幕間『立ち話』
【幕間】
魔物の大群が押し寄せてくる数刻前――
王宮の会議室にはラザイ・バルサ国王と各大臣が揃っていた。議題には、難民の対応と復興支援策、辺境警備の在り方について等、喫緊の問題が上がった。
ヴァイオラが席を立ってからは重苦しい雰囲気が続いていた。第一王女は一貫して兵士の増強を提案していたが、それですべてが解決できるほど事は単純ではない。世界一の農産国であるアンバルハルがこの上軍事国家を標榜すれば世界のパワーバランスが崩れてしまう。神はそれを許すまい。
中原の【東域アンバルハル】
山岳の【大封リュウホウ】
海洋の【南境マジャン・カオ】
砂漠の【西邦ダカルマイル】
火山の【漠領ロゴール】
雪原の【北国ラクン・アナ】
これに【神都】を加えた七大国がこの世界を構成している。
それぞれの国家には地域の気候・環境に適した特色があり、アンバルハルにおいて『特産品』とは農作物を指す。他国で農業が一切できないわけではないが、生産性はアンバルハルに比べて著しく落ちる。逆に、他国で生産性が高いものはアンバルハルではほとんど取れない。七大国は貿易上の均衡を保つことで共存共栄を続けてきた。
軍事に特化しているのは【北国ラクン・アナ】である。豊かな魔石資源に恵まれ、魔法研究や武具開発にも優れ、世界一の軍隊を擁している。アンバルハルの軍備拡張に真っ先に異を唱えるとしたらここだろう。外交上、最も揉めたくない大国の一つだ。
「しかし、実際問題、我が国には魔物に抗する手立てがない」
「ラクン・アナから傭兵団を派遣してみては?」
「他国の兵を招き入れよというのか!?」
「辺境で暮らす村民たちは安心でしょうが……」
「我が国には王宮兵がおります! 警備隊もおります! 他国の兵に頼るなど、彼らにとって屈辱以外の何物でもありませぬ!」
「まあまあ。だからといって軍拡を進めればラクン・アナが黙っていない。いや、神がお許しにならない。さて、どうしたものか」
「魔王が復活したと王女は仰いましたが、これについてはどう思われますかな?」
「本当であれば外交など気にしている場合ではないね。国が滅べばそれまでだ」
「だが、魔物の生き残りがただ暴れているだけであれば、これを討伐すれば問題は解決する。軍備拡張をする必要もなくなる」
「王女が妄言を吐いている――と?」
「あの年頃はなべて夢見がちなものである。第二王女もまた然り」
「確かに」
「違いない」
「これ。王の前で無礼であるぞ」
大臣たちの視線が王に集まる。
「よい」
ラザイ王は大臣たちの軽口を聞き流す。
温厚な性格で平和をこよなく愛する世界最優の王――ではあるのだが、事なかれ主義と揶揄する声は近習の中からも聞こえていた。
ラザイ王が舵を切るのは最も角が立たない航路である。
「王宮兵を辺境警備に出し、魔物討伐には護衛騎士団を派遣する」
「まあ、妥当なところですが――ヴァイオラ様のご提案は如何なさいますか?」
「時機を見て検討しよう。まだ魔王が復活したとする確かな証拠がない」
第二王女が勇者を名乗っているが、父王はそれを信じなかった。
神は国を、土地を、力を、人類に与えたが、決して導いてはくれなかった。
ならば、ラザイ王にできることは波風立てぬ内政だけである。
◆◆◆
王宮兵千人隊長――リンキン・ナウトが王宮の通路を歩いていると、柱の陰に立っていた青年に呼び止められた。
青年は王族護衛騎士団団長――ケイヨス・ガンベルム。
貴族ガンベルム家の嫡子にして、護衛騎士団団長に歴代最年少記録を塗り替えて就任した若き剣豪。世が世なら勇者に選ばれるべき逸材であることは自他共に認めていた。
リンキン・ナウトがケイヨス・ガンベルムに向き直る。
「ガンベルム殿。如何なされた?」
「まだ王たちの会議は続いている。終わるまで千人隊長は隣室に控えていなくてはならないはず。貴公、どこへ行くつもりだ?」
親子ほどに歳が離れたケイヨス・ガンベルムの生意気な言葉遣いを、リンキン・ナウトは顔色一つ変えずに受け止めた。
