復讐
俺の目の前に現れたセルティ・バルティウスを名乗る少女。
ブロンドのふわふわの髪の毛が、西洋貴族風のドレスと相まって、まるで現実世界のフランス人形を彷彿とさせる。まさしく絵物語に登場する貴婦人そのものだ。
俺の命を狙っていたクロード・バルティウスの縁者か何かか? まさかこいつも俺を殺しに来たってんじゃないだろうな?
(おい、レミィ……)
心の中で呼びかける。
だが、何の応答もなかった。
俺が牢屋に入れられた辺りからレミィはいなくなった。いれば、ヴァイオラやアテアが面会に来たとき必ず茶々入れてきたはずだ。
あいつの気まぐれで俺のそばから離れたことなんて一度もない。
……でも、前にも似たようなことがあった。俺が王都の中を調査していたときのことだ。第十三教会地区でチンピラに絡まれたり、シスターの勇者ベリベラ・ベルと鉢合わせしたり。あのときもレミィは突然いなくなったのだ。
そして、第十三教会地区からの帰り道、レミィは平然と俺の隣に再び現れた。いなかったときの記憶を一切失くした状態で。いなくなっていたという自覚すらなかった。
あのときと同じようなことが起こっているのか?
俺の行動がバグを引き起こしている?
レミィがいなくなるバグ?
それとも――この世界に起きようとしている何か大きな異変の前兆か?
この少女の面会はそれと関係しているのだろうか。
「初めまして。占星術師アニ……様」
ひとまずレミィのことは置いておく。俺は目の前のセルティに集中した。
「君は……クロード・バルティウス男爵の関係者か?」
「クロードはわたくしの父です。やはりご存知でしたのね?」
「ああ。最近、そのおっさんが雇った殺し屋に命を狙われたんでな。逆に訊きたいな。君はそのことを知っていてここに来たのか?」
セルティは両腕を組み、俺を見下すような視線を向けてきた。
「もちろんですわ。あなたへの用件とはまさしくそれですもの」
「どういうつもりだ? まさか、父親の恐ろしい奸計に気づいて命を狙われている俺に危険を知らせにきてくれた……とか?」
そんなわけがないことは、あの冷めた態度を見れば瞭然であった。
暗殺を知っていてなお俺に会いにきた。つまり、この子は俺への殺害行動には賛成の立場だってことだ。
積極的に加担しているのか、消極的に見て見ぬふりをしているだけか。この状況下で見極める必要があった。場合によってはセルティが主筋の敵という可能性もあるのだから。
セルティは一層冷めた口調で訊いてきた。
「王家の紋章をお持ちですか? ヴァイオラ様から預かっていると聞いています」
「?」
紋章だと? 確か、捕まるときにリンキン・ナウトにも同じようなことを訊かれたな。
「……」
しらばっくれてもいいが、このままでは埒が明かないのも確か。
どんな意味があるのか知らない。が、一か八か賭けに出た。
「持っている」
「見せてください」
「なぜだ?」
「確認したいことがあります」
俺は王家の紋章を取り出し、鉄格子から離れた位置でそれを掲げた。
紋章を見た途端、セルティの目は見開かれ、顔全体で怒りをあらわにした。髪の毛が逆立ちそうなほどの怒りは空気を伝って振るえ、俺の肌にまで灼けるような情念を届かせた。
(何だ? この紋章が何だっていうんだ?)
