勇者シナリオ⑨『背徳シスターべリベラ・ベル』その2
ワケアリの子供が身一つで食べていくには娼婦以外の道はなかった。
しかし、べリベラは悲観しなかった。性技には自信があったし、男を惹き付ける顔と体をしていることも自覚している。何より、ひとから情報を得るには身も心も虜にしたほうが手っ取り早いと知っていた。
貴族を相手にしている高級娼館の門を叩く。
出迎えたのは中年の女性でここの店主だった。
べリベラの汚い身なりに顔をしかめたのは最初だけで、泥を落として以降はまるで宝石の原石を見つけたかのように上機嫌になった。
手始めに小間使いとして雇われたものの、十日と経たずに売りに出され、一月が過ぎた頃には太客が何人も付いていた。
べリベラの年齢と美貌に惹かれる変態は後を絶たない。
べリベラはあっさりと高級娼館の稼ぎ頭に上り詰めていた。
娼館暮らしも半年ほどが過ぎた頃、それは突然訪れた。
「さすがはリンベルさんです。あんなにご満悦なエフィードン卿を見るのは初めてです。次回も近いうちに来てくださるそうですよ? 一体どんなおもてなしをなさったのですか?」
店主が、今し方相手をした男性の様子を報告しにやってきた。チップまで弾んでもらったようで、店主の笑顔もいつも以上にホクホクである。
「そうですか。喜んで頂けたようで何よりです」
「それでその、エフィードン卿がどうしてもリンベルさんを身請けしたいと仰っているのですが……どうします?」
身請けとは娼婦を金で買って専属として囲うことを意味する。大半が愛人としてだが、妻にと考える貴族も中にはいるらしい。
身請けすれば当然娼婦を辞めることになり、娼館からも出ていかなくてはならない。
「あら? 主様はわたくしを追い出したいのですか?」
「めめめ、滅相もない! できればリンベルさんにはずっとこの館で働いていてもらいたい! ですが、ねえ? 私の立場では何とも……」
実は、店主もまた娼婦上がりであり、べリベラたちと同じ雇われの身であった。
オーナーは別にいる。しかも、かなりの権力者だという。娼館の利用客が貴族ばかりであるのにはそれなりの後ろ盾と信頼があるからで、そんな事情も客から教えられて初めて知った。
オーナーとエフィードン卿のどちらが格上かは知らないが、雇われ店主如きが口を挟める問題でないことくらいは理解できる。店主の立場上、べリベラの口から断ってほしいというのが本音であった。
「わかりました。では次回お会いしたとき、主様から勧められたことも報告した上でお断りさせて頂きます。わたくしはお金のためでなく、わたくしを拾ってくださったこの館にご恩返しがしたくて働いております。ですから今はまだ辞める気はありません――と、そうお伝えいたします」
いくら大金を積まれても靡かないぞ、という意思表示でもある。店主は安心したように肩から力を抜いた。
「ありがとうございます。それでお願いしますね。ああ、お仕事お疲れさまでした」
取ってつけたような労いの言葉を口にすると、店主は部屋を出ていこうとした。
ふと、思い出したように。
「そういえば、エフィードン卿はリンベルという名前にも興味を示していましたが、リンベルさんのこのお名前って偽名ですよね?」
「……」
「ああっ、余計なことを言いました! 大丈夫ですよ! 偽名で働いている子なんて珍しくもなんともありません! 私、詮索する気なんてありませんからね! ですから、ここを出ていくとか言わないでくださいね!」
「言いませんよ。わたくし、主様を実の姉のように慕っているのです。そのようなお気遣いは悲しくなります」
「ああっ、ごめんなさい!」
「ですから、教えてください。このリンベルという名前はマズいのですか?」
「さあ? 私はエフィードン卿に訊かれただけで、貴女以外にリンベルという方を知りません」
「何を訊かれたのですか?」
「昔、ザイク伯爵の愛人に同じ名前の女性がいたらしく、貴女がその関係者かどうか訊ねられました。エフィードン卿はそのリンベルさんのことがいたくお気に入りだったそうです」
愛人の交換という悪趣味な行為で知り合ったそうだ。
同じ赤毛だったとも話していましたね――と、店主は何でもないことのように付け加えた。べリベラにはそちらのほうが聞き捨てならなかった。
赤毛でリンベルという名前。しかも、貴族に囲われた愛人。そんな女が同じ界隈に何人もいるとは思えない。
母親だ。間違いなく。ついに突き止めた。
べリベラは母の名前を名乗って客の反応を見ていた。身バレする恐れがある危険な賭けではあったが、リスクが高い分得られた情報もまた大きかった。
ザイク伯爵……。おそらく、その男こそべリベラの本当の父親。
それさえわかればもうこの土地に用はない。
一刻も早く伯爵の力が及ばない場所に高飛びしなければ。
「まあ、偽名であることはお客様も十分ご承知でしょうから、気にされることはありません。何だったら名前を変えたっていいですよ。星読みに頼んで見てもらいますか? 今の時間ならまだ表にいると思いますし」
「いいですね。占ってもらいたくなりました。良い方角はどちらか」
「方角ですか? 名前でなく?」
「名付けの参考にしたくて」
「なるほど。では、見てもらってきますね」
その日の仕事が全部片付いた後、店主から「北がいいらしいですよ」と占い結果を教えてもらった。
北か……。
北には大きな町――王都がある。身を隠すには絶好の土地である。
「はい。参考にいたします」
その晩、べリベラは娼館を出ていった。




