三人の面会人
王宮の地下に作られた牢獄は、政府が隠ぺいしたい事件の首謀者を匿う目的にも利用されるのだそうだ。
そのため、たったひとりで収容されることになる。言うなれば独居房だった。
じめじめとした空間にロウソクの火が瞬いている。
ひとの出入りがあるたびに炎が揺らめくので、来客の気配にはすぐに気づけた。
「不思議とこういうところがよく似合うな、おまえは」
「ヴァイオラか……」
鉄格子の向こうに現れたのはヴァイオラだった。
苦笑を浮かべて寝台に座る俺をじろじろ眺めている。
「こんなところに一人でいたら気が滅入りそうだ」
「居心地は悪くないぞ。ここでならゆっくり考え事ができる」
「図らずも休暇になったのならよかった。……だが、実際のところどうなんだ? ここは本当に安全なのか?」
見張りの兵士の人払いは済んでいるのに、ヴァイオラは周囲を気にするように声をひそめた。
「何だ、俺が命を狙われているって知ってたのか?」
「報告してくれた者がいた。確かに、おまえは私の腹心となり陰に陽に支えてくれている。その地位をやっかむ者も少なくないだろう。だが、まさか暗殺まで行うとは」
「それが王宮政治ってやつだ」
国王になるまでこんな世界があると想像もしていなかったのだろう。
ヴァイオラは顔をしかめて俺を睨みつけた。
「なぜ私に報告しなかった? 言ってくれればすぐに反乱分子を調べ上げたのに」
「見つけてどうする?」
「もちろん処罰する。今は人間同士で争っている場合じゃない。言って聞かない者には見せしめも必要だろう」
首を横に振る。そんなことをされたくないから黙っていたのだ。
「おまえは敵を作っちゃいけない」
疑わしい者を端から粛清し始めたら、そのときヴァイオラ政権はあっという間に終焉を迎えるだろう。それが民主主義的な政権交代だったらまだいいが、軍事クーデターでも引き起こされたら堪ったもんじゃない。
今はまだクーデターの口実を与えるような真似は避けるべきだ。
「俺なら平気だし、ヴァイオラにしてもらいたいことがあればすでに言っている。逆に言やあ、黙っている以上余計なことはしないでくれ」
これまでもヴァイオラに遠慮したことなんて一度もないのだ。
「む」
ヴァイオラも思い至ったのか、口をへの字に曲げた。
「勝手なものだな! いつもいつも!」
「悪い。だが、助かってる。今回も俺を信じてくれ」
「むう」
素直な気持ちを口にすると、さすがにヴァイオラもそれ以上文句を言わなかった。
「それで? ここに居て本当に危険はないんだな?」
「ん……」
毎度の食事で必ず一品には毒が盛られている。が、そのことは言わないでおく。
毒を盛るのが一品だけなのは、毒を仕込む人間が単独犯で大っぴらにはできないことと、暗殺が成功したときに証拠隠滅を円滑にしたいからだろう。厨房からこの独居房に運ばれてくる間に仕込まれている可能性が高い。
《分析》の魔法で毒皿を見抜いて手を付けず、他の献立は問題なく食べられたのでそれで飢えは凌いできた。
レミィに言って毒を盛っている下手人を見つけてもいいのだが、そいつもどうせ雇われだろうから特定しても意味がない。
あれだけ脅したエレサリサ大臣は今回のことには関わっていないと思う。それこそ見せしめでエレサリサ大臣を殺したとしても俺への暗殺はきっと止まらないだろうし。
クロード・バルティウスを探ってもいいが、さらに裏に黒幕がいたらどうせいたちごっこになるだけだ。
いま俺にできるのは、せいぜいこの地下牢で毒殺をかわしながら黒幕が焦れて動き出すのを待つことだけである。
「むしろ危険が向こうから来てくれたほうが手っ取り早くて助かるんだけどな。ここに居たんじゃ物事が進展しなくて困る」
「そんな軽口が叩けるなら心配いらないな。これは差し入れだ」
クッキーだった。見覚えがある。何度か食べたことがあるヴァイオラの手作りだ。
手渡しで受け取ったとき、一緒に紙を押し付けられた。
紙面には〝最終決戦〟の陣形が描かれていた。
俺が指示したとおりの〝箱物〟も図案に載せて。
「鳥瞰図だ。このとおりに造らせ、七割方完成している」
「そうか。何よりの差し入れだぜ」
〝最終決戦〟への懸念が一つ減ってくれたおかげで気持ちも少し楽になった。
