勇者シナリオ⑩『賞金稼ぎジェム&ルッチ』その5
ジェムは水筒を手に取り、呆れたように肩をすくめた。
「あのオオカミが言ってただろう。この水筒の持ち主が盗人だって。どうしてあたしの名前を言わなかった? あたしは名乗ったはずだ。忘れちまったのか?」
鼻血を拭いてやりながら質問すると、ルッチは目を輝かせた。
「ううん。覚えてる! ジェムさん!」
「……じゃあ、どうして? 言えば、矛先をあたしに向けられただろうに」
それで解放されていたかどうかわからないが、少なくとも逃げ出す隙くらいなら作れたはずだ。ジェムに矛先が向けば、マルクだって逃げ出したルッチをわざわざ追って捕まえようとはしないだろう。
ルッチは頬をぷっくり膨らませた。
「だって、ジェムさんは悪いひとじゃないもん! 盗人じゃないってあたい知ってるもん! 悪いひとが弟たちのお墓を一緒に掘ってくれるはずないもん! だから、あたい言わなかった! あいつらが探してるひととジェムさんは違うひとだって、あたい知ってたから! だから、絶対言わなかった!」
「……」
なんて単純な……。そして、お人好しすぎる……
手伝ったことと盗人かどうかは関係ないだろう。普通なら隠し場所を物色していたのでは、と勘繰るところだ。
それにジェム自身、別に事実を言われたところで何も困らないのだ。何日か前にエメットでリスの亜人に水筒を差し上げた――だから何? と返せば済む話だからだ。
マルクはいちゃもんを付けてくるだろうが、そのときは先ほどのように拳で捻じ伏せるだけである。
「……」
だが、……だが、ジェムのこの事情をルッチが知っているはずがないので、庇おうという気持ちと、実際に庇ってくれた言動は、確かにジェムの立場を救ってくれたのだ。状況だけを見れば、ジェムはマルクたちの揉め事の仲裁に入ったにすぎず、盗人の嫌疑を掛けられることなく切り抜けたことになる。
「ジェムさん、助けてくれてありがとうッチ!」
助けてもらったのはこっちのほうだ。
「もう喋るな。肋骨が折れてる。今から医者に連れていくから辛抱してな」
「待ってッチ! さっきのひとたちが言ってたッチ! お墓を掘り起こしたって! あたい、みんなのこと放っておけないッチ!」
「でもおまえ、怪我が……」
「こんなのなんでもないッチ!」
無理して立ち上がろうとしてルッチの顔が次第に何とも言えない渋面に塗り潰されていく。痛みを我慢するにも限度というものがある。
「……おまえ、バカなのか?」
「ば、バカじゃないッチ! うぐぐ……、で、でも、みんなを放っておけないッチ!」
「わかった。わかったから泣くな。あたしが泣かしたみたいじゃないか。いいよ。乗りかかった船だ」
そう言って、ルッチの手を取り引っ張り上げる。首を傾げるルッチは、お人好しというよりはただただ鈍感なだけな気がする。
「手伝うよ」
そうして、二人で手分けして墓を元に戻した。
前に掘った墓穴だけかと思っていた。
マルクの部下が掘った穴は――百は下らなかった。
「みんなみんな、弟たちと妹たちなんだ」
「全員……か? 一体、何百人兄弟なんだよ、おまえ」
「へへっ! あたいはここで一番お姉さんなんだよ!」
無造作に掘り起こされた子供を再び綺麗に寝かせながらそう言った。
「あたいより年上のひとがいないの不思議でしょ? 実はね、十六になったらココを出ていく決まりなんだ。でね、エメットを出て行ったひとは今まで誰一人帰ってきたことないんだよ。何でだろう。お兄やお姉に会いたいのに誰も会いにきてくれない。ジェムさん、何でかわかる?」
「……さあな」
実は知っている。だが、今となっては語ることでもない。
