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英雄になりたかったわけじゃないけれど


 誰の目にも勝敗は明らかだった。


 勇者であっても勝てぬ者にどうして挑み掛かれようか。ただの人間ならば負けたと悟った瞬間に逃げるか死んだふりをしていればいいものを。


 リリナは駆け出していた。


 もう見てはいられなかった。


「こりゃ待て! リリナ隊長ぉ! 待たんかあ!」


 ジャンゴが珍しく大声で呼び止めた。


 かの老兵はいつも飄々として実力の底を悟らせまいと振舞っているが、隠した爪がリリナには想像もつかぬほど卓越したものであることはすでにお見通し。


 それ故に感情的に思わず出た制止が、今が逼迫ならない状況であることを否応なしに突きつける。


 わかっている。


 行けば絶対殺される。


 そんなことは百も承知だ。


 だからって、――これから殺されるひとを見殺しになんてできない!


 ジャンゴに言わせれば、死体の数を二つから三つに増やす行為でしかないのだろう。全員が無事生還する未来などどう逆立ちしたって叶わない。無駄死にしに行くようなものだ。今は無理でもいつか仇討ちする可能性に賭けて撤退するのが正しい行いだということはリリナにだって理解できている。ジャンゴもそのつもりでリリナを引き留め、岩陰に押し込めて匿ってくれたのだ。この飛び出しはジャンゴに対する裏切り行為でもあった。


 でも止まらない。


 感情を制御できない。


 無意識のうちに詠唱を呟いていた。


==聞け! 光の精霊よ! 我を断罪する者よ!==

==内と外を繋げ、肉体を開き、魂に触れよ!==

==清めたまえ! 善なるものを迎え入れよ!==

==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==

==紡げ――《エンチャントライト/光化》==


 全身が光り輝く。


 エンチャントでMPを『5』消費し、残存魔力は『20』。


 一度の行動でMPを『10』消費するので、これからできる行動は二回のみ。


 光速で移動する。


 瞬く間に、ルッチを囲むアーク・マオニー一体との距離をゼロにした。


「覚悟!」


「――ッ!?♪」


 レイピアの刀身にまで光化の力をまとわせて、回転軌道が中空に二本の輪っかを結びアーク・マオニーの胴体を三つに裁断した。


 ザンッ!


 切り口が黒い陽炎となって揺らめき、胴体は光に押されて消し炭となって崩れていく。


 アーク・マオニー②をやっつけた!


 残り二体――。だが、リリナが光をまとって動けるのはあと一回が限度。二体を相手にするには足りず、一体だけでも倒そうと剣を振るったとしても、その先の戦闘で生き残れるイメージが湧かない。


 相手にするな。ルッチを回収したなら光速で射程範囲外に逃げろ。


 リリナは急いでルッチの腕を掴み引き寄せようとした。


「――っ!?」


 ルッチの体が地面に縫い付けられて動かせない。


「無駄だよ♪ 《拘束錠/ロック》された相手は何をしようと動けない♪ 拘束を解きたかったら《解呪》の魔法を使うか、魔法の効力が切れるまで待つかしかないよ♪」


「させないけどね♪」


「くっ――!」


 ならば、とリリナはアーク・マオニー①にレイピアを振り下ろした。せめて敵の数を減らして勝率をわずかにでも上げる。


 光魔法で強化された剣の一撃!


 ――しかし、アーク・マオニー①がかざした手のひらに弾かれた。


 ガキィイインッ!


「なっ!?」


 アーク・マオニー①の影の手が大ぶりの刃に化けていた。


 二本のレイピアを受け止めてなお弾かれることなく微動だにしない。


 影剣の堅固さに背筋がぞっとする。リリナの全力を顔色一つ変えることなくいなされたのだ、圧倒的な戦力差とこちらの手の内をすべて出し尽くした心許なさが状況を絶望的にした。


「僕たちを舐めすぎじゃない?♪ さっき魔王様に傷をつけたその力を警戒するのなんて当たり前だしさ♪ 対策くらいしているよ♪」


「レベルアップもしたしねー♪」


 底意地悪い笑みを刻む二体の魔物。


 全身を影の凶器に変えてリリナに殺意を向ける。


(どうする――? 勇者様は運べない! 敵にも攻撃が通じない!)


 逃げることも戦うことも不可能。


「死んじゃえ、バーカ♪」


 背後からアーク・マオニー③に斬りつけられた。


 一切の手加減を知らない、殺すつもりで振るった刃。


 血しぶきが宙に舞う。痛みで意識が飛びそうになる。


「……ッッ」


 心のどこかで楽観視していた。ジャンゴの制止を振り切って飛び出したとき、行けば殺されると覚悟していたのに、実際に窮地に追い込まれるまで〝それでも生きて帰れる〟と根拠もなく信じきっていた。ルッチを回収してジャンゴの許へ戻り、次にジェムを救いに行く。そんな計算を働かせていた。


 それなのに……何だ、これは。


 思い描いたことを何一つとして叶えられていないではないか。


 ルッチどころか自分の身さえ危うくしている。死体が二つから三つに増えるだけ。馬鹿な隊長が血気に逸った結果がこれだ。


〝二人にも誓いを立ててほしいの。何があっても必ず生きて帰ってくるって〟


〝何だそりゃ。それだと、危なくなったらどんなことをしてでも逃げてこい、って言っているように聞こえるぜ?〟


〝そう言っているの。危なくなったら逃げて。どんなことをしてでも生き延びて。死ぬなんて絶対に駄目〟


(ハルスとガレロには誓いを強要したくせに、私自身が守れてない……ッ)


〝英雄が聞いて呆れるぜ。そんなもの、殺し屋として一番優秀だったってだけの話だろ〟


 ガレロが言ったことはたぶん正しい。戦場に理想は通用しない。正義の心があれば悪を滅せられるなんてそれこそ絵物語だ。


 力無い者が真っ先に死に、敵を殺し味方も見殺しにして最後に立っていられた者だけが英雄として名を残す。


 生き残るだけでも凄いと知った。


 英雄になりたかったわけじゃないけれど。


 他人を助けられるほどおまえはそんなに強いのか?


