勇者シナリオ⑨『背徳シスターべリベラ・ベル』その5
【南境マジャン・カオ】のルカカ島にはこんな言い伝えがある。
太陽の化身マーグの娘コキは人の姿に化けて地上で暮らしていた。
しかし、夜になればその髪は真っ赤に燃えて暗闇を払拭する。
コキの秘密を知った村人はコキを迫害し、傷心したコキは海へと身を投げた。
以来、ルカカ島周辺の海域では海面に映る太陽が真っ赤に染まる現象がたびたび起こるようになる。
それはコキの悲しみを表し、また、それでも人を慈しむコキからの大漁の兆しでもあった。
◇◇◇
「『赤髪のコキ』は僕にとって理想の女性像なのです。ルカカ島の女性はみな黒髪ですが、南部にはベルさんのような赤髪を持つひとは珍しくないそうです。きっとそちらから流れてきたひとを題材にした昔話なんだと思います。そしてベルさんはもしやマジャン・カオ出身の方ではありませんか?」
「……さあ。わたくしは父も母も知りませんので」
孤児であったことまで晒す。しかし、
「そうでしたか。だったら、僕と家族になってください。これまで寂しかった分、僕が愛情を注ぎますから」
いくら断っても求婚し続けるテト・チャオスにどこまで言葉を費やせば諦めてくれるのか、もはや根競べのような状況であった。
高級宿の一室である。裏路地から移動して、テト・チャオスがやる気になったと見てしけこんだ部屋ではしかし、行為は一切行われずに延々と口説き文句が並んでいた。
愚痴や悩みを口にする客は多いし、口説いてくる人間ももちろんいる。
だが、ここまで熱心に求婚してきた男は実のところ初めてだった。
というのも、べリベラがこれまで相手にしてきたのは貴族や上級職に就いている要人、ゼッペに来てからも客引きの男が選別した家庭持ちか小金持ちばかりだった。それなりに身分があるので下手な真似はしないし、そもそもべリベラをどうにかしたいと考える輩がいなかったのだ。
今回は童貞の男を一人前にしてやってくれという、割とありふれた依頼であった。行為後はべリベラに感謝はしても入れ込む男はいなかった。
いくら容姿が整っていても所詮は女郎、しかも所場代という借金付き。
重すぎる条件に目が覚めて二度と指名されることはない。
だが、テト・チャオスは行為をする前からこの調子である。初めての相手を特別に思うことは普通だが、彼とはまだキスすらしていなかった。
一体何が彼をそこまで熱くさせているのか。昔話がどうこう言っているが本気だろうか。
理想の女? わたくしが?
「わたくしがこれまで何人の殿方とまぐわってきたと思っているのですか? 百人から先は数えていません。回数に至ってはその数倍です。こんな汚らわしい女をそれでも娶るおつもりですか?」
「当然です。貴女がこれまで誰と愛し合っていたかなんて僕にはどうでもいいことです。これからの話をしましょう。僕はいずれ親方の許から独立してお店を構えるつもりです。何年先になるかわかりませんが、貴女が隣に居てくれれば僕は幸福を感じられるでしょう。絶対に苦労はさせません。貴女のためなら死んでもいい」
「いえ、それはちょっと……」
結婚しておいて死なれては困る。
いやまあ、そんな気はないのだけれど……。
「愛しています。どうか僕のお嫁さんになってください」
「わ、わたくしには借金があります。ここから離れることはできません。だから」
「金額はいくらですか? 僕がお支払いします。どんな手を使っても。貴女を手に入れられるのであれば何だってします!」
「……」
結局、終了時間が来るまで口説かれた。
◇◇◇
宿を出てもまだ言葉が尽きないテト・チャオスを、迎えに来た親方が首根っこ引っ掴んで無理やり連れて行った。
べリベラは頭を下げて見送り、角を曲がって見えなくなったところで思わず大きなため息を吐き出していた。
「ベルちゃんをここまで悩ますとは大した客だよ」
やってきた客引きが可笑しそうに言った。
「聞いていましたよね。お部屋での会話」
「もちろん。いつもどおり天井裏に用心棒を待機させてた。今回は俺も上ったが、あんな客は初めてだ。相当ベルちゃんにお熱のようだ」
「また来るでしょうか?」
「来てくれたら言うことないねえ。親方から聞いた話だとあと二週間はゼッペにいるらしい。ベルちゃんが思わせぶりに話を合わせてくれりゃ毎日だって通うかもな。そうなれば大金がっぽりだ。いいカモが付いてくれたじゃねえか。最高だぜ」
「わたくしは気が重いです」
「なあに、もし付きまといになってもこっちで処理してやるから安心しな。ベルちゃんはあの坊やをヨイショすればいい。行為しないで済むんだから楽でいいだろ」
行為をしたほうがまだしも楽だったと思う。こんな気疲れは生まれて初めてだ。
それに、その……
「人を愛するとはどういうことなのでしょうか? わたくしにはわかりません」
「そんなもん人それぞれさ。愛し方も愛され方も。あの坊やがベルちゃんに尽くしたいってんなら素直に愛されればいい。そんで、ゼッペから出ていくときには彼らの有り金を全部むしり取っちまえ」
それが愛ってもんだ、と客引きはいやらしそうに嘯いた。べリベラは適当に聞き流す。
行為中の睦言であれば気分を盛り上げるための世辞として受け取れる。
けれど、彼はずっと心を尽くして訴えてきた。
愛していると。
気味が悪い……
「ベルちゃん、顔が赤いが大丈夫か? 疲れたんじゃないかい?」
「そう……ですね」
胸が早鐘を打っている。
こんなことは初めてだ。




