《エンド》
魔王様の声が脳内に響き渡る。
反響する詠唱が魂の一部に火をつけた。
もはや神父が残した呪いも気にならない。外側の痛みは内側から湧き上がる衝動に押されて掻き消えた。死への秒読みは止まっていないのに、ナナベールは腹の底に生命力のようなものが芽生えてくるのを感じていた。
(うちはこれを知っている――!)
たとえば鳥は、自身に翼があることを意識しているだろうか。
ヒト種族が二足歩行し、時には走り、気まぐれに足の指と指の間に物を挟んで器用に動かしたとき、それを特別なことだと思い込むだろうか。得手不得手の差はあってもそれは出来て当たり前のことでいちいち意識することではないはずだ。
出来る――という事実を思い出す。
あとは呼吸をするように簡単だ。
意識せずとも行使できる。
この身は魔法窯の中で生み出されたホムンクルス。魔法の申し子にして魔力渦の化身。ソレを宿命づけられて生まれてきた。
赤魔女――《エンド》の担い手。
◇◇◇
風が巻き起こり、礼拝堂内に稲光が走る。
緊張に身を固くしたのは勇者側陣営のみならず、クニキリとパイゼルも同様だった。異様に膨れ上がった魔力の波動が、暗闇の中であっても見えそうなほど分厚い圧迫感を周囲にまき散らす。広いと思われていた礼拝堂ですらあの魔力量を閉じ込めるには手狭すぎる。動力源に過ぎない魔力でこれだけの質量を伴うならば、魔法へと変換されたとき一体どれほどの被害が及ぶのか。礼拝堂は容易く崩れ去るはずだ。敵も味方も一切を巻き込んで消滅せしめる威力があるのは間違いない。加えて、術者はあの赤魔女。手加減も手心も知らぬとばかりに嬉々として死神の鎌を振るうことだろう。
「逃げましょう! 早く!」
そう叫んだのはアザンカだ。足の治癒は完全ではないが、這いずるくらいならもうできる。ルーノとクレハを両手に抱き、べリベラ・ベルに呼びかける。
「勇者様! ここは一旦引きましょう! 私たちの使命はあなたを戦場から生きて返すことです! 魔物退治よりも門の死守よりも、何より優先されるのは勇者様の命! 勇者様さえ生きていればたとえこの場を譲っても後で奪還する機会は必ず巡ってきます! だから、どうか私たちと一緒に来てください!」
しかし、べリベラ・ベルは首を横に振った。
「ここで引けば神父様の死が無駄になってしまいます」
その一言に、アザンカはカチンときた。
「ここで死ねばそれこそ神父様は犬死です! 赤魔女があれだけ弱っているのは誰のおかげですか!? 今このときのために神父様は死力を尽くしてくださったんですよ! 私たちを、貴女を助けるために! ここで逃げ切れなかったら神父様に合わせる顔がありません!」
目を怒らせるアザンカに、べリベラ・ベルは思わず笑みをこぼした。
「貴女は大変『いいひと』ですね。貴女になら任せられそうです」
「何を……」
「あの魔法はまもなく放たれます。全員で逃げるにはもう時間がありません。ですが、誰か一人が的になればその隙に他のひとは逃げ切れるかもしれません」
「だから、何の話をしているんですか!?」
「ルーノ君を守ってください、と言っているのです。貴女が私を守りたいと思うように、私にもそこの魔導兵を守る義務があるのです。――いえ、約束ですか。なので、ここは私が引き受けます」
礼拝堂の壁に両開きの扉が現れた。
扉が開き、中から無数の黒い手が生え出てきた。闇魔法 《シャドークロー》を応用して編み出した影の従者 《シャドーハンド》。
「わあ!?」
「きゃあ!?」
「こ、これは……っ」
実体をもった影がルーノ、クレハ、アザンカの体を掴み上げると、扉の中へと引っ張り込む。
「扉の向こうは王都中心部に繋がっています。移動には時間が掛かりますが、一旦扉の中に入ってしまえばこの空間から切り離されます。どんな魔法の影響も受けないはずです。安心してください」
「じゃあ、勇者様も一緒に!」
「私が一緒では扉ごと破壊されて礼拝堂に引き戻されてしまう恐れがあります。大丈夫ですよ。扉は私が守ります」
そのとき、赤魔女が高らかに呪文を唱えた。
==名を持たないが、無数の名を与えられし者よ==
==どこにもなく、どこにでもある者よ==
==不滅でありながら、不変ではいられぬ者よ==
==時間に縛られず、季節に囚われる者よ==
==すべての始まりにして、すべてを終わらせる者よ==
==知り得ぬ神秘にして、皆に知られている者よ==
==来たれ 来たれ 来たれ==
==汝が強さをよこせ 汝が光を起こせ 汝が支配をもたらせ==
==我が望むとおりかくあるべし==
ぞくり、と全員が背筋を凍らせた。
ルーノが声を張り上げた。
「こ、これ、たぶん召喚魔法だよ! 前に王宮にあった魔導辞典に似たような詠唱が書いてあるの見たことある……! でも、あれよりも強いよ……っ! 言葉に力がある……っ! こ、こんな強力な魔法、信じられないよ……っ!」
クレハも体を震わせて絶望しきった顔を見せる。
無理だ。どんな勇者でもこの魔法には耐え切れない。アザンカは扉に引っ張り込まれる最後の瞬間まで、懸命にべリベラ・ベルに手を伸ばした。
「勇者様!」
遠ざかる背中が涙でにじむ。
