闇討ち
時は遡り、魔王軍が各門を襲撃する前のこと――
夜道を歩いていると、必ずと言っていいほど後を付けられる。
(お兄様、誰かにつけられていますわ)
傍らで宙に浮いているレミィがテレパシーで囁いてきた。
レミィの姿は俺以外の人間には誰にも視認できないため、追ってきているとしたら標的は俺だろう。
数日前から続いていた異変だった。
人気のない路地裏に入った瞬間、問答無用で背後から襲い掛かってくる。そのたびに撃退してきたが、これまでは強盗の類だと思ってさほど気にも留めていなかった。魔王軍との戦いが佳境に入ったこともあり、王都の治安はことさらに悪化しているのだった。
しかし、今夜は王宮を出たときからずっと付けられていた。俺を出待ちしていたということは強盗である確率は低い。何らかの意図があって俺を狙い撃ちしているのだ。
(相手は一人みたいですわ。どうやら襲い掛かってくる様子はなさそうですわ。宿を突き止めることが目的かもしれませんわね)
背後に感じる距離感からして突然襲われる心配はなさそうだ。単独というのも足音の数からして間違いない。
ところで。
(おまえ、俺に助言はしないんじゃなかったか?)
自らを〝システム〟が具現化した形だと主張してきたレミィは、俺に味方をするような真似はしない。横から茶々を入れるだけの単なる賑やかし。
偶に、不可解な状況を解説したり、俺が知らない出来事を説明したりしてくれるが、あくまで中立の立場を貫いている。
こうして危機を教えてくれることは稀だった。
(既定路線のシナリオ上で発生する事象でしたらいちいち指摘しませんけれど、これは突発的なエラーですわ。このイベントは物語に組み込まれていませんわ)
(つまり、俺が撒いた種ってことか)
そもそもこの『魔王降臨』の世界にとってイレギュラーな存在であるこの俺が、何か問題を起こすたびにその変化は大きなうねりとなって物語に影響を及ぼしてしまう。何が引き金となってどんなことが起きるのか予測できないところが厄介な点だ。いわゆる、バタフライエフェクトというやつである。
(ま、これまで好き勝手やってきたからな。俺に恨みを持つ人間は片手じゃ収まらないだろうよ。特に、先代国王にべったりだった大臣たちはヴァイオラの新体制に不満たらたらだった。ヴァイオラの相談役でもある俺を疎ましく思っていても不思議じゃない)
(それはそうですわね。お兄様ったら年長者を敬うことをしませんから)
敬うに値すれば話は別だが……確かに、これまで会ったお偉方を見下してきたのは事実だ。どいつもこいつも目先の利益しか頭にないボンクラだったのだから仕方ない。
慇懃無礼だった自覚はある。ということは、相手も俺を好ましく思っているはずがない。だから、いつ実力行使に出てきてもおかしくなかった。
(最近は毎晩ねぐらを変えて身の安全を確保してきた)
(そしてついに、今夜お兄様に刺客が放たれた――)
もしかしたら、前日までの強盗も刺客だった可能性がある。強盗殺人と見せかけて政敵を抹殺する。いかにも陰湿な大臣たちが考えそうな手だ。
今夜の追跡者は路地で襲い掛かるような真似はせず、ねぐらを突き止めた上で夜襲を仕掛けようとしているのだろう。
今ここで引き返して返り討ちにしてもいいんだが……
(相手より先に手を出すと正当防衛にならない。少しでも罪に問われたらそれが弱みになってヴァイオラのそばにいられなくなる。ここは追跡を撒くのが賢明だろうな)
(まーたヴァイオラですの? お兄様は本当にあの女がお好きですわね)
(好き嫌いじゃねえっての。おまえ、このゲームの〝システム〟なんだから知ってるだろ? このゲームにおいてあいつがどれだけ重要人物なのか。俺が手綱を握っておく必要があるんだよ)
(物は言いようですわね)
何なんだ、まったく。
レミィが俺に指図することはないが、特に女キャラが絡むとなぜか文句を口にする。
嫉妬?
わからない。そんな単純な感情じゃない気がする。
レミィ……こいつは一体……
(お兄様、もうすぐ宿に着いてしまいますわよ。よろしいんですの?)
おっと。いつの間にか宿の近くまで来ていた。今はこっちに集中しなければ。
宿を素通りし、さらに二区画行った先の角を曲がる。その路地は人ひとり通るのがやっとの狭い細道。月明りが差し込まないので数メートルも入り込めばもう真っ暗だ。
闇に溶け込み姿を隠し、突き当りに到達したら風魔法で空を飛ぶ。そこまですれば、追跡者の目から逃れられるはず。
間もなく、突き当りに差し掛かろうという、まさにそのときだった。
――――ヒュン!
