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王族護衛騎士団団長ケイヨス・ガンベルム


 百年前の人魔大戦終結以降、魔法がアンバルハルで廃れてしまったことは周知の事実だ。必要性の消失と興味索然が主な理由だが、そんな事情など知らぬとばかりに帝王学の一部に魔法を取り入れ現代まで継承してきた貴族が少ないながらも存在した。


 いつ何時戦争が勃発するかわからないので常に備えを怠るな――軍人として最低限の用心であり、古き伝統を固守する姿勢は家名にそれなりの威厳をもたらしてくれた。


 たとえ無用の長物になろうとも魔法を扱えるというだけで箔が付く。当主になる条件に魔法の修得が必須という家系は多く、ケイヨスが生まれ育ったガンベルム家もまさにその典型であった。


 生まれた瞬間から次期当主になるための教育が施された。


 物心ついた頃にはもう貴族のなんたるか、次期当主としての心構えなどを正確に把握していた。物事の理解、正しい見識はその人となりに威厳と余裕を与えた。そうして彼は子供ながらに大人顔負けの貫禄を身に着け、一族が望むとおりの人間へと着実に成長していった。


 ガンベルム家は代々王族護衛騎士を輩出する家柄である。歴代の当主には騎士団長にまで上り詰めた人間が二人いて、二十年途絶えた三人目を輩出することが目下の悲願であり、ケイヨスに向けられる期待の目は並々ならぬものがあった。


 十六歳になると北国ラクン・アナに単身渡り、魔法学を勉強するのがガンベルム家の決まりであった。自身の属性魔法の判別と魔法行使の訓練方法の確立が目的だった。


 敵対しているわけではないが半鎖国国家でもあるラクン・アナへの留学は、世の中の広さと祖国アンバルハルの脆弱性を思い知らされるきっかけとなった。


 人を人とも思わぬ社会システムの合理性。


 他国に対してへりくだることなく魔法の軍事利用を推し進める強硬姿勢。


 そして何より、国民の職業別に見る兵士の序列の高さ。


 国が違えばこうまで体制は変わるのか。如何にアンバルハルが牙を抜かれた国であるかがよくわかる。ケイヨスは世界の不条理と、自身が属する国家の非力さに絶望した。


 そして、純粋で未熟な心は変革を志す。アンバルハルを強い国家に育てたい。ラクン・アナを見てきたのはその気概を育むためだったのだとひどい勘違いをしたまま、父にそのことを相談した。


 だが、返って来たのは失望する言葉だけだった。


「余計なことを考えてはいけない。アンバルハルはこのままでいいのだ。下手に軍事力を持てば他国に攻め入る口実を与えることになるからな。たとえ神が国家間の戦争をお許しにならずとも、局地的な諍いや政治闘争は間違いなく起きる。そうなれば、矢面に立たされるのはおそらく我ら軍人貴族だろう」


「ですから父上! そのときこそ私たちが主導権を握り、この国を良い方向へと導いていければ――」


「いい迷惑だよ。迷惑以外の何物でもない。地位が失墜する恐れを抱えてまで出張る必要がどこにある。アンバルハルは弱小国家のままでいい。豊かな資源を持ち、隣国に貢いで平和を買う。そうやって維持してきたのだ。国も、王族も。そして、我々軍人貴族もな。戦わずして騎士の名誉に預かれる。これがどれほどの利権であるか、ラクン・アナを見てきたおまえならもうわかるはずだ」


 ショックを隠し切れなかった。貴族のなんたるか、などと嘯いておきながら、その実態は贅を貪り保身に塗れた唾棄すべきものだったのだから。


 そして、自分もその内側にいるという事実が最もケイヨスの矜持を傷つけた。


(私は――では、何のために今まで努力をしてきたのだ。これからしていくのだ)


 権威と利権に憑りつかれた軍人貴族たち。その地位を守ることだけに邁進せよと、たった今、父親から命じられた。


 目の前が真っ暗になった。


 ただ憧れていただけなのに……


 絵物語の勇者に。


 英雄ハルウスに。


 ケイヨス・ガンベルムはこのとき英雄には絶対になれないことを理解した。


◆◆◆


 今、全身に気が充溢しているのを感じる。


 一手繰り出すたびに、一歩踏み出すたびに、勇気が湧いてくる。


 閉ざされていたはずの未来に希望の光が差し込んだかのように、いまだ荒野の只中にいたとしてもいつかは目的地に辿り着けるのだという確証を得た心地だ。


 剣を振りかぶり、地面を割らんばかりに叩きつける。


 標的である占星術師は小賢しくも風魔法を多用して高速移動し、剣撃の間合いからかろうじて抜け出していく。なかなか捉えることができない。


 だが、それすら今のケイヨス・ガンベルムには楽しかった。充実していた。


 目的を持って剣を振るったのは、もしかしたらこれが最初で最後かもしれない。これまでは王族を守るための剣だったが、それは社会的な役割からそうしていたのであって決してそこに使命感は宿っていなかった。やりがいくらいは感じていただろうが、そうでもしなければやっていられないという心の安定剤程度の気持ちであった。


