貴族セバーキン・ヒュンポス
貴族階級が多く住む第一教会地区。商業区と居住区がはっきりと分かれており、商売の喧騒が届かない居住区は昼なおひっそりと静まり返っていた。
とりわけ一級貴族階級が住むような区画では、巨大な屋敷がすっぽりと収まるほどの広大な敷地がいくつも並び、人口密度の低さもあってゴーストタウンの様相をかもしていた。
馬車が通ればそれだけで目立つ区画であるが、ひとたび敷地内に入ってしまえば密事を交わすのにこれ以上ない立地である。気にすべきは使用人たちの視線だけだが、屋敷の主人が言い置いておけば恐らく問題になりはすまい。
主人であれば。
「――あのね、わたくしは仮にもバルティウス家の嫡子なのよ。真昼間から殿方を連れ込んだと思われたらどうすんのよ!?」
「そうじゃねえって説明すればいいじゃねえか」
「ばかっ。どんだけ否定したってね、お父様にはわたくしが殿方を屋敷に連れ込んだっていう事実だけしか伝わらないの! 使用人たちはお父様に仕えているのであってわたくしの言う事なんかてんで聞かないんだから!」
「人望ないんだな、おまえ」
「むきーっ! あなたに言われたくないわよ! 昔みたいにわたくしの部屋の窓に鏡で光を当てて呼び出してっ。部屋にいたのがわたくしじゃなかったらどうする気だったのよ!?」
「窓越しに人影が見えたから合図を送ったんだよ。合図だとわかった時点でおまえってことになるから、人違いだったとしても無視しとけば特に問題にはならねえよ。それによ、屋敷に連れ込んだってのは言いすぎだろ。ここ、裏庭だぜ?」
「わたくしが殿方と二人きりでいることが問題なのよっ! 察しなさいよこの唐変木!」
金髪のくせっ毛を弾ませながら憤る。
彼女の名前はセルティ・バルティウス。一級貴族バルティウス家の嫡女である。
嫡女――すなわち世継だ。将来彼女の夫となる者は、入り婿としてバルティウス家の正統な後継者となる。そのため、セルティの交友関係は厳しく審査されており、学友でさえセルティに相応しくなければ弾かれるほどであった。ボーイフレンドでも出来ようものなら一族総出で大変な騒ぎになるだろう。
「相変わらず堅苦しいこった。自由恋愛もできねえのか。これだから一級貴族さまは」
対して、貴族のしがらみを鼻で笑うこの男は、先日第十三教会地区においてアニから金品を強奪したチンピラ組織の頭目、シバキである。
裏庭に植樹した大木に寄り掛かり、シバキは見上げた枝にブランコの跡を見つけて苦笑する。――ここはガキの頃から全然変わってねえな。
「一級貴族さまって……。何よ、他人事みたいに」
「他人事だろうが。俺ぁ十三地区のチンピラ頭、シバキ様だぜ」
「そうやって殊更に卑下しようとするのもどうかと思うわよ。セバーキン・ヒュンポス。それがあなたの本当の名前じゃない」
「……けっ」
セバーキン・ヒュンポス。三年前まで一級貴族だったヒュンポス家嫡子の名前である。ヒュンポス家とバルティウス家は懇意の仲であり、家族ぐるみの付き合いがあった。
しかし三年前、十五歳になったヴァイオラ王女殿下が国政に参加するようになり、疑獄を働いた貴族を次々と罰した。それがきっかけでヒュンポス家は没落した。爵位を剥奪された父は檻の中。家を追われたシバキと母は、父の悪名が付きまといどこへ行っても煙たがられ、最後に辿り着いたのが第十三教会地区だった。元々病弱だった母は土地が合わなかったのか間もなく他界し、付き添ってくれていた使用人たちにも暇を出した。
天涯孤独となったセバーキンはシバキと名を改めて、スラムで一からやり直すことになる。
セルティとは幼馴染みだ。まだ十五になったばかりの彼女をシバキは妹のように可愛がっていた。
こんな身になっても昔のまま接してくれるのは、セルティに貴族としての自覚が足りていない証左でもあった。嬉しい反面、内心複雑なシバキである。