「セバーキン・ヒュンポスという名前を知っていますか?」
恨めしそうな声がセルティの口から発された。わずかに俯きかけたために前髪が両目を覆い、セルティの表情が読めない。
「いや、初耳だ。ヒュンポス? 聞いたことがない」
正直に答えた。王宮の関係者の名前はあらかた記憶していたし、バルティウス男爵を調べた際にはさらに細かく一級貴族を洗いなおした。自信を持って言える。『ヒュンポス』などという名前は現在の王都には存在しない。
「そう。まあ、そうですわよね。ヒュンポス家はずいぶん前に没落しましたもの。では、シバキ、という名前はどう? 第十三教会地区の住人の名前。こちらも聞き覚えはなくて?」
「シバキ……」
聞き覚えなら……ある。そいつと関わった出来事は、この世界に来たばかりの頃の俺にとってとても印象深いものとなった。
レミィがいなくなるバグが発生した日、俺をカツアゲしてきたチンピラのリーダーこそがその『シバキ』だった。
後日、再び襲ってきた奴を、俺は毒魔法の実験台にして殺した。
この世界では、殺人はもちろん大罪だが、〝魔法による攻撃〟で民間人を殺傷した場合も神に逆らった反逆罪として罪に問われるらしい。『神問官』とかいう役人が神都から派遣されてくるって設定だ。
しかし、魔法が廃れたアンバルハル王国だと『神問官』の監視網は薄いようで、さらに面倒ごとを避けたい俺は、シバキ殺害後は証拠隠滅にも細心の注意を払った。
それが功を奏したのか、あの事件からかなりの日数が経過しているにもかかわらず、いまだに捜査の手が伸びてきたことはないし、シバキ殺害が報道された事実もない。
奴は行方不明扱い。町のチンピラが一人いなくなったくらいでは誰も騒がない。
俺の完全犯罪は成立していた。
そのはずだった。
「どうなのです? ご存知ありませんか?」
「……いや、知らないな。そもそも第十三教会地区になんて縁がない。シバキ、って言ったか? そいつがどうかしたのか?」
「……」
白を切る。すでに死んでいることを仄めかすようなポカもしない。こんな質問をされたってことは俺が疑われていると思ったほうがいいだろう。
それにしても……シバキ殺しはいつ発覚したんだろう? 王都の外の草原のど真ん中で殺して埋めたんだぞ? どうやって死体を発見したっていうのか。それに、その死体から俺に辿り着いたってのもまた驚きだ。この世界の警察は――いや、警察権を持つのは保安官だったっけ?――そいつらはそこまで優秀だったのか?
まさか、今回の監禁はそれが引き鉄だった?
「なら、教えて差し上げますわ。さっき話したヒュンポスとは、我がバルティウス家と何代にもわたり懇意にしてきた貴族の家系です。そしてその家の嫡子であったセバーキンはわたくしの元フィアンセでしたの。残念ながら、ヒュンポス家は度重なる不正が明るみになり、数年前に爵位をはく奪されました。セバーキンも小母様とともに第十三教会地区へと流されました。そして、平民に降格された後に彼が名乗っていた名前がシバキ」
あのシバキが元貴族。しかも、この娘の元婚約者……
背筋に冷たいものを感じた。
「セバーキンは南の街道の草原で何者かによって……殺害されました」
「……」
「彼が亡くなる直前、セバーキンがわたくしを訪ねてきました。王家の紋章を拾ったといい、わたくしに本物かどうか確認してほしいと。そのとき見た王家の紋章と、今あなたがその手に持っている王家の紋章は同じもの。あのときセバーキンが持っていたものをどうしてあなたが持っていますの?」
徐々に理解が追いついてきた。
セルティは王家の紋章から独自に捜査を開始し、そして。
「殺害現場には無かったというお話でしたから、誰かが持ち去ったとしか考えられませんでした。そこでわたくしは、まずはヴァイオラ様とアテア様に、わたくしが見た王家の紋章の意匠を確認してもらいましたの。そしたら、あっさり持ち主が判明しました。それがあなたでした。占星術師アニ」
唯一の容疑者が浮かび上がった。この手掛かりを手放すまいとセルティはさらに執念を燃やす。
「あなたのことを徹底的に調べ上げましたわ。『魔法の指輪』が無くても魔法が使えることや、アコン村へとつながる南の街道をよく通っていたこと。そして、セバーキンが殺された日にもあなたはアコン村に行っていた」
