クーデター
ヴァイオラは暗い倉庫の中で、後ろ手を縄できつく縛られて身動きが取れずにいた。
だが、ヴァイオラは腐ることなく手足の自由が利かない代わりに頭を働かせた。
以前だったら涙を浮かべて己の非力さを嘆くだけだったと思う。けれど、今のヴァイオラは魔族の恐ろしさと人の醜い部分を嫌と言うほど見てきた。ちょっとやそっとのことでは動じないし、意識的にどんな些細なことでも観察する癖が身に付いている。生き残るための手段として観て考えることを実践する。嘆いている暇なんてなかった。
二十人ほどの男たちが神経を尖らせている。全員漏れなく武装し、入り口や窓といった侵入経路になりそうな箇所を手分けして見張っている。
ヴァイオラの傍らに立ち、形だけでもナイフを突きつけている男が言った。
「陛下に危害を加えるつもりはありません。どうか大人しくしていてください」
男の言葉通り、ヴァイオラを傷つけるつもりがないことは薄々感じていた。
考えてみれば、このときヴァイオラには人質以上の価値はなく、交渉が上手くいくまでは無事が保証されていなければならない。彼らの目的が何であれ、ヴァイオラを傷つけることは交渉の妨げにしかならないはずだ。
彼らの話し言葉の中に引っかかるものがあった。アンバルハルの人間は決して発しない、わずかなイントネーションの違いである。
顔の特徴からもアンバルハル国民でない可能性が極めて高い。
(他国の傭兵だろうか? だとすると――)
ヴァイオラが乗っていた馬車を襲撃し、あっという間にこの倉庫まで連れてこられた。そのあまりの手際の良さに一つの疑念が浮かんだ。
誘拐がこれほど円滑に進んだのは、ヴァイオラの護衛の人数と配置、馬車の移動経路や出発時間など細かな内部情報を掴んでいたからだろう。つまり、王宮の中に彼らに情報を横流しした者がいるのだ。
(街の外れとはいえこれほどでかい倉庫を押さえているということは、王都に引き入れた人物は貴族か同程度の階級にいる人間と見て間違いないだろう)
おそらく、大臣の中に裏切り者がいる。心当たりが多すぎるのが悲しいところだ。
男たちが誰に向けて何を要求しているのかわからないが、金品が目的ではなさそうだ。
(となると、――クーデターか?)
ヴァイオラの政権に不満を持つ者は多い。特に、七人の勇者を失ったことの責任を求めている大臣たちの中には、ヴァイオラの父ラザイ大公の復権を望んでいる者もいる。
魔王軍との一戦が迫る待ったなしのこの状況を利用して、ヴァイオラ誘拐という失態を契機として現政権を攻撃し、なし崩し的にラザイ王政を取り戻そうという魂胆だろう。
最悪、ヴァイオラの命を奪うことも考えられるが――
(今の様子を見るかぎり命までは取られないと思うが、少なくとも戦争が終わるまで監禁させられそうだな)
アテアがいるかぎり魔王軍には負けない。その絶対の自信がヴァイオラにはある。
誰が指揮をしようとも結果は揺るがないだろう。
(だが、戦争をすると決めたのは私だ。国土を分けてでも戦争を回避しようとした父を引きずり下ろしたのは私だ。私には最前線に立たねばならない責任がある)
ヴァイオラは静かに時を待つ。
助けが来たとき足手まといにならぬよう精神を統一しておく。
(アニ……おまえならきっと……)
◆◆◆
倉庫の分厚い扉が轟音を立てて外側から派手に吹き飛ばされた。
暗殺者たちは驚愕して身構え扉のほうへと向き直り、ヴァイオラもそちらに顔を向けた。
濛々と立ち込める白い埃のベールが乱入者を覆い隠す。小柄なシルエットが浮かび上がり、アニの姿を期待していたヴァイオラはにわかに眉をひそめた。
はたして大胆に正面突破してきたのは白銀を纏った勇者――アテア王女だった。
「姉様! 助けにきたよ!」
両の瞳の輝きが埃の幕を吹き飛ばす。うらぶれた倉庫には場違いなほど華美な威圧を放ち、たちまち場を支配した。
「あ……アテア!? どうしてここに!?」
一人で来たのか?――そういう意味の問いだったが、アテアは勘違いして胸を張り、
「ん? そりゃボクは勇者だからね! たとえさらわれたって姉様の気配がどこにあるかくらい感じ取れるよ! 姉様だけじゃない。知り合いや、ボクと対峙したことのある敵ならどこに隠れていたって見つけ出せる。これも神様から貰った加護の力なのかもね」
