勇者シナリオ⑨『背徳シスターべリベラ・ベル』その8
一通り行為を終えたエフィードン卿は寝台から離れ、満足げに葉巻に火をつけた。
べリベラはくたびれたフリをしながら息を整える。エフィードン卿の肉体は最後にまぐわったときから一切衰えず引き締まっていた。貴族でここまで自己管理を徹底している男も珍しい。自称女たらしは伊達ではないようだ。
「やはり君はいい女だ、リンベル。体の相性も最高だ。なあ、こんなところで体を売っていないで私の許にこないか?」
「お戯れがすぎます。わたくしのような小娘をからかわないでくださいまし」
「冗談なんかじゃないぞ。王都の私邸には妻も子もいるので無理だが、東にあるラングダールという町の持ち家に住んでもらいたい。あそこは自然豊かでね、偶にお忍びで羽を伸ばしに行くんだが、そこに君がいてくれると嬉しい。どうかな?」
言葉に迷っていると、エフィードン卿は「ゆっくり考えるといい」とあっさり身を引いた。手を引くのは強引なくせに進退を決めるのは女に任せる余裕を見せる。上手いと思った。男性として懐が広いと感じ、魅力的に見えてしまう。こうやって何人もの女を靡かせてきたのだろう。
彼とは大違い。
「ところで、君は今『ベル』と名乗っているそうだね? やはりリンベルとは何の関係もなかったということか」
「どういう意味ですか?」
リンベルが母の名前であることは誰にも知られてはいけない秘密である。べリベラはとぼけたフリをした。
「私はかつてリンベルという名の女性に恋をしたことがある。ザイク伯爵の愛人でね。どうしても私のものにしたかった。しかし、彼女はザイク伯爵の子を身ごもり、屋敷から追い出された。いや、自分から出て行ったと聞いた。世継問題に巻き込まれては堪らんと思ったのかもしれない。事実、ザイク伯爵は母子を辺境の山村に押し込もうとしていたようだ。逃げて正解だっただろう。私がそのことを知ったのは彼女が失踪してから一年後のことだった」
葉巻に口を付け、もくもくと煙を吐き出した。
「ずっと昔の話さ。だが、人の縁というのはおかしな具合に繋がっているものだ」
「?」
「数か月前のことだ。私はついにザイク伯爵の愛人のリンベルと再会した。彼女は初めて会った二十年前から変わらぬ美貌を湛えていた。そう、今の君のような色鮮やかな赤髪だった」
思わず身を起こした。
母と会った? 母は生きている?
「王都にある私邸の前の道で、彼女は私の顔を見るなり縋りついてきた。どうか助けてくださいとね。一目でリンベルだとわかったが、そのとき妻が一緒だったので私は彼女のことなど知らぬ顔で通り過ぎようとした。ところが、妻に『あなた、何だか可哀そうだからお話だけでも聞いてあげてくださいませんか?』と言われてしまってね。何せ、リンベルは赤ん坊を抱いていたんだ。妻が情けを掛けたくなる気持ちもわかるし、私も立場上市民を見捨てるわけにいかず、自宅に上げることになってしまった。ん? どうかしたのかい?」
べリベラは驚きのあまり目を見開いていた。
「赤ん坊?」
「ああ、そうだ。赤ん坊を一人胸に抱き、もう一人五歳の男の子の手を引いていた。着ていた服は高級店で誂えたような上質なものだったが、そこかしこが汚れていた。食事を出したらもう何日も口にしていなかったという勢いで食べ始めた。妻はどこぞの貴族の奥方が家を追い出されたのではないかと心配したが、私は逆だと思った。リンベルはまた逃げ出してきたのだ。そして、おそらく私のことを覚えていたのだろう。妻に不貞をバラされたくなければ言うことを聞けとその目が訴えてきた。私は言いなりになるほかなかった」
「それでどうなったのですか? その親子はまだエフィードン様のお屋敷にいらっしゃるのですか?」
「いいや、もういない。リンベルも、その子たちも。リンベルは翌日には家を出て行ったよ。挨拶もなしに。消えてしまった。幼い我が子を二人も残して」
「え!?」
「リンベルはね、子を産んでは捨てて、また別の場所で男に寄生するということを繰り返してきたようだ。何年も何年も。恐ろしい女だよ。私の家からいくつか宝石が盗まれていたが、残された子供たちの処遇に気を取られていて気づいたのは二日後のことだった。あれを売り払えばしばらく身を潜ませることは容易だろう。したたかな女さ」
「こ、子供のほうは」
「当然、二人とも修道院で預かってもらった。一生をそこで過ごすんじゃないかな。で、その手配をする際に知り合ったのがさっきの神父というわけだ」
エフィードン卿はくつくつと肩を揺らした。
「ここまでされたというのに不思議なものでね、リンベルへの怒りは湧いてこないんだ。むしろ、ますます彼女に惚れてしまった。もう一度会いたい。今度こそ私のものにしたい。だが、資金を手に入れたリンベルが表に出てくることはしばらくないだろう。そこで君だ。リンベルに顔立ちの似た君なら探せば見つかるのではないかと期待した。リンベルの一件がなければ君のことなど忘れていたし、神父とも出会えなかった。こうして再会することもなかったのだ」
話しているうちに気分が昂ってきたのだろう。灰皿に葉巻を押し付け、羽織っていたバスローブを脱ぎ捨てると寝台に登ってきた。横たわるべリベラに覆いかぶさり、再び屹立した一物を腹にこすり当ててきた。
「神の思し召しだったのだよ」
「……」
本当にそうなのだろうか。弟なのか妹なのか知らないが、その子供たちもべリベラも捨てられることが神の御意志だったとでもいうのか。だとしたら、神様はとんだ性悪である。
良縁どころではない。呪わしき運命だ。
「君のこともだぞ、リンベル。いや、いま名乗っている『ベル』と呼ぼうか。私が君を探さなかったら、ベルは今頃大変な目に遭っていたかもしれないんだぞ」
「何のことでしょう?」
「ふっ。まあベルには知る由もないことだがね。君、マジャン・カオから来た商人に付きまとわれていなかったかい?」
どくん、と心臓が跳ねた。
「付きまとわれてはいません。お手紙を頂いていただけで……」
「ああ、聞いているとも。何でもしつこく結婚を迫られていたらしいな。自分の立場も弁えず、外堀を埋めていくような遣り口で心優しいベルをかどわかそうとした。私はこういう輩が一番嫌いなのだ。強引に迫って言いなりにしたところで女を心から抱いたことにはならない。そうだろう? 客という立場を利用するなんて卑怯者のすることだ。男の風上にも置けん。鉱山送りで済んだだけでもありがたいと思ってほしいね」
「鉱山送り!? どういうことですか!?」
「おっと。口が滑ってしまったな。いや、ベルに感謝されたくてしたわけじゃないぞ。あのときはまだ君が探していた『リンベル』かどうかわからなかったからね。ただ、確認する前に連れ去られるのも癪だったのでね、少々強引な手を使ったよ」
どくん、どくん、どくん。
心臓がうるさいくらいに胸を叩く。
「教えてください! 彼をどうしたのですか!?」