「……なるほどな」
全部つながった。推理とかそんな陳腐なものじゃない。これは、死んだ元婚約者の仇を討つ、という執念がこの少女を俺まで辿り着かせた。いわば、復讐劇だ。
「お訊ねします。あなたがセバーキンを殺しましたのね? 占星術師アニ」
頷かない。だが、否定もしなかった。
それが答えだ。
能面のようなセルティの頬に一筋の涙が伝った。
「わたくしはあなたを許さない」
揺るがぬ殺意がセバーキン殺しの真犯人をついに追い詰めたのだった。
「保安官に先を越されたくなかったので、お父様の力で捜査を取りやめてもらっていました。いまセバーキン殺害の真相を知っているのはあなたとわたくしだけですわ」
そりゃ、俺を直接殺すつもりでいるなら警察に頼るわけにいかないよな。俺が合法的に捕まっちまえばそれこそ暗殺するチャンスが潰されてしまう。
「で、父親名義で殺し屋を雇ったってわけか?」
「いいえ。雇ったのはお父様本人です。お父様も、あなたのことを憎んでいました」
「はあ? クロード・バルティウス男爵が?」
「商人を一級貴族に引き上げたあなたを許さないとおっしゃっていましたわ」
「何だそりゃ。それ以上にヴァイオラが軍人貴族を引き立ててくれたじゃないか。それまで大した仕事をしてこなかった軍人貴族をよ」
「そんなこと知りませんわよ。とにかく、わたくしと利害が一致したお父様が暗殺者集団を【リュウホウ】から手配してくださいましたの。あなたを殺すために」
「恐ぇ親子だ」
一連の騒動のカラクリがわかってスッキリした。
つまり、俺がシバキ殺害の犯人だと断定してからセルティが取った行動は――
「殺し屋を雇い、暗殺に失敗したら今度はリンキン・ナウトに見張りまでつけて俺を殺害しようとした。それも失敗に終わったおまえは、ここに運ばれる食事に自ら毒を盛ったんだ。何日もかけてな。それでも俺がなかなか死なないもんだから、今日になってついに辛抱堪らず名乗り出てきた――ってところかな」
「ええ。わたくし思いましたの。毒殺なんかよりやっぱり直接あなたを殺したいって」
言うや否や、セルティはスカートをたくし上げると、裏地に吊り下げていたボウガンを引き抜いた。すでに装填された鋼鉄の矢を間髪入れずに撃ち放つ。
ダンッ!――矢が背後の壁に穴を開けた。
「――ッ!?」
セルティが驚きに目を見張る。かなり鍛錬を積んだのだろう、ボウガンを取り出してから撃つまでの動作には一切淀みがなく、正確無比に俺の眉間を貫通していった。相手が俺でなければ見事復讐を果たせていただろう。
残念ながら、俺は訪問者があればそれが誰であれ、物理攻撃を無効化する補助魔法《闇化/エンダーク》を自分に掛ける癖が身についていた。奇しくもそれは、セルティが放った暗殺者を警戒して習慣化されたものだった。
初めからセルティ本人が暗殺に赴いていたら、とっくに俺は死体になっていたはずだ。
「くっ! まだですわ!」
慌てて次弾を装填する。しかし、初撃による奇襲に失敗した以上、もはやセルティに暗殺成功の目はない。
俺は《闇化》を解くつもりはないし、黙って矢を受けるつもりもない。
撃てば避けるし、魔法で反撃もする。鉄格子越しだからと言って安全ではない。
そんなことはセルティが一番よくわかっていたようで、ボウガンを構えても撃つ気が見るからに消え失せていた。
「セルティお嬢様、そこまでです」
地下牢に男の乾いた声が響く。セルティは振り返らずともそれが誰なのかわかったらしく、言葉に従うようにボウガンを下ろした。
鉄格子の前に現れたのはリンキン・ナウトだった。
「占星術師殿、無事でしたか」
「危うく殺されかけたけどな」
苦笑で返したが、リンキン・ナウトはいつになく険しい表情を崩そうとしなかった。
俺にではなくセルティに向かって報告した。
「クロード様が【リュウホウ】より招き入れた暗殺者集団ですが、今日の夕刻過ぎ、ヴァイオラ陛下が乗っていた馬車を強襲、陛下をさらっていきました」
「……え?」
「陛下を人質に占星術師殿の死体を要求しています。いま王宮では蜂の巣を突いたような騒ぎです」
セルティは呆気に取られてしまったが、それは俺も同じだった。
ヴァイオラがさらわれただって?