この国で成人は十六と定まっている。法も秩序もないような国だが建前というものは確固として存在しているし、時としてそれは悪意を持つ者にとっての付け入る隙となる。
エメットを出て行ったかつてのお兄お姉とやらはそれぞれ職に就き、あるいは家族を得て、国の内外に散って行ったことだろう。そして余裕があれば故郷エメットにいる弟妹たちに仕送りしたいと思うはずである。
なぜそうしないのか。会いに来ることだってできるのに一切連絡が取れなくなるのは何でか。
答えは簡単。それが〝罪〟になるからだ。
エメット地区は孤児たちが不法占拠している無法地帯だ。クレイヴ王が実権を握るまで政府が手出ししなかったのは、孤児を保護することなく適度に監視・管理することができるからである。孤児の放置は対外的にもよろしくないし、何より神からの干渉があるのも困る。エメット地区は孤児と政府、双方にとって都合のいい環境であり、進んで誰も壊したくない聖域だったのだ。
だが、もしそこに〈成人〉が入っていったならどうなるか。まず孤児にのみ許された不法占拠が、十六以上の成人した浮浪者たちに歯止めなく広がっていくだろう。そして、一度波及が始まれば、無法者たちの自治区が瞬く間に誕生する。内乱が多いロゴールのこと、それは争いの火種に必ずなる。政府はそれを最も警戒していた。
だから、建前で縛るのだ。
《エメットは子供のための自治区。成人は何人たりとも侵入を禁ずる》
これをただ黙認するだけで、子供は自治権を手に入れた気になり、出て行った成人たちは手出しできなくさせられていた。
皮肉なことだが、この処置は正しいとジェムは思う。成人した途端に関わりを絶たなければならないのは辛いことかもしれないが、大人になれば外でいつでも会えるし、そのときはあっという間だ。それに、お兄お姉がそれでもエメットに帰ってこないのは、エメットにいる弟妹たちを大切に思っていることの裏返しでもあるのだ。
大火災が遭った後ではそれももう関係ない話だが……
エメットは滅んだ。かつての孤児たちの故郷はもうどこにもない。
「よいしょ。よいしょ。みんな、起こしてごめんッチ。もう怖い思いしなくていいッチよ。ゆっくりおやすみ~」
土を掛けるルッチの背中が小さく見えた。当然だ。こいつもまだ成人すら迎えていない孤児なのだから。
この先も。この場所で墓守をしながら生きていくつもりなのだろう。
「はい。終わり! ジェムさん、これで全部ッチ! ありがと――」
気がつけば、ジェムはルッチを抱きしめていた。
「ジェムさん?」
「あたしにも火災で死んだ弟たちがいたんだ。いま、弔ってあげられた気がした」
不憫で、気の毒で、可哀そうで、可愛くて、いとおしい。
「もうお姉さんの役割は終わった。もう、いいんだ」
こいつもあたしの妹だ。
「……ッッッ!」
緊張の糸が切れるのは一瞬だった。責任から解放されたと自覚したルッチはジェムに縋るように泣き出した。わあわあと。小さな子供のように泣き続けた。
号泣も次第にしゃくり上げる程度に落ち着いた頃、ジェムはルッチに提案した。
「あたしと一緒に来い。あたしは兵士を辞めて、この国から出るつもりだ。ルッチはどうだ? おまえも、もうここにいる必要はないだろう?」
「……」
ルッチは住み慣れた家屋を、遊び回った通りを、弟妹たちの面影を、火災跡地に見た。今はもうない思い出の風景。守りたかったものはすべて燃えてしまった。
ルッチをここの留めておくものはもう何もない。
「行く!」
力強く宣言した。諦観からではなく、前向きに出て行くことを決めた。
「よし! 準備が出来次第すぐに出発しよう。敵じゃあないがさっきのやつらが仲間を引き連れて報復に来ないとも限らない。十分後にここに集合だ!」
「うん!」




