を囲む城壁よりもさらに高い土塁の壁であった。
全長3000メトル、高さおよそ100メトル。さらにその幅は300メトルを越えて分厚く、まるで切り立った崖のようである。
俯瞰して見れば、王都へ続く街道を塞ぐようにして築かれており、魔王軍の進行を食い止める阻塞のように思われる。だが、実際の役割はむしろ勇者を後退させないための行き止まりであり、言うなれば『背水の陣』を敷いた格好だ。
これこそがアニが考えた最善策。
勇者アテアを最強に押し上げる最上の戦陣であった。
(魔王軍もこれには驚くだろう。真っ平らだった平原に突然こんなものが現れたのだから……)
そこへ、この土塁を築いた功労者たちが口喧嘩をしながらやってきた。
「大体ね! この程度で魔力切れを起こすほうがどうかしてるのよ! アンタ何!? 普段訓練しないで遊んでたんでしょ!?」
「あ、遊んでいたわけないだろ! 僕は誇り高き軍人なのだぞ! そ、そもそも僕は自ら魔導兵を志願したわけじゃない! 魔法が使えるというだけでアニに勝手に連れてこられたんだ! 魔力量だってそんなに多くないんだ! 文句を言われる筋合いはないぞ!」
「自覚があるなら魔力量を増やす努力をしなさいってのよバァカ! そんなんで本気でヴァイオラ様を守れると思ってんの!? 死ぬ気でやりなさいよね! ていうか、死になさいよバカ!」
「こン、の……! 年下のくせに、このロア・イーレット二世に向かってよくもそんな口を……!」
「そいつはそんなに偉い奴なわけ? 威張りたいならこのくらいの土塁ひとりで作ってみなさいっての! ほとんどルーノに作らせてさ。脆そうなところはこのレティー様が氷の膜を張って補強してあげたんだから感謝しなさいよね!」
「ふん! それこそ大きなお世話だ! 魔力が底を尽きようと、僕が築いたこの壁がそんじょそこらの攻撃魔法なんかで崩れるものか! 僕は土魔法に関してだけは天才なのだからな! 君のようなお子様がどんなに補強しようと無意味というものだ!」
「なぁんですってぇ! せっかくレティーが手伝ってあげたっていうのに! 人の親切を素直に感謝できないなんて軍人の風上にも置けないわね!」
「んなっ!? そ、それは、それは、ぬぐぐぐぐ……っ!」
レティアの言葉に反論できず顔をしかめるロア。
「ふたりとももうケンカしないでよー」
二人の言い合いを真横で聞き続けてもはや飽き飽きしていたルーノは、天幕から出てきたヴァイオラに気づいて手を上げた。
「あっ! ヴァイオラ様だ! ヴァイオラ様ーっ! 見て見て! 大きな壁作ったよーっ! すごいでしょう!? ――わわっ!?」
「えっ!? ヴァイオラ様!? ヴァイオラ様だわ!」
レティアがルーノを押しのけてものすごい勢いでヴァイオラに接近した。
胸の前で手を組んで、恋する乙女のように頬を赤く染め上げて潤んだ瞳でヴァイオラを見上げた。
「ヴァイオラさまぁん! レティー、とってもがんばりましたぁ! すべてはヴァイオラ様のためにぃ! えらい? えらい!? これはもうご褒美を期待してもいいですわよね!? ついに妹にしてくださいますわよね!?」
「いや、しない」
ヴァイオラは間髪入れずに答えた。
「だが、よくやった。見事だ。想定していたよりも遥かに高く長く強固な塁壁となっている。これなら十分アテアの戦いの役に立つだろう」
「見事だなんて、いや~ん。ヴァイオラ様に褒められてレティー幸せですぅ……!」
「そうか」
「ご褒美に今からお姉さまって呼んでもいいですかぁ!?」
「駄目だ。何度も言うが、君に姉呼ばわりされる謂れはない」
「いやん! 素っ気ないお声! でもそんなところも凛々しくてステキ♡ ヴァイオラさまぁん、聞き分けのないレティーをもっとお叱りくださぁい! ハァハァ」
「……ふう」
「あは~ん、溜め息までステキすぎぃ!」