「ま、まさかお父様が!?」
誰かの指示なのだとしたらそれは暗殺者集団の雇い主であるクロード・バルティウスしかいない。
だが、リンキン・ナウトは首を横に振った。
「いえ、クロード様にはお嬢様を探し出してこの件を確認して来いと命じられてきました。クロード様は今回の件には一切関わっておられないかと」
「わたくしだって知りませんわ!」
「なるほど。であれば、暗殺者集団と接点を持ったエレサリサ大臣が裏で糸を引いている可能性がありますな」
「エレサリサ大臣が!? どうしてヴァイオラ様をさらうのよ!?」
「占星術師殿の暗殺がうまくいかないことに業を煮やして……といったところでしょうか。陛下を人質に取ればいくら占星術師殿でも抵抗できないと考えたのかもしれません」
「こいつがヴァイオラ様のために命を差し出すとでも!? そんなわけないじゃないの!」
「エレサリサ大臣の思惑はわかりませんが、彼の大望は以前のように宰相として返り咲くことでしょう。そのためにも占星術師殿は邪魔なのです。だからこそ、占星術師殿の暗殺に加担してきました。まさかこのような暴挙に出るとは予想外でしたが」
もはや悠長に地下牢に引きこもっている場合ではなかった。
俺は鉄格子を掴むと《強化》した拳に力を込めた。
鉄格子がメキョ――というマヌケな音を立ててへし折れた。引き戸を開けるかのように両手で左右に押し広げたのだ。出来た隙間からあっさり脱獄する。
「リンキン・ナウト、暗殺者集団のアジトは今も三カ所で変わりないか?」
「占星術師殿も調べておられましたか。はい。エレサリサ大臣が用意したのはそれ以外にありません。が、陛下の監禁場所として新たに設えていることも考えられます」
「そうなったら王都中を虱潰しに探すしかないが……。とにかく、三つのアジトに兵を送れ」
「すでに動いております。ケイヨス・ガンベルム殿と王族護衛騎士団もアジトに向かっています」
「よし。俺も出る。リンキン・ナウト、あんたもだ」
「無論です」
リンキン・ナウトと共に地上に向かって歩き出す。ヴァイオラはアンバルハル王国の女王陛下であるのに加え、このゲームにおけるキーパーソンの一人でもある。絶対に殺させてはならない。
たとえ殺害されなかったとしても、正規の物語にない展開をこのまま見過ごしておくわけにいかない。一刻も早く救い出さねばならなかった。
まるで状況が飲み込めていないセルティだったが、遠ざかる俺の背中に怒鳴りつけた。
「お待ちなさい! どこへ行こうと言うのです!?」
「ヴァイオラを助けにだ。もうおまえに構っている場合じゃなくなった」
そのとき、
==聞け! 火の精霊よ! 我を監視する者よ!==
==孤独を排し、我の胸を暖めよ!==
==永久の眠りから目覚め、不正を殺せ!==
==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==
火属性の魔法が装填された。
「これならどう!? 魔法ならあなたにも通じるはずです!」
振り返ると、セルティが中指にはめた魔法の指輪をかざし照準を俺に定めていた。