鋼鉄の矢が背中から胸を貫通していった。
「……ッ」
その手応えを感じ取ったのか、追跡者が駆け寄ってくる。……こいつ、最初から暗殺するつもりで後を追ってきていたのか。一直線に延びている狭い路地なら標的に命中させるのも難しくない。こちらから絶好の機会を相手に与えてしまった形だ。
得物はボウガン。矢尻の鋭さと貫徹力、そして寸分狂わず心臓を射抜いていった命中力は練度の高さを示している。おそらく、この追跡者は熟練の暗殺者だ。
膝を突く俺に追跡者が近づいてくる。トドメを刺しにきたのだ。
懐から小刀を取り出し、その鋭利な切っ先を俺の首元へと振り下ろす――
ぶん、と小刀は空を斬るのみで俺の体をすり抜けていった。
「――なに!?」
暗殺者は思わず驚愕の声を上げていた。
「悪いな。闇魔法は得意なんだ――よッ!」
振り返り、立ち上がりざま追跡者の横っ面を殴り飛ばした。追跡者は壁に勢いよく打ち付けられると、そのまま意識を失った。
魔法で《強化》された拳は鋼鉄のような硬さになり、殴られればひとたまりもない。手加減はしたものの、追跡者が死なずに済んだのは運が良かった。
握った拳を緩めると、体全体が黒い陽炎のように揺らめいた。
闇を纏わせた体。――闇属性をエンチャントする補助魔法《闇化/エンダーク》を掛けておいたのだ。
どんな物理攻撃も無効化し、自動的に反撃を行う絶対防御。
カウンター防御に特化しているだけあってその場から動けないという制約があったのだが……、〝自動反撃〟の効果をなくすことと、攻撃を無効化する回数を三回に制限することでその縛りを克服した。これで普段から《闇化》で自衛しつつ歩き回ることが可能になった。これまでの襲撃もこの《闇化》で凌いだのだ。
もっとも、効果を薄くしたせいで、俺より実力が上の敵の攻撃はどうやら無効化できなさそうだ。追跡者みたいなザコが相手なら便利な魔法だが、勇者や魔族を相手にするときはあまり頼りにしないほうがいいだろう。
バーライオンとの戦い以来、魔法開発により心血を注いできた。それが実ってきている実感を覚える。命にかかわるので今後も疎かにするつもりはない。《闇化》ももっと改良していく必要がありそうだ。
レミィが気を失った追跡者のそばで嬉しそうにくるくる踊っている。
「さすがお兄様ですわ! お強いですわね!」
「大袈裟だ」
熟練の暗殺者といえども相手は普通の人間。勇者やら魔導兵やらと戦ってきた俺からすれば倒せて当然の相手。イキがるには役不足だ。
「といっても、こいつ、相当強いぞ。王宮兵よりは格段に上だ。アンバルハルはこんな連中を飼っていたのか?」
「さあ。王宮で暮らしていたかぎりではそのような噂は耳にしたことありませんわね。他国の傭兵を雇ったのかもしれませんわよ?」
追跡者のフードを剥ぎ取り顔を見る。アンバルハルの国民とは明らかに異なる人種であった。
……他国の傭兵か。ラクン・アナやロゴールの兵隊は確かに強いが。
というより、アンバルハルが極端に弱いんだけどな。
「……大臣たちが亡命を目論んでいて、他国の兵を呼び込んでいるってのもありえそうな話だが」
王宮の会議室で見た大臣たちの顔を思い出す。
「……いや、あの日和見の大臣たちに他国の傭兵を呼び込めるような……扱いを一歩間違えればリスクにしかならないような伝手があるとは思えない。これまで王室に寄生しながらぬくぬくと贅を尽くしてきた連中だぞ? この情勢を見越して手駒を揃えられる人脈と実行力があるなら、ヴァイオラの王位継承にだってもうちょい反発したはずだ」
行き当たりばったりで常におろおろしていた。声を上げたかと思えば責任逃れに終始。暗殺者を雇えるくらいの気骨があるならもっとうまく立ち回っていたはず。
「なるほどですの。ですが、お兄様。無能だからこそ付け入られているという可能性はありませんの?」
「それだ。大臣の指示だとすれば裏で糸を引いている黒幕がいるはず。だったら手っ取り早い。その大臣を見つけ出して締め上げて口を割らせれば黒幕に辿り着ける」
「大臣が関わっていなかったら?」
思わず肩をすくめた。
「手掛かりなしだ。俺を邪魔だと考えるやつは至る所にいるだろうからな」
仮にもし、本当に王宮とは関係のないところから暗殺者が放たれているのだとしたら、暗殺者に拷問をかけてもたぶん無駄だろう。他国の傭兵を独自に飼っているような人間なら、暗殺者からは決して辿られないように工作しているはずだからだ。
俺ならそうする。
「どうしますの?」
レミィの問いかけに対し、俺は――
「暗殺の恐れよりも、そのことで風聞が悪くなるほうが心配だ。放ってはおけない。かといって、寝ているコイツを拷問にかけても黒幕を割り出せるとは思えない。やってはみるけど、徒労で終わりそうだ。……いや、待てよ?」
今後も刺客が送られてくることを前提に動けば、あるいは――
「ふっ、くくく、俺にケンカを売ったこと後悔させてやる」
「あっ! 出ましたわ! お兄様のあくどい笑顔! レミィの大好きなお顔ですわ!」
気絶した追跡者はこのままあえて放置しておく。
任務の失敗に矜持を傷つけられたと感じたコイツや組織の連中は、近いうちに再び俺を尾行しにくるだろう。
そのときこそ、こちらから仕掛けていく――!




