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勇者シナリオ⑨『背徳シスターべリベラ・ベル』その6


 拠点としている宿へと戻る道中、親方が呆れたように言った。


「おまえにあんな一面があったとはなあ。俺ぁびっくりだよ」


「僕もです。我を忘れてしまった。女性に入れ込むというのはこういう気持ちなのですね」


 女性に耐性がなく人付き合いの悪さまでこじらせた結果頑なになってしまったものとばかり思っていたのに、テト・チャオスの今夜の豹変ぶりはそんな評価を覆した。こいつはうぶで奥手なのではなく心を動かされる異性にこれまで出会ってこなかっただけなのだ。


 それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。


 だが、今夜のこの出会いはあまり喜ばしいものではないなと親方は確信している。


 何せ相手は女郎である。


 しかも巨額の借金まで背負っている。


 身請けでもしない限り一緒にはなれないだろう。


 そして、テトは商人としてはまだ見習いだ。


 自分ひとりで稼いだことなどないし、たとえ独立していたとしても女郎を身請けする「条件」には決して至れないだろう。


 商才云々の話ではない。人一人の人生を買うには金だけじゃなく貴族級の身分も必要になるからだ。


 それは売る側との信頼関係を保証するだけでなく、『保護』という体裁を繕うのに欠かせないものだった。


 この世界では『奴隷商』は禁止されている。


 いたずらに人の売買が行われればそれは神の教えに背くことになる。


 だが、貴族が孤児を『保護』するのは許容されている。


 それは美徳として捉えられ、神もこのときばかりは金銭での取引には目をつぶる――という建前の下、違法にはならない。


 一般人では駄目なのだ。


「僕、彼女を身請けします。何年掛かっても」


「本気か?」


 テトはこのときようやく照れて顔を赤らめた。


「僕、あまり人前には出ませんが、お店のお客さんの顔ならよく知っています。宝石を求める方は高貴な女性がほとんどです。育ちが良いのはもちろんお顔がキレイなのもわかります。けど、ベルさんのような美しいひとは見たことがありません」


「そうかあ? いや、さっきのお嬢ちゃんは確かに可愛らしかったが、別嬪さんは他にもいるぞ?」


「だったら、僕は彼女と出会うために生まれてきたのだと思います。他の女性が霞んでしまうほどに僕には彼女だけが美しい」


 こりゃ何を言っても無駄だな。親方は諦めた。


「明日も彼女を指名します。明日が駄目なら明後日も。必ずベルさんにうんと言わせてみせます!」


「……まあ、頑張れ」


 若気の至り。そういう時期は誰にでもある。


 痛い目を見て大人になるのもいいだろう。


 親方は息巻く若者の背中にかつての自分を重ねるのだった。


「ただし、奢るのは今晩だけだぞ。あとは自分の手持ちだけでなんとかしろよ」


◇◇◇


 そして、あっという間に二週間が過ぎた。


 テト・チャオスが通ったのは最初の二晩だけだった。見習いの薄給では一晩が限界だったのだ。


 しかし、次の日からはべリベラ宛ての手紙を持ってきた。


 客引きも最初のうちは乱暴に拒否していたが、翌日には持ってきた手紙は二通になり、さらに翌日には三通になり……こんな調子で一週間も続けばさすがに情が湧き始め、ゼッペ滞在の最終日前日になってようやく手紙をすべて受け取った。


 そして最後の挨拶に訪れたとき、べリベラは姿を現した。


「ベルさん! 会いたかったです! 僕、これからマジャン・カオに帰らなくちゃならないんです。だからその……返事を聞かせてください」


「……」


 正直、どう答えていいかわからない。


 客引きの言うように相手をその気にさせて次回の金蔓にしてしまうのも一つの手だ。何もこの瞬間に決断しなければならないというわけではない。


 というより、何を迷うことがあるのか。


 べリベラが言うべき言葉は一つだけだ。


「どうぞまたご利用くださいませ。いつでもお待ちしております」


 あくまでも他人行儀で。


 それが一番テト・チャオスには堪えるはずだ。


 しかし、


「はい。また来ます。今度はベルさんを迎えに」


 笑顔を咲かせた。


「諦めませんから。絶対にまた会いに来ます。約束します」


「約束……」


「だから、そのときにまた返事を聞かせてください」


「……道中、お気をつけくださいませ」


 約束は――しない。


 そう言って迎えに来た試しはないから。


 出立する寸前、テト・チャオスが「最後に」と聞いてきた。


「ベルさんの本当のお名前は何ですか?」


「……リンです」


 咄嗟に嘘を吐いた。


 考えてのことではなかったが、まだ信用ならなかったのだ。


 彼のことも、自分にも。


 テト・チャオスは満足げに頷いた。


「リンさん……。ええ。その美しい響きは確かに貴女にとてもよくお似合いです」


 最後まで歯の浮くようなセリフを吐き散らかしてテト・チャオスはゼッペを後にした。


 遠ざかる馬車を見送って、客引きが苦笑を浮かべた。


「あーあ……。あの坊や、これから大変だぞ。ベルちゃんが誑かしたりするから」


「人聞きの悪いことを言わないでください。わたくしは別に何も」


「……ベルちゃん、もしあの坊やが本当に身請け金持ってきてもついていったりしないよね?」


「しません。ですがまあ、次またご指名があれば今度は精一杯愛して差し上げます」


 結局、テト・チャオスとは最後まで体を重ねることはなかった。


◇◇◇


 一週間後、マジャン・カオから手紙が届いた。


 テト・チャオスからだ。


 その日から毎日のように手紙が送られてきた。


 べリベラへの愛を綴り、その日に起きた出来事を報告した日記のような内容だ。


 読み込んでいくうちにテト・チャオスの人柄が見た目通りだったということがよくわかった。


 彼も「いいひと」だ。


 べリベラのことを真剣に想ってくれている。


 わからない。


 愛するということがどういうことなのか。


 わからない……


「本当に迎えに来てくれますか?」


 約束を――


 守ってくれるのですか?


 忘れかけていた母の顔が脳裏にちらついた。



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