勇者シナリオ⑨『背徳シスターべリベラ・ベル』その4
商業都市ゼッペには異国の商品が多く流れてくる。貿易商は各国の珍品名品を手品のように店前に披露し、競りを行うようにして道行くひとと値段交渉、どさくさに紛れて大声で商品を喧伝する。そんな光景があちこちで繰り広げられ、物珍しさから人々が殺到するものだから、目抜き通りはいつもお祭りのような賑わいを見せている。
それは夜であっても変わらない。いや、酒の屋台が出る分、喧噪はますます加速しているようだ。そしてまた闇に紛れるのをいいことに、売りに出される商品にも違法性が付与され始め、それを求める客の執着が異様な熱気を生み出している。
これが日常だと言ったところで田舎から出てきたおのぼりさんはおそらく信じようとはすまい。慣れるのにも数回は足を運ぶ必要があり、本業の人間だとてキョロキョロしていれば一目で新入りだとわかる。
「いやあ、いつ見てもすごい市ですよね。アンバルハルじゃないみたいだ」
メガネをかけた優男が賑わいに圧倒されながら感嘆した。
「はっはっは! おまえは毎度同じ反応をするなあ! 少しは慣れろ! 何回来てると思ってんだ!?」
新人じゃあるまいし、と隣を歩く恰幅のよい男がバシバシ肩を叩く。メガネははあ、と照れ臭そうな笑みを浮かべた。
「すみません、親方。会計係の自分には市場ってところは戦場みたいで落ち着かないんです。ここはその中でも特に激しい。合戦のど真ん中って感じです」
「うまいこと言うねえ! 油断してたら命を取られるってのはまさにそのとおりだ! ここでの商売に失敗したら首をくくるっつー覚悟がなきゃいけねえ! ま、この雰囲気に飲まれているようじゃおまえはまだまだってことだがな!」
「ですから自分は会計係で、ヒトじゃなく数字を相手にしているんです。普段引きこもっている自分にはヒトが五人以上いる場所は目が回ってしまいます」
「そりゃ俺だって税対策だの損益計算だのいきなりやれって言われてもよお、おまえに任せっきりなんで困っちまうだろうが。俺は何も商談させたくておまえを連れ出したわけじゃねえんだぞ? せっかくマジャン・カオから遥々海を渡ってやってきたんだ。おまえにもここでの醍醐味ってやつを堪能してもらいたいんだよ」
二人はマジャン・カオで店舗を構える宝石商だった。
【南境マジャン・カオ】は大小さまざまな島からできた島嶼国家である。漁業が主な産業で、サンゴや真珠といった装飾品も多く採れる。また、鉱山があり宝石の産出も盛んだ。
農業大国であるアンバルハルは最も密接な交易国だ。特にゼッペのような巨大市場にはその他の地域から来る行商人も多いので商談の機会は豊富にある。
親方は定期的にゼッペを訪れては大口取引をまとめていた。
そして、三回に一回は会計係のメガネを連れていく。それは彼を弟子にして以来扱き使ってきたことへの労いのつもりであった。
いずれは独立していくメガネにヒト慣れさせておこうという腹積もりもある。
「それにおまえ、まだ女を知らんだろ?」
親方がいやらしい笑みを浮かべて突っ込んだ。
メガネはレンズを光らせると、クイッとメガネフレームを持ち上げた。
「経験ありませんがそれが何か? 逆に知っているから何だと言うんです? というか、それって今重要なことですか?」
「……急に早口になりやがって。そこまで警戒することねーだろ」
「別に警戒しているわけではありません。興味がないだけです。もしそういった目的で連れ出したのなら僕はもう宿に戻ります」
「まあ待て。待てったら! 本当に帰ろうとするな!」
親方はメガネの腕を咄嗟に掴むと、呆れたように首を横に振った。
うぶなのは年が若いので仕方ないにしても、こういった話題になると頑なになるのは一体何が原因なのか。自分の若い頃は異性のことで頭がいっぱいだったのになあ、と親方は不思議でならない。
これまでにも何度か誘ったことがあった。しかし、その度にメガネは嫌な顔をする。本人が嫌がっている以上無理強いする気はないのだが、いつまでもこのままというわけにいかなかった。女の一人も口説けぬようでは一人前の商人にはなれない。魑魅魍魎が跋扈する商人の世界で生きてきた親方だからこそ確信をもって言えるのだ。せめて一度経験してみて度胸が付いてくれたら嬉しいのだが。
「行きませんったら!」
メガネは折れない。
親方は深いため息を吐いて肩を落とした。
「しゃーねーなあ。わかったよ。騙すような真似して悪かったな。お詫びに後で酒をおごってやる。そっちならいいだろ?」
「……まあ、それでしたらお付き合いします」
「その前に、昼間に出会った客引きの兄さんに断りを入れんとな。向こうはすでに娘を連れて待っているはずだから、遊ばないにしても迷惑料も上乗せして支払わにゃならん」
「もうそんな準備をしていたんですね。一体いつの間に……。――ていうか、え? お金を払うんですか? 遊んでもいないのに?」
「当然だろう。貴重な時間を奪ったんだから。遊びの話だけじゃない。こういうことは商売上の信用に関わるし、どこで誰が見ているかもわからんからな、きっちりしておくに限る。よし。俺が勝手にしたことだが、おまえも一緒に来い。いい機会だからそっちの業界も勉強しておけ。知識として知っておいても損じゃないだろう」
「わかりました」
メガネが渋々承諾すると、二人は喧騒から外れた裏路地に入っていく。
一見してどこにでもある夜の路地だが、一本通りを挟むだけで「管理者」が異なることなどメガネはもちろん知らないし、そこに立つ女たちが同じ「管理下」にあることまでは親方とて知らない。昼間に会った客引きとやらが、昼間と同じ場所に立っていたならそここそ客引きと嬢のシマということになる。
親方は迷うことなく目当ての路地に行き着き、暗がりに声を掛けた。
「待たせたかい?」
「いやいや、時間ピッタリですよ」
ランタンの火が暗がりに灯り、中年男とうら若い乙女の姿が浮かび上がった。
「それで、後ろの色男ですかい? おっとっと。うちの看板娘にお似合いのいい男じゃないですか。こいつぁいい夜になりそうですね。へっへっへ」
「あー、いや、……そのことなんだけどな。すまんが、取り消しちゃもらえんかな。もちろん金は払うが」
「おや? よろしいんで? 事前でも半額は頂きやすが」
「半額とはむしろ良心的だな。時間を取っちまったんだ。それくらい支払うさ。そっちのお嬢ちゃんも悪かったな。仕事を一つ潰しちまって」
「いいえ。お気になさらないでください。これも何かの縁でございましょう。次があるのなら是非またお声掛けくださいませ」
そのとき、メガネがふらりと前に出て娘の正面に立ち、不意に娘の手を取った。
「あ、あの」
娘の困惑した声に被さるようにして言った。
「結婚してください」
誰もが目を丸くした。耳を疑ったし、親方ですら何の冗談かと訝った。
メガネは握った手を掲げると、今度ははっきりと求婚を口にした。
「結婚してください。僕――テト・チャオスの名に懸けて、生涯貴女のことを愛し守り抜くことを誓います」
まだ女の名前すら聞いていないというのに。
だが、テト・チャオスにとってはどうでもいいことであった。一目惚れだった。彼女にまつわる情報なんて何の意味も持たない。
愛すべきひとに出会った。
それで十分だった。
炎のように美しい赤髪をその目に映し、テト・チャオスは陶酔しきった面持ちを彼女に向けた。