ということは、単独で意気揚々と乗り込んできた可能性がある。
同じことを思ったのか、集団の中で一番体格のいい男が代表して口を開いた。
「……アテア王女。では、ここへは貴女おひとりで?」
「当たり前じゃないか! 王宮で姉様がさらわれたって聞いたんだ。でも、のんびり兵士を引き連れていたんじゃ時間が掛かって姉様が危ないだろ? だったら、ボクひとりで乗り込んだほうが早いんじゃないかって考えたのさ!」
姉の無事を確認し、アテアは満足げに頷いた。
「間に合ってよかったよ! やっぱりボクの勝負勘は絶好調だね!」
ヴァイオラには外傷はおろか精神的ダメージもほとんどない。ただ見ただけでそこまで看破したアテアは着実に最強の勇者になりつつあった。
だが、暗殺者集団は失笑する。アテアが勇者だと聞いてはいるが、実際に戦っているところを見たことがない者にはアテアはどこまでいっても英雄の仮装をした女子供にしか見えなかった。
倉庫の扉を破ったのだって火薬を仕掛けたのだろうと考えた。無理もない。眼力だけで鉄板を吹き飛ばす不条理がこの世にあるなどまともな人間なら想像さえできない。
暗殺者たちは第三者には気づくことさえできないさりげなさでじりじりと戦形を整えていく。
目暗ましに一人の女暗殺者がアテアに近づいた。
「お嬢ちゃん……いえ、王女殿下でしたわね。失礼しました」
「別に構わないよ! 君は?」
「ルゥアムと申します。どうぞお見知りおきくださいな」
妖艶な雰囲気をまとったその女は、男を誘惑し行為の最中に延髄を針で突き刺す暗殺を得意とする集団のナンバー2である。リーダーがアニに殺されて以降はルゥアムが集団を率いていた。
「それで、アテア王女殿下はお姉さんを助けにこられた、ってことでいいのかしら? お供も引き連れずに?」
「そうさ! 人間の誘拐犯を制圧するくらいボク一人で十分だからね!」
舐めた口調でも少女が言えば微笑ましい。ルゥアムはアテアの言葉を本気にせず「それが本当に出来たらよろしいですわね」とあしらうように口にした。
「私たちは占星術師の首を所望しております。アテア王女からも頼んでいただけないかしら?」
アニの首?――ヴァイオラとアテアの眉がぴくりと動く。
ヴァイオラはその交換条件に大臣たちの暗躍を確信し、アテアは単純に苛立った。
「もし占星術師を誘き出すことができたらお姉さんと貴女、逃がしてあげてもいいわよ?」
「断る! 君たちの企みは最初から破綻しているよ。占星術師君は君たちなんかに倒せないし、――ボクはそれを聞いてますます見過ごすわけにいかなくなった」
「見過ごさないって、……どうなさるおつもりです?」
「最初に言った! 制圧するよ!」
ルゥアムは失笑し、キッと目つきを鋭くした。
「ふざけるのも大概にするんだね! うちらは遊びでやってるんじゃないんだよ!」
「あ、失礼しちゃうな! ボクはいつだって真剣だよ!」
「やれ!」
その瞬間、天井の梁からアテアの脳天目掛けて男が飛び降りた。足に命綱を付けたそいつは標的の死角から飛び掛かり首を刎ねる暗殺術を最も得意としていた。いつも通りの仕込みと実践。数秒後にはいつもの如く標的の首を刎ねているはずだった。
「……ッ!?」
しかし、どうしたことか、振るった刃はアテアの体をことごとくすり抜けていった。
相手は王族。本気で殺す気がなかったとはいえ、新たな交渉材料の確保は集団にとって何よりも優先される事柄だ。峰打ちで意識を刈り取るつもりでいた男は攻撃が一向に当たらない不可思議にただただ困惑した。
アテアは男を一瞥することすらせずに、気配だけですべての動きを察知した。
「なかなか良い太刀筋だけどそんなんじゃボクには届かないかな。避けるまでもないよ。君のほうから刃を避けてくれている」
「っ!?」
カラクリは至って単純。
刃がアテアの体をすり抜けているんじゃない。
刃がアテアを畏れて逃げていっている……!
「そ、そんな馬鹿な!?」
落下の勢いが完全に収まり、男は宙吊りの状態で無様にくるくる回っていた。
アテアは天真爛漫に笑顔を放つ。
「さあ! 次は誰だい!?」