「うぅぅ……、うわああああああああ、あ、ああっ!」


 こんな土壇場になるまで気づかないなんて、自分の愚かさに嫌気がさす。


「あああああああぁあぁああ――!!!」


 みっともなく泣き喚き、振りかぶる影剣の刀身に情けなくも命を乞う。


「死にたくない……ッ!」


「駄目♪」


 影剣がひるがえる。容赦のない一撃が脳天に落ちてきた――


 ザンッ!


◇◇◇


「………………、?」


 固く目を閉じたリリナだったが、いつまで経っても斬撃が落ちてこないことに訝しがって恐る恐る目を開けた。


 視界に飛び込んできたのは、同じく魔導兵のローブを纏った小さな背中であった。


「まったく。じゃじゃ馬も大概になさいませ。リリナ隊長殿」


 ジャンゴが影剣の刀身を両の素手で《真剣白刃取り》していた。


「ジャ、ジャンゴさん!?」


「おかげで手の内を晒すことになった。このこと、後々高く付かなければよいのじゃが」


「僕の剣を受け止めた!?♪ 勇者でもないくせに!♪」


「驚くことでもあるまいて。おぬしの力は脅威だ。対策するは当然じゃろう」


 影剣を横に逸らしアーク・マオニー①の懐に一歩踏み込み肩を当てて胴体を突き上げた。


 地面から足が離れ態勢を崩したアーク・マオニー①に対し、ジャンゴはさらに一歩肉薄し影剣ごと宙に放り上げる。


《凡事徹底》


 集中力を高めて気力を充溢させ、


《剣ノ極意》


 剣術の型を起こし、意念が業を呼び起こす。


 徒手空拳。


 しかして、その手刀は万物を切り裂く唯一無二の〝鬼刀〟と成る。


「照覧あれ」


《弐型・烏有の断ち》


 手刀一閃。アーク・マオニー①が防御に構えた影剣を切断し、その勢いを殺すことなく胴体までも真っ二つに両断した。


 アーク・マオニー①をやっつけた!


 敵一体を屠ったのも束の間、ジャンゴは即座にリリナの背後に回り込んだ。リリナの背中を斬りつけたアーク・マオニー③を警戒してのものだ。


 敵をけん制しつつ、放心するリリナの腰を片手でひょいと抱き上げた。


「きゃあ!?」


 非難混じりの悲鳴を無視してリリナを乱暴に背後に回し、アーク・マオニー③の追撃に備えて手刀を構えつつ後退る。十分な距離を取ったと見るや反転し、ジャンゴは一息に駆け出した。


 今まで居た戦場があっという間に遠ざかる。


「…………ッ」


 ジャンゴの脇に抱えられながら宙を飛んでいくような速さで移動する。


 地面に磔にされたルッチと、最後の一体になったアーク・マオニーを残したまま。


 平時のだらしない姿からは想像もできない力強さをその枯れた老腕に感じながら、リリナはジャンゴの顔を見上げて叫んだ。


「待って! 待ってくださいジャンゴさん! 勇者様がまだ――」


 しかし、続く言葉は寸前で引っ込んだ。


 ジャンゴの目には一切迷いがなく、このまま戦場を離脱しようという意思に塗りつぶされている。何を言っても無駄だということがジャンゴの言葉を待たずとも伝わった。


(どうして? だってまだ勇者様があそこにいるのに?)


 ぐらぐらと視界が激しく揺れているにもかかわらず、振動による衝撃はすべて特殊な走法によって殺されていた。一体どれほどの修練を積めば、ひとを抱えたままこのような走りができるのか。


「ジャンゴさんはっ!」


 こんなにも強いのに。


 それほどの力を持ちながら、なぜ――


 無言の抗議に耐えかねたのか、ジャンゴは一言だけ告げた。


「……某は隊長殿をお守りするように命じられておる。これ以上力を解放することは許されておらぬのじゃ」


 誰に――? その疑問を口にするより前にジャンゴの足が止まった。


 草原の只中。そっと降ろされた地面は雨でぬかるみ、ズボン越しに水気が尻を濡らしていく。


 振り返れば、遥か遠くに戦いの熱気が取り残されていた。もうすぐ萎んで消える儚い熱ではあるが。


 どう足掻いても避けられない負け戦に知らず涙が一筋こぼれた。


 もう手は届かない。


 弱い自分には何もできない。


「……ああ、……うあぁ、あぁあぁ……」


 晴れ間に虹がかかっている。正体不明の老兵と、駆け出しの若き騎士は終わりゆく惨劇を見るとはなしに眺めた。



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