勇者シナリオ⑩『賞金稼ぎジェム&ルッチ』その4
「何だ、テメエは。――へぶぅっ!」
部下の一人が出合い頭に殴られた。
一発で意識を刈り取られた部下の顔面は見事に潰されており、見るからに再起不能であった。
たったそれだけで次に続く者はいなくなった。
誰もが息を呑む。
その女は切れ長の目をした、周囲を圧倒するような美人だった。
特徴的なのは腰に届こうかという金髪。
背中に這うように寝かせた耳。
すらりとした肢体は見た目にも筋肉で引き締まっていることがよくわかる。
マルクは女に見覚えがあった。
「こいつぁ驚きだ。ジェム隊長じゃねえですかい?」
ウサギの亜人。先の内乱でクレイヴ王直属の特攻部隊――八番隊隊長を務めていた『鉄拳のジェム』。その姿を終戦後に一度だけ興味本位で遠目から見物しに行ったことがある。
「今はもう隊長じゃない。たぶん、あんたと同じ衛兵さ」
ああ、そういえば。幹部の座を辞退し、一般兵に紛れたという話を聞いた気がするが――マジか、こいつ。
「で、その一兵卒が何用ですかい? ここはあんたの縄張りじゃねえはずだ」
「その娘を放せ。てめえも拷問官の真似事する権利はねえだろ」
マルクは訝しげに目を細めた。
ジェムに答える気がないのはわかったので、コレが任務や上からの横やりでないことは確定した。
ジェムが個人的にエメット地区にやってきたのだとしても、意味もなくただ通り掛かったというのはさすがに無理がある。明確な目的がなければ近づく場所では到底ない。
さらに言えば、ガラの悪いいかつい衛兵どもが束になって孤児を囲んでいるこの状況にわざわざ口を挟み、あろうことか先に手を出してケンカまで吹っ掛けてきたのだ。そうまでして孤児を助けたかったわけではまさかあるまい。ならば、そうせざるを得ないのっぴきならない事情がジェムにはあると考えるのが自然である。
何かある。
その何かに金目の匂いが混じっていると、マルクの鼻は嗅ぎ取った。
部下に命令する。
「おまえら、仲間が一人伸されたってのに何大人しく見てやがる! こいつを囲めぇ! 馬鹿なおまえらにゃあ女を無理やり押し倒すくらいの脳しかねえだろが! 今それ使わねえでどうすんだよ!? インポじゃねえなら男を見せろや!」
「班長、それって、……犯ってもいいってことっすか?」
「好きにしろよ。俺は何にも見えちゃいねえし聞いちゃいねえからよ」
すると、それまで唖然としていた部下たちの顔にも血気が戻る。仲間の一人が惨たらしく地面に転がっているのを知っているくせにまるでなかったことのように下卑た笑みを携えて。
総勢九名の荒くれを前にして、――しかし、ジェムは無人の道を行くが如くマルクに向かって歩き出した。
「その娘を放せ」
「マジかよあんた。何でそこまでするんだ? あ? 何が目的だよ? ――もしかして、この水筒の持ち主があんたってこたぁねえよなあ?」
その質問には答えず、ジェムは同じことだけを口にする。
「今すぐその娘から手を放せ」
「……」
(もしかして、もしかするか――?)
マルクは右手に握った水筒と、左手で掴んだ少女を順に見て、バカにするような口調で問うた。
「嫌だっつったら?」
「殴る」
「へっへっへぇっ! やってみろよ! そっからパンチが届くならなあ!」
部下に前後左右を塞がれた。前方はもちろん退路も閉ざされた。輪の中心に立ち、いよいよ全員と相手しなければならない状況でもジェムは顔色一つ変えず、まっすぐマルクと少女を見据えている。
「お、お姉さん……」
逃げて、と言おうとしたのかもしれない。マルクは少女の髪を無理やり引っ張り上げ、悲鳴でその声をかき消した。
ジェムが拳を振り上げた。
「届かせてみせようか」
「はっ! どうやって」
「――〈拳砲〉」
フック気味の右ストレート。
拳は肘が伸び切る前に止まり、――ガンッ! 見えない壁を殴りつけたかのような音がした。
飛ばした拳圧が弾丸となってマルクの顔のど真ん中をぶち抜いた。
ドゴンッッッ!!!
「――ッッッ!!??」
水筒と少女を手放し、マルクが後ろ向きに回転していく。いつまでも続くかと思われたでんぐり返しが止まって尻を天に突きだす形で静止する。
ジェムの遠距離砲に驚いていた部下たちもこれには思わず失笑したが、なかなか起き上がらないマルクに段々と血の気が引いていく。
ジェムがマルクから視線を切ると、今度は部下をぐるりと見渡した。
一言だった。
「失せな」
マルクの部下たちは、地面に伸びた仲間と班長を慌てて回収すると蜘蛛の子を散らすように遁走した。
瞬く間に無人となったエメット地区にジェムと少女の二人が取り残された。
「大丈夫か? ――ルッチ」
少女は涙をこらえて、うんうん、と大きく頷くと、照れくさそうに笑った。
お読みいただきありがとうございます!
よろしければ、下の☆に評価を入れていただけると嬉しいです!