「アテアは本当に強くなった。この布陣であればたとえ相手が魔王であっても負けやしない」
ヴァイオラが自信を持ってそう口にした。かつては妹可愛さに戦場に立つなとまで言っていたのに。
戦いに私情を挟まなくなったのはヴァイオラもまた成長しているからだろう。
しかし、それだけじゃない。やはりアテアが強くなったことが一番影響している。
「ヴァイオラの目から見てもアテアは強いと思うか?」
「ああ。負けるところなんてまるで想像つかない。今のアテアは世界で一番強いはずだ。そして、アニのこの作戦。負ける要素は皆無だ」
普段は心配性なヴァイオラがここまで大きく出るなんて。だが、それは俺も同意見だ。
負ける要素が見当たらない。
バカアホ妹が秘策を練ってこなければ、この兄妹喧嘩はここで終わる。
「……」
「? どうした、アニ?」
「いや、勝とうぜ。次の戦いで本当に最後にしよう」
うむ、とヴァイオラは力強く頷いた。
「それでな……その……戦いが終わったら」
何かを言いかけて、……ヴァイオラはかぶりを振って踵を返した。
「何でもない。また来る」
地下牢から足音が遠ざかる。
(本当に強くなったな。ヴァイオラ)
俺はクッキーを美味しく頂きながら、遠くない未来に思いを馳せた。
(どんな結末が訪れるにしても、ヴァイオラならもう大丈夫だろう)
◆◆◆
翌日にはアテアが面会にやってきた。
アテアは甲冑姿で、最初は交代の兵士が来たのかと思った。
「ついに逮捕されたんだね。いつかやるとは思っていたよ」
開口一番、失礼なことを言ってくれた。
「人聞きの悪い言い方すんな。まだ容疑者だ」
「独居房に監禁って時点で実刑なんじゃないの?」
む。確かに、事情を知らない人間からすればそうとしか見えない。
だが、アテアには暗殺者に狙われていることを教えるわけにいかなかった。
ヴァイオラ以上に直情的なこいつは、事情を知ればきっと犯人探しに乗り出して騒ぎを大きくしてしまいかねない。反乱分子の存在は国民の士気を下げるだけ。大っぴらにするわけにいかないのだ。
事情を知るのは俺とヴァイオラとリンキン・ナウトくらいで十分だ。
「安心しろ。決戦の日までには釈放される。そういう取り決めだ」
「形式上とか建前とかそういうやつ? ボク、政治のことはよくわかんないや」
アテアは呆れたように呟くと、手甲で鉄格子を軽く叩いた。カン、と金属同士がぶつかる音が地下牢に響き渡った。
アテアがちょっと力を加えるだけでこんな鉄格子も紙みたいに引きちぎられるのだろう。見た目は相変わらず華奢なのに、膂力だけは人間離れしていることが今さらながら不思議に思える。
「ん?」
よく見れば、手甲も足甲もところどころ汚れている。
「訓練していたのか?」
「お? そうだよ、よく気づいたね! といっても、ボクの訓練というよりは兵士のみんなの訓練って言ったほうが正しいかな。ボクの戦いの邪魔をせず、時にはボクを援護できるように。いろんな陣形を試しているんだ。みんなすごいよ! 日に日にボクの動きについてこれるようになってきてさ! これなら魔族相手でも引けを取らないよ!」
「そうか。アテアが戦いやすいことが一番だ。しっかり調練してやってくれ」
「……ん。別に慢心するつもりじゃないけどさ。いまボク、誰にも負ける気がしないんだよね」
アテアの全身から湯気のようなオーラが湧き立って見えた。心の強さが可視化されていた。
それはアテアの言うとおり慢心ではなかった。絶対的な自信――確信があるのだ。さらにその感性は勇者としての天才的な戦闘勘によって裏付けされている。
「君の言うとおりだった。ボクは油断しないかぎり無敵だ」
アテアの瞳が星々の煌めきのように光った。
〝剣の勇者〟として完全に覚醒していた。
「俺が考案した特訓をきちんとやり抜いた結果だな」
「特訓って……。正直、その一点に関しては君のこといまだに軽蔑してるけどね」
アテアは特訓の内容を思い出したのか、顔をしかめた。ま、最低なのは俺も認めるけど。
俺がアテアに命じた訓練内容はたった一つ――〝見学〟だった。
「ボク以外の勇者たちの戦いぶりを……負け戦をその目に焼き付けろ。勇者が殺されそうになっても決して手を出すな。君の命令はそれだけだった。ボクは〝門〟を守る戦いをすべて見た。彼らがどのように戦って、どのようにして敗れていったのか。そして……その死に様も」