 鎧を剥いだ生身は思いのほか軽く、大技を空振った後でも咄嗟に体が反応した。占星術師に肉薄し、驚愕するその鼻面に頭突きを見舞わせる。致命打には程遠いが、打ち付けた肉と骨の感触が気分を高揚させた。子供のケンカのように、優位に立ったとわかったときの興奮がケイヨスの口許を無邪気に歪ませた。


「どうした占星術師! 足許がお留守だよ!」


 ローキックを浴びせて動きを鈍らせる。そこにトドメとばかりに剣を振り下ろした。


 爆音が轟いた。地下空洞を崩落させかねない衝撃が柄を握る両手に伝わって来た。


 占星術師が頭上で交差させた両腕で刃を受け止めていた。だが衝撃は彼の全身を渡って地面にまで到達し、占星術師の足元を深く陥没させていた。


 剣で斬りつけることはできないが、物理的な衝撃は確実に占星術師にダメージを負わせている。剣と見せかけて拳、蹴り、頭突きといった攻撃も喰らわせている。だが、剣だけは避けている。これだけは一発で致命傷になりかねないからだ。


 大したものだ――ケイヨスは皮肉じゃなくそう思う。


 そうであってもらわなくては困る。


 簡単に終わってもらってはつまらない。


 これはようやく実現したケイヨス・ガンベルムの〝聖戦〟なのだから。


 初めて味わう感覚に体の芯が熱くなる。歓喜に震え、心が奮い立つ。


 でも、足りない。もっと血潮を滾らせたい。


 もっと。もっとだ。


 このために生まれてきたのだと納得できるくらい魂を燃焼させてほしい。


 これで終わってもいいと思えるくらいの感動を。輝きを。達成感を。ケイヨス・ガンベルムは切望する。


「私はついに自分を取り戻した! これこそ運命だ! ようやく至ったのだよ!」


 自分を否定され続けた人生だった。


 自己を切り捨てるしかない青春だった。


 ガンベルム家の次期当主にと望まれて生を受け、醜く腐っていくための努力を強いられた。用意された道の果てには見せかけの栄誉しかなくて、【闇】では体裁が悪いというだけで属性を変えられた。


 魔王が復活してからも、わずかに勇者になれまいかと期待する一方で、長年蓄積されてきた卑屈さがその器でないことを悟らせる。仕えていた王女が勇者化し、女王が総帥となって軍を指揮し、護衛に回るばかりで戦場に立たせてさえもらえない。


 英雄にはなれそうにない。それはもう諦める。だがせめて、憧れを今一度この世に復活させたかった。


 最初は遺物を求めてこの迷宮に潜入するだけだった。


 魔術師ハルスを得てからは英雄の遺体を活用できないかと考えた。


 目論見通り英雄ハルウスの魂を降霊することに成功した。あとは彼のための肉体を用意するだけとなり、――いま目の前に適した素体が現れた。


「なぜ光栄に思わない!? 君の肉体が英雄ハルウスの器に選ばれたというのに!」


 殴り合う。占星術師は反撃と同時に反論してきた。


「おまえが選んだだけだろ! そこまで言うならおまえ自身で生贄になりやがれ!」


 もちろんそれも考えた。いくら適した肉体でも気に喰わない人間に英雄が宿ってほしくはない。代わりになれるのならいつでも自分の体を捧げていいと思っている。


 だが、無理だった。ケイヨス・ガンベルムでは駄目なのだ。


「……」


 無意識に心臓に手を添える。


 属性魔法を【闇】から【光】に強制的に変えて行使し続けてきた代償。


 いつ破裂してもおかしくない爆弾をこの体は抱えている。


(私はそこまで大層な器ではない……!)


 自覚する。その悔しさが声を荒げさせた。


「君にはわからないだろうね! 何者かを演じ続ける苦痛と虚しさを! 生まれたときに与えられた役割に従わざるをえなかった絶望を!」


 そして、その枠から逸脱できない自身の矮小さを。挫けた心を。その惨めさを。


 誰にも理解できないだろう。いや、理解されて堪るものか。


「地位もある! 力もある! 人望もある! 誰よりも勇者に選ばれて然るべき位置にいて、それなのに神に見放されたのがこの私だ! どうして英雄を迎え入れられるというのだ! こんな、こんなちっぽけな人間に……!」


 体当たりで吹き飛ばし、尻もちをつく占星術師の眼前に剣の切っ先を突き付けた。


「私は魂の牢獄から抜け出せない宿命にいる! この世は間違っている! そう思っていた!」


 ささやかだが夢を見た。


 たとえ主役にはなれなくても、英雄のそばで共に駆け抜けることができるそんな夢。


「私は名も無き英雄になれるチャンスを得た! ハルウスの遺体を見つけたとき、これが運命だと感じた! 私の役割は英雄を復活させる駒だと知ったのだ!」


 情けないと笑わば笑え。金魚の糞にも自負はある。それなくして英雄を英雄たらしめられないという自負だ。糞にさえなれない者は物語の脇役ですらない。存在していないも同然なのだ。それよりはマシ――その程度の想いでも、今のケイヨス・ガンベルムには命を賭けるほどの価値がある。


 今がケイヨス・ガンベルムの絶頂期。人生を総括する正念場。


「この戦いが私の全盛期だ。――が、それももう満足だよ。観念したまえ、占星術師」


 投げる声は穏やかに。満ち足りた表情で占星術師を見下ろした。


 反論は一言だった。


「ふざけんな」


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