まもなく視界まで真っ暗闇に閉ざされ、アザンカたちは完全に礼拝堂から追い出された。
◇◇◇
闇の扉はアザンカたちを飲み込むとその場から消えてなくなった。
べリベラ・ベルはアザンカたちを守るように両手を広げた。
「来なさい! 赤魔女! 私はここです!」
「きひひひひひひひひひひひひひひひひ!」
気が狂ったような笑い声。
ナナベールは満身創痍だった。手足だけじゃなく胸の骨まで肉体を突き破って外気に晒されている。いまだ心臓に突き刺さっていないのは奇跡としかいいようがないが、生き物としてならいつ死んでもおかしくない状態であった。
獰猛な笑みを湛えて、吠えた。
「上等ォオオオオ――――ッッッ!! 《エンド》の威力試させてもらうぜぇーっ!!! 手加減できねーからそのつもりでなぁああああああ!!!!」
《エンド》――
神代の頃に生息していたとされる幻獣たち。人類の創造主たる神は、幻獣の凶暴性と破壊力が地上を滅ぼすことを危惧し、彼らを異界へと転送した。
北国ラクン・アナの古代魔導士たちはこの失われた歴史を紐解くと同時に、幻獣をこちらに招く門を編み出してしまう。
それが召喚魔法 《エンド》の正体である。
ナナベールの全身から赤い霧が噴出する。大量の血液が大気に噴霧されたのだ。この血液こそが召喚にかかる代償であり、幻獣との魂の契約を履行する。
==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==
血霧がまるで赤い頭巾を表した。その姿を指して魔導士たちは畏敬を込めてこう呼んだ。
赤魔女。
「顕現せよ――《スカジ・エンド/雪華の終末》!!」
異界の門が開く。
ナナベールの背後の空間に亀裂が生じ、瞬く間に巨大な孔に拡がった。
孔からは紺碧の雪風が吹き出し、その中を泳ぐようにして一体の巨人が宙に躍り出た。
虹色に輝く巨人。ヒトの目では認識できないソレこそ異界で今なお猛威を揮う幻獣の姿であった。
姿形は人類に近い。乳房や腰の丸みから女体を連想させる。だが、手足の先は毛細のように枝分かれしており、生物としてでは推し量れない生態を為していた。
冷気が礼拝堂内の空気を凍てつかせる。
召喚されたからにはその力を解き放つまで帰還しない。
巨人は契約者の赤魔女を視認すると、対峙する勇者に明確な敵意を向けた。
北国を雪で閉ざした極大氷結魔法――《巨人の息吹》がべリベラ・ベルに降りかかる。
巨人には息吹でもヒトにとっては暴風であり、編まれた魔力量は宇宙の法則を歪ませるほどに極大であった。ひとたまりもなく息吹を浴びた個所は永久凍土に閉ざされ、べリベラ・ベルもまた氷柱の中に縫い付けにされた。
「――――、…………」
悲鳴一つ上げることなく、血しぶき一つ上がることなく。
シスターの勇者は絶命した。
◇◇◇
『ナナベールは《エンド》を使った!』
『べリベラ・ベルに大ダメージを与えた!』
『1102』
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ベリベラ・ベル LV.17
HP 0/600
MP 156/200
MTK 93
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『べリベラ・ベルをやっつけた!』
「…………!」
メッセージウィンドウに流れるテキストをゆっくり読んで実感を得る。
ナナベールに《エンド》を使わせた。今度こそ私の力で。
達成感と充実感。
そして、ちょっとばかりの罪悪感。
でもいいのだ。
これはお兄ちゃんが始めたゲーム。最初からすべてが破綻している。
私は少しいい子過ぎたみたい。大好きなゲームだからとどこか遠慮してたんだ。空気を読むってことを無意識に大事にしていた。
馬鹿馬鹿しい。
なんてったって私、魔王だよ?
だったら、――好き勝手やらしてもらうわよ。
「覚悟しててよね。お兄ちゃん♡」
こっからは本気出す。
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ナナベール LV.15
HP 53/400
MP 68/390
MTK 77
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クニキリ LV.15
HP 11/526
MP 18/40
ATK 99
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パイゼル LV.13
HP 112/680
MP 80/100
ATK 101
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◇◇◇
戦闘終了のファンファーレが鳴り響く。
――神父サンポー・マックィンをやっつけた!
――シスターべリベラ・ベルをやっつけた!
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第一章第四ステージ『王都アンハル~勇者討伐~ ―西門の戦い―』終了
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