はにゃんと腰砕けになるレティア。魔王軍との決戦が決まった日から親衛隊とは警護上の安全面について何度となく会合を重ね、そのたびにヴァイオラを前にしたレティアはいつでも暴走していた。憧れの王子様、もとい麗わしの女王様と任務とはいえお近づきになれたのだから浮かれてしまっても無理はないだろう。
初めこそ〝節度を保て〟と説教していたヴァイオラであったが、どんなに厳しく冷たくあしらっても都合のいいように解釈されて結局はレティアを喜ばせるだけだったので、今ではもう無心で対応するようにしていた。
「陛下、〝壁〟の造営が完了いたしました」
ロアが敬礼して答えた。
「うむ。ご苦労だった」
「それでその、……本当にこれだけでよろしいのですか? これ以上はもう後ろに退けない状況ですし、どうせならもっと壁を広くしたほうが」
「魔力切れのアンタが言うことじゃないわね」
「う、うるさい! 上申することくらいしてもいいだろ!」
レティアが入れた茶々にルーノも反応した。「はいはーい!」と両手を上げて、
「僕がやる! 僕まだ魔力が余ってるし、土をどっかーんて持ち上げるの楽しい!」
天才ルーノに掛かれば大規模な造営作業も単なる遊びでしかないようだ。
しかし、ヴァイオラは首を横に振った。
「その必要はない。これ以上は労力の無駄になる。あとはアテアに任せるんだ」
親衛隊の魔法の実力はもはや疑いようがないほどに本物だ。塁壁そのものへの不安要素は一切ない。今後はアテアがこの〝壁〟どう上手く活かせるかに掛かってくる。
〝壁〟の左右から残りの魔導兵たちがやってきた。周辺の警邏を兼ねて〝壁〟を点検してきた彼らの表情は一様に引き締まって見えた。
リリナが代表して口を開いた。
「すべての準備が整いました。これより陛下を〝壁〟の上までお連れします」
見上げた壁の天辺には、仁王立ちし戦場を望むように遠くを見据える白銀の騎士が堂々たる威容を放っていた。吹き荒ぶ強風に激しくマントをはためかせていながらも、その真っ直ぐな瞳がわずかでも閉ざされることはない。
最後の勇者はただ戦いの瞬間を心静かに待ちわびていた。
ヴァイオラは固く目を閉じると、自らを叱咤するように声を震わせた。
「王宮兵と護衛騎士団、多くの者が命を落とした。すべてはこの〝壁〟を築く時間稼ぎのためとも知らずにな」
アニが考案したことだが、ヴァイオラはそのつもりで三層からなる陣を敷いたのだ。
一層、二層の兵たちの犠牲を計算に入れた上で。
国を守るということは民の命を秤にかけるということに他ならない。大多数を救うためには少数を切り捨てる決断が求められる。安寧を実現させるには王は非情であらねばならないのだ。それを知るためだけの戦いだったとヴァイオラは総括する。
もちろんまだ戦争は続いている。――が、自分の手が及ぶ範囲で出来ることはもう何も残されておらず、アテアは最強の剣士で何一つ憂えるものはない。ヴァイオラの戦いはすでに終わっていた。
これより先は結末を見届けることと、全員の無事を祈ることしかできない。
「兵士たちの死を無駄にはしない。これ以降、誰一人として死ぬことは罷りならん」
リリナは親衛隊の皆の顔を見渡して頷き、再びヴァイオラに向き直る。
「約束します」
ルーノが風魔法を唱えると、一団を〝壁〟の天辺に運び上げた。
全員の到着を確認したアテアが振り返った。
「――姉さま、じゃあ行ってくるね」
「必ずや魔王を討ち取ってこい」
「うん! 任せて!」
アテアは笑顔を咲かせると、ヴァイオラたちと入れ違いに〝壁〟から一息に飛び降りた。
「――来たか」
壁に向かって魔王軍幹部の一団が近づいてくるのが見えた。
アンバルハル王国の存亡を賭けた本戦が、ついに幕を開く――
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