「再興するのはいいけれど、それが何で盗賊なの?」
純粋培養のお嬢さまは、悪党といえば盗賊しか思いつかないらしい。
「別に俺たちゃコソ泥じゃねえ。国にはな、表と裏の顔があるんだ。どっちの顔が欠けてもいけねえ。どっちかが欠けたら国は成り立たなくなる。そんで、裏っ側はもっぱら金と暴力が支配してる。それはそれで秩序があってな、俺のシマもその一端を担ってるってワケだ。割と重要な役回りなんだぜ? 表側で言えば貴族階級の――」
「ねえ、社交界に戻る気ないの?」
「話聞けよ――って、興味ねえかこんな話。社交界ねえ、戻るなんて無理だろ」
「そんなことないわよ。何より大切なのは血統でしょ?」
違いない。だが、一度でも没落した貴族にはその血統とやらが逆に足枷となるのだ。
一級貴族とは、バルサ王家と血の繋がりがある貴族のことを指す。要するに親戚だ。セルティもシバキも遠縁ではあるがバルサ王家の血が流れている。
「お上品な一級貴族のお歴々が、王家の血を貶めた呪わしきヒュンポス家のドラ息子を、社交界にわざわざお戻しくださるわけねえだろ。何よりも面子だけが大事な連中だ。優位に立つためなら他人の足を引っ張ることも厭わない。俺はそんな世界が嫌で逃げ出したんだよ」
「……ヴァイオラ様のこと恨んでる? おじさまを逮捕したヴァイオラ様を」
シバキは首を横に振る。
家の没落も、母を早死にさせたのも、すべて父の不徳のせいである。王女殿下を恨むのは筋違い。むしろ、大嫌いな父親を投獄してくれて感謝しているくらいだ。
「別に王家に逆恨みしてるわけじゃねえ。なるべくしてなったんだ。俺は納得してる」
「でも、本当にこのままでいるつもり? そんなんじゃいつまで経っても」
「なあ。俺はそんな話をするために来たんじゃねえんだよ。おまえに見てもらいたいもんがあったんだ。ほらこれ」
アニから奪った金品の一つ――【王家の首飾り】である。
「これ、たしかバルサ王家の紋章だよな? 本物か?」
「どれ? ――ええ、おそらく本物ね。ヴァイオラ様やアテア様も同じようなものをお付けになってらしたもの。でもこういうのって大概一点物だけど」
「太陽の意匠が施されているのは王家の証。月の意匠があるのは貴族の証。それは今でも変わらないよな?」
「そうよ。太陽の輝きがあってこそ月は闇夜に浮かんでいられる。王家あってこその貴族。アンバルハルの国体を象徴しているのよ。――ってコレ、お父様の受け売りだけど」
シバキが貴族だったのは三年前の話だ。そのときのシバキはまだ未熟で、しきたりだの貴族政治だのには関心がなく疎かった。だからこの首飾りが王族の持ち物かどうか確信がもてなかったのだ。
今のシバキにはこうしたことを訊く相手はセルティしかいなかった。
「ありがとよ。助かったぜ」
「でも、これどうしたの? 返す当てがないならわたくしからアテア様にお返ししてもいいけれど。今度、舞踏会でお会いする予定なの」
「いや、いい。世話になったな」
「もう行っちゃうの?」
二人きりで会うことにすら文句を言っていたくせに、何をしおらしいことを。
「ねえ、セバーキン。セバーキンが社交界に戻れる方法が一つだけあるわ」
「……おい、バカなこと考えるな」
「セバーキンならお父様も納得なさると思うの。だって、わたくしとセバーキンは元々許婚――」
お嬢さまーっ、と使用人の呼ぶ声がした。自室から突然いなくなったセルティを探しているようだった。
「セバーキン、あのねっ」
振り返ると、シバキはすでにいなかった。柵を越えてさっさとどこかへ行ってしまったようだ。
来るときが唐突ならばいなくなるのもまた唐突だ。
あの人はいつもそう……
一度くらい恋人らしい逢瀬をしてみたいと思うセルティであった。
お読みいただきありがとうございます!
よろしければ、下の☆に評価を入れていただけると嬉しいです!




