セルティ・バルティウス
数日前――占星術師アニが投獄されてから三日が経った頃のこと。
セルティ・バルティウスはケイヨス・ガンベルムに呼び出されていた。
ガンベルム家は軍人貴族の中でも特に位が高く、王族の護衛騎士団団長に最年少で就任したガンベルム団長はバルティウス家にとってまさに雲上のひとであった。序列だけで言えば、王族のすぐ下にガンベルム団長がいて、さらに数段下ったところにバルティウス家がいる恰好だ。
なのでガンベルム団長からの呼び出しは、これまで面識がなかったセルティであっても緊張した。父クロードは見栄と外聞を気にする性質なので、社交界の上下関係は特に厳しく躾けられていた。
人目に付かない王宮裏の林の中での待ち合わせ。何らかの間違いが起きるとは考えもしなかったが、鬱蒼とした木々に囲まれていると嫌でも不安が募っていく。
遅れてやって来たケイヨス・ガンベルムは、委縮するセルティとは対照的に堂々として威風を放っていた。夕暮れが迫る中でもその白銀の輝きは白光のようだった。
「占星術師を暗殺しようとしているのかね?」
挨拶もそこそこに切り出された質問に、セルティは面食らう。
ケイヨス・ガンベルムは委細承知と表情で仄めかし、不敵に笑った。
「責めるつもりはないし罰することもしないよ。むしろ、君たちの詰めの甘さに少し苛立っているのだよ。もし君に適性があるのなら、コレを授けよう」
そう言って取り出したのは『魔法の指輪』だった。腕輪ほどの太い径の輪っかが、適性に合った瞬間指輪サイズに縮小する不思議な指輪。
セルティの中指に収まったのは火属性の指輪であった。
「見込みはありそうだね。君さえよければ魔法の撃ち方を伝授しよう。私は指輪がなくとも魔法が使えるし、騎士団の訓練場を自由に使える。占星術師を確実に殺したければ私に師事するのが最善だよ」
「でも……ガンベルム様と占星術師様は、ともにヴァイオラ様を両翼から支えている言わば同士のような存在。占星術師様を失ったらお困りになるのでは?」
「君に心配されることではないよ」
おまえには関係ない、とばっさりと切り捨てられる。
見えない思惑に若干恐怖を覚えつつも、あのガンベルム家が協力しようというのだ。これほど心強い味方はないし、最大の目的である占星術師暗殺に近づけるのならセルティに迷う理由はなかった。
「お受けいたしますわ」
指輪を常時身に着けておく。いつ機会が訪れてもいいように。
「ただし、一つだけ条件がある。彼の死体をできるだけ欠損せず引き渡すこと」
「死体、を……?」
「私と彼、どことなく似ていると思わないかい?」
「?」
「骨格の話だよ。背丈も近い。あれは鍛えている体だ。それに、運動神経も決して悪くない。歴戦の猛者を彷彿とさせる。出会ったときから感じていたのだよ。いい体だと」
何の話だろう。ケイヨス・ガンベルムに浮いた話がなく、男色の趣味があるのではと一時期噂が立ったことは知っているが……
だとしても、死体を要求するのは理解を越えている。
表情が嫌悪に歪んでいるのを自覚する。しかし、ケイヨス・ガンベルムにはセルティの顔が見えていないのか気にならないのか、平然と死体の心配を続けた。
「くれぐれも今いる地下牢で魔法を使わないでおくれよ。その指輪は火属性。密閉された空間で使用すれば死体を消し炭にしてしまいかねない」
ということは、この指輪は占星術師が地下牢から出された後に使うことを想定している。地下牢での暗殺がうまくいかなかったときのための予備。ケイヨス・ガンベルムはこのまま占星術師が無事釈放されるものと考えているようだ。
確かに、なぜか毒を入れた食べ物だけ残して返されるのでこのままでは何事もなく釈放の日を迎えるだろう。
「でしたら、いよいよとなったらボウガンで仕留めますわ。わたくし、狩りは得意ですの」
「死体が無事ならなんでもいいよ。しかし、地下牢でそんなことをすれば君はその場で捕まってしまうだろう。現行犯ではいくら私でも庇い立てできないよ?」
地下牢には常駐している兵士がいる。彼らに申請して面会をするのだ、どうあっても犯行までは誤魔化しきれない。
別にそれでもよかった。
「わたくし、もうこの世に未練はありませんもの。セバーキンを殺した相手に復讐ができたなら、わたくしもその場で死ぬつもりです」
ケイヨス・ガンベルムは怪訝そうな顔をするものの、特に何も言わなかった。面倒くさいと思われたのかもしれないが、それもセルティが月並みなセリフで思い留まるような精神状態にないことを見抜いたからだろう。
説教されるのも憐れまれるのも御免だった。なのでケイヨス・ガンベルムのこの物わかりの良さには素直に感謝した。
「本当なら私自身の手で占星術師を抹殺したいところだがね、立場上身動きが取れないのだよ。彼と二人きりになるだけでも一苦労だ」
「目立ちますものね」
「そう。陛下の目もある。彼を暗殺できてもすぐに私が犯人だと疑われてしまうだろう。魔王軍との最終決戦を前にそれだけは避けたいのだよ」
「承知しましたわ。占星術師アニはわたくしがこの手で――必ず」
「任せたよ」
立ち去っていくケイヨス・ガンベルムをすぐに視界から外し、セルティは沈みゆく夕日を眺めた。
「セバーキン……」
名前を呼んでも応えてくれる声はもうどこにもいない。
セバーキン……。昔からやんちゃで、大人の言うことなんてまるで聞かなくて。絵に描いたようなガキ大将。セルティも何度いじわるされて泣かされたかわからない。
でも、本当は誰よりも頭が良くて、誰よりも思慮深いひとだったと今ならわかる。
一般階級の友達を紹介し町中を連れ回されたのだって、お上品な貴族社会に染まっていくセルティを心配してのことだったのだろう。父クロードの面子を保つ道具として育てられていることに窮屈さを覚えていたのも確かで、セバーキンと会うときだけは肩の力が抜けた本来の自分に戻っていたように思う。
そうだ。セバーキンがいなければセルティは元の姿に戻れない。
帰る場所もない。
セルティの心は、体は、いつだってセバーキンのそばに。セバーキンと共にあったのだから。
「早く……あなたの許へ……」
まるでそこにセバーキンの魂を見たかのように、セルティは中指に輝く魔法の指輪を慈しむように指で撫でた。