「職務室に所用ができまして。終わる頃には戻るつもりです。それを言うならガンベルム殿こそ、騎士団長ともあろう方がラザイ王の側から離れ、このようなところで油を売っていてよろしいのですかな?」
「出て行かれたヴァイオラ様が気になってな。私は王族護衛騎士なのだよ。ラザイ王に限らず、王女も護衛対象だよ」
「ヴァイオラ様には専属の護衛が付いておりましょう」
「念には念を入れないと、だよ。彼女はまだまだお転婆なのでね。護衛を振り切って外遊なさることもしばしば。とても目が離せないのだよ。おっと、今のは失言だった。忘れてほしい。ラザイ王は王宮奥の厳重な警備が敷かれた会議室の中なのだよ。側に控えていてもこれといってやることはないのだよ。それよりも王宮内を見回っていたほうがまだしも有意義というものだよ」
ケイヨス・ガンベルムはそう言うと、ふっ、と愉しげに口許を歪めた。
「失敬。いま言ったことは嘘ではないが、ただの口実だ。貴公に用があったのだよ、リンキン・ナウト」
「私に? それは此度の魔物騒動についてですかな?」
「そうだが、もっと核心に迫る話だよ。我々王族護衛騎士団と、貴公が率いる王宮兵千人部隊。これだけの兵力でアンバルハルが守れると、貴公は本気で思われるかな?」
「それは……」
「私を含む二十四名の王族護衛騎士と、貴公が任されている千人余りの王宮兵。職業兵の総数はこれら千と五十一人だ。たったそれだけの人員しか国の盾はいないのだよ」
あまりに薄い盾ではないか、とケイヨス・ガンベルムは嘲笑する。
「……三万の警備隊をお忘れですか? 彼らも護衛・護身の武術を身につけております」
「詭弁もいいところだよ。彼らのはあくまで民の暮らしを『監視』するためのものだよ。他国の脅威に対する訓練は何一つ受けていないのだよ」
しかも、地方を領知する諸侯から兵を集めたとしてそれらは所詮烏合の衆。統率された兵団でなければ国防には向かない。
敵が魔族であればなおのこと、人間程度の個の力では到底太刀打ちできない。
「ガンベルム殿は軍備拡張に賛成なのですね」
「一介の騎士に意見はない。が、仕えるならば兵を重用する王がいい。それだけだよ」
たとえ王女の理想が叶わなくとも、剣を捧げるべき相手は決まった。
「ヴァイオラ様は王族護衛騎士団と王宮兵の地位を高めようとしてくださっている! これに報いずして何が忠義か! ――とね、柄にもなく熱くなっているのだよ」
「……」
「リンキン・ナウト。貴公が庶民の出でありながら今の地位にあるのはヴァイオラ様がお引き立てくださったからであろう」
「……私に何をさせたいのですかな?」
「何も。同調しろと言うつもりもない。私としては貴公を敵に回したくないのだよ。謹厳実直で知られ、王からも部下からも国民からも信頼が厚い貴公とはね。下手をすれば護衛騎士団と王宮兵で対立することになる。それは我らにとっても国にとってもよくないことだよ。そうだろう? 貴公はただ黙って見ていてくれるだけでいい」
「……私がお仕えしているのはバルサ王族にです。王族の決定に従うまで」
「いい答えだ。それを聞いて安心した。貴公を担ぐ愚か者が出てこないとも限らないのでね」
そのとき、リンキン・ナウトは初めて眉を動かした。
「担ぐと言えば、ヴァイオラ様の近くを妙な男がうろついておりますが、あれは?」
「占星術師アニだ。心配無用だよ。あの男はヴァイオラ様に多大なる影響を与えている。良くも悪くもね。それがヴァイオラ様の器を一層大きく育てているのだよ」
王族に忠誠を誓った男の目に敵意が宿る。
それをケイヨス・ガンベルムは見逃さなかった。
「リンキン・ナウトよ。しばし様子を見ようじゃないか。それでも貴公が占星術師を危ぶむようであれば、そのときは――殺せ」
リンキン・ナウトは目を伏せて通りすぎる。
王国の盾と矛のこの『立ち話』が、後に大きなうねりを呼び起こすこととなる。
(幕間 了)
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