実戦で学ぶことが多いのは当たり前の話だが、その一戦で死んでしまったら元も子もない。だからアテアには、あえて戦闘には参加せず他の勇者の戦いぶりを見てこい、と命じておいたのだ。勇者たちの戦い方から戦術を学び、戦況を読み取り、戦法を考えろと言い含めて。
文字や口では戦場の臨場感は伝わらない。生死の感触、恐怖、絶望――そういったものの温度は生でしか味わえないものだ。せっかく実戦が四つも繰り広げられるのだ。これ以上ない教材を黙って見過ごすのはあまりに惜しい。
最初こそ文句をぶー垂れていたアテアだったが、北と東の戦を見終わったあとから大人しくなった。見て学ぶことがどれほど大切で貴重なことか理解したらしい。
そうして、四つの戦いをすべて見守ってきたアテアは、実戦で得るよりも遥かに大量の経験値を獲得したのだった。
「戦争ってのは俯瞰してじゃないと全体が見えてこない。勇者ひとりがどんなに上手く立ち回っても負けるときは負ける。そういうもんだ。なあ、アテア。負けないための戦いをするにはどうすればいいか、もうわかってるよな?」
「うん」
アテアは素直に頷いた。
「敵将の姿も、力も、戦術も見たよ。だから、あのひとたちが出てきたら、ボクが必ず勝つ」
目の輝きが増す。凄味が増す。一切闘気を放っていないのに、覇気だけで圧倒される。
「……っ」
思わず唾を飲み込む。アテアを強くしようと考えてはいたが、まさかこれほどまでに成長するとは……。
もしかすると、本当に劇中で一番強くなったのでは?
とんでもない怪物を生み出してしまったのかもしれない。
(やれやれだぜ。これはこれで俺のシナリオにはねえってのに。ったくよ)
俺がこっそり冷や汗をかいていることなど露知らず、アテアはいつもの調子であっけらかんと口を開いた。
「ところでさ、そろそろ中に入れてよ。一体いつまで客人を立たせておく気なのさ」
「……おまえはバカか?」
「え? あ、な、何をーっ!? バカって言うほうがバカなんだ!」
「あー……」
確かにな。ちょっとでもこいつを見直した俺がバカだった。
「あのな、ここは牢屋だ。中から鍵を開けられたら意味がないだろう」
「――……、ハッ!? し、知ってたよそれくらい! 実は君を試したんだよ、うん!」
明後日のほうを向いて下手くそな口笛なんぞ吹いている。誤魔化し方まで頭が悪い。
こいつ、強くなるにつれて頭のネジが緩んでしまう呪いにでも掛けられているんじゃないか?
これさえも俺というイレギュラーの悪影響とか言わないでくれよ。そこまで責任は持てないぞ。
「中に入れないんじゃしょうがない。じゃあさ、君、こっち来て」
「はあ? 何で?」
「いいからっ」
へそを曲げられても面倒なので腰かけていた寝台から立ち上がってアテアに近づいた。
「手を出して」
鉄格子の隙間からアテアの手が差し出された。
「何をする気だ?」
「いいから、早く!」
「……へいへい。これでいいのか?」
一瞬、躊躇ったあと、右手を差し出した。
肩から指先までしっかりと包帯に巻かれた手。
アテアは俺の手を掴むと、包帯の上から優しくさすった。
「お、おい」
「今ならわかるよ」
「……何が?」
「君がボクや姉様の知らないところで戦ってくれているの。この包帯の下、かなりボロボロだよね。隠していてもわかるよ」
誤魔化そうとしたが、アテアのきらめいた瞳にはすべて見透かされているように思えた。いつも忘れそうになる。こいつは勇者なんだ。こと戦闘に関しては、今では俺よりも見識がある。どんなに隠したって体の異常くらい簡単に見破られてしまう。
「……ふん。別に隠していたわけじゃない。痣や切り傷なんかが残っていて見苦しいから巻いているんであって。今は別に痛くも痒くも」
「左手の小指かな。満足に動かないよね。右手首も。曲げるたびに激痛が走ってる。ううん、両腕全体に慢性的な疼痛がある。空気に触れているだけでも痛いはずだよ」
「……」
くそ。正確に言い当てやがって。とっくに慣れているから平然としていられるが、今でも寝起きには腕の痛みで唸り声を上げることがある。おそらくこの痛みとは一生付き合っていくことになるだろう。
痛むだけならまだマシだった。いつかは動かなくなる日がくるかもしれない。
「どうしてそこまでしてくれるのかな?」
「あ?」
「君のことがわからないんだ。だって君、この国の人間じゃないでしょう? アンバルハルのために命を懸ける理由がないし、そういう理由で戦っているようにも見えない。じゃあ、何のためなんだろうって最近よく考えてる」
握る手にわずかに力を込めた。労わっていた手つきが遠慮がちに固くなる。
アテアの表情が俯いていてよく見えない。
「こんなにぼろぼろになって。そうまでしてくれるのは国を思ってのことなのかな?」
「それは……」
「それとも、姉様のため? ねえ、占星術師君。君は誰のために戦ってくれているの?」
誰のため――。
俺はずっと、ただ一つの目標のために駆けずり回ってきた。
そのとき、脳裏に浮かんだのは見飽きたほどに憎たらしい顔だった。
「妹……」
思わず呟いていた。アテアがばっと顔を上げた。
「妹? それって、もしかしてボク……」
期待に満ちた瞳を向けられて、その呟きが大いに誤解を招く恐れを孕んでいることに気づいた。
アテアからしたら、俺が命を懸けるのはヴァイオラのためだと考えるのが自然だし妥当であった。そこへ来ての「妹」。ヴァイオラでなく妹――つまり、自分のことだと変換できてしまうのだ。俺に実妹がいることなんて知る由もないから余計に。
「ち、違う! 今のは言葉の綾だ! 深い意味はない」
そう。深い意味はない。俺も少し冷静になる。咄嗟に「妹」なんて呟いてしまったが、別にクソアホ妹のことなんてどうだっていい。俺はあいつをいじってバカにして遊びたいだけだ。そうとも。理由はそれだけ。命を懸ける理由も……それだけだ。
それなのに、アテアの瞳は潤んだままだった。
「おい、勘違いするなよ。アテアのためじゃ」
「ううん、勘違いでもいいんだ。君ががんばってくれるなら、ボクも一緒にがんばれる。だってボクは君のこと」
次第に頬に赤みが差す。唇をわずかに震わせて、続く言葉を紡ごうと必死だった。
怯えと不安と……恥じらう顔がらしくもなく可愛いと思ってしまった。
「わ、わたくしは、あなたのことが……」
アテアはそれ以上言葉にできなかった。
俺の手を握ったまま、顔を俯けてしまった。
見下ろせるくらいに小さな背丈。肩が小刻みに震えていて今にも泣きだしそう。
顔も言動も幼くて、俺に対して生意気なところなんて実妹にそっくりだ。
妹と何も変わらない、か弱い少女。
「アテア」
気づいたら、空いた片方の手でアテアの頭を撫でていた。
「ふぇ?」
「おまえのことは俺が誰よりも知っている。辛くなったら頼ってくれていい。俺が全力で守ってやる」
アテアがうっとりと俺の撫でる手を受け入れている。
俺への気持ちを利用して都合のいい手駒にしてやる――……なんていう下心が今は起きない。言葉通りの気持ちがあふれて考えもなく口にしていた。
もっと早くに言えていたなら。
俺たちはきっと違う世界を生きれただろう。
俺はきっと。
たぶんあいつも。
人生が違ったものになっていたはずだ。
「アテア。今度の戦い、絶対に勝つぞ」
アテアは俺の手を頬に当てて、目を閉じて頷いた。
「うん。絶対に勝とうね。ボクたち自身の手で未来をつかみ取るんだ――」
まだ見ぬ未来。
アンバルハルの物語。
その結末を俺だけが知っている。
◆◆◆
地下牢にぶち込まれてから一週間が経った。
食事に盛られていた毒は、ここ三日間はすべて飲み水に入れられていた。色味も付いているし変な臭いもする。明らかに口にしたらまずいとわかる。
もはやなりふり構っていられなくなったようだ。黒幕は確実に焦ってきている。
(水が飲めないのはなかなかしんどいけどな……)
この飲み水を暗殺の証拠にして地下牢から出してもらうこともできなくないだろうけれど、黒幕との我慢比べがそろそろ決着を迎えそうなのでもうしばらくの辛抱だ。
今日か明日あたりか――そう見当を付けたとき、照明の炎が揺らめいた。
鉄格子越しに一人の少女が現れた。
スカートの裾を持ち上げて頭を下げた。
王宮で働く侍女ではなかった。
高貴なドレスを着た淑女。その佇まいは庶民や召使いではありえなかった。
しかし、見覚えがない。
誰だ、この女?
「ごきげんよう。わたくし、セルティ・バルティウスと申します」




