サイレント・ベル
神父が与えた好機である。神の采配に違いないと受け入れて、べリベラ・ベルは闇属性魔法 《シャドークロー》をその腕にまとわせた。
うずくまる赤魔女ナナベールを見下ろす。持ち上げた右手を振り下ろすだけでその首を刎ねることができる。
これまでにも多くの人の命を奪ってきたのだ。
今さら殺生への迷いが生じることはない。
「――っ!」
はっとして顔を上げる。
魔忍とホムンクルスが祭壇から降りて魔導兵の少年の許へと走っていくではないか。
べリベラ・ベルは不機嫌そうに目を細め、右手をそっと下ろすと《シャドークロー》を解いた。
赤魔女の脇をすり抜けて魔導兵ルーノの盾になりに駆け出した。
(赤魔女は神父さまの呪いを受けて動けない。放っておいても間もなく死ぬことでしょう)
是が非でも神父の仇討ちがしたかったわけじゃない。神の采配というのも言葉の綾だ。最後に行動を決めるのは自分の意志でしかないということをべリベラ・ベルは深く心に刻み込んでいる。
(運命だとか偶然だとか、そんな不確かな要素で心を挫いてしまうのは意志が弱い証拠です。神父さまの意志が強ければ赤魔女はこのまま死ぬはずです)
呪いとは意志の強さがそのまま反映されるものである。なんとしてでも殺したいという願いが相手を死へと追い込むのだ。失敗はすなわち意志の弱さの証明だ。
(ルーノ君を助ける。私はその意志を曲げない。だって、約束したから)
約束は守るもの。
もし破られることがあれば、それは初めから守る気がないということ。
意志が弱ければ果たされない。
何が何でも守り通すという意志が、約束事を成就させる。
できもしない約束は絶対にしてはならない。
約束は呪いだ。
だから――、べリベラ・ベルはまたしてもルーノの危機に間に合った。
「喰らえっ!」
クニキリはMPを『5』消費する攻撃忍法――《火遁の術》を繰り出した。
べリベラ・ベルがクニキリの口から噴出された火を交差した両腕で受け止める。
防御待機していたべリベラ・ベルに大したダメージは与えられない!
『22』
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ベリベラ・ベル LV.17
HP 578/600
MP 156/200
MTK 93
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「勇者様……」
アザンカの治癒の途中だったルーノは、片膝を立てた状態でクニキリに対処しようとしていた。片手で治癒魔法を行使し、もう一方の手で防御魔法が展開されている。光属性魔法の《ライトプロテクト/光壁》だ。魔導兵は誰も《火遁の術》のダメージを負っていなかった。
一瞬のうちに魔法を同時に行うだなんて……この子供こそ神の子かもしれない。
「占星術師様がなぜ君を守れと言ったのか、今ならわかります。君はここで死ぬべきじゃない。君たちはもう私のそばから離れてはいけません」
手が届く位置にいなければ守りようがない。
もっとも、魔王軍の狙いはルーノではなく、べリベラ・ベルを移動させてナナベールを救うことにあったようだが。
まんまと策に引っかかった形だが、べリベラ・ベルはすべて承知した上で敵の策略に乗った。
放っておいても赤魔女はもうすぐ死ぬ。
魔王軍側には赤魔女の死期を遅らせる以外にもはや遣りようがないのだ。だからこんな姑息な手段に打って出た。べリベラ・ベルにとってもルーノを守ることが何よりも優先されるので、この形はむしろ理想的であった。
ルーノを守りつつ、赤魔女の死を見届ける。
その後に、魔忍とホムンクルスをゆっくり葬ればいい。魔導兵の力を借りれば、特にルーノの力を開放すれば蹂躙はたやすい。
この戦いはそれで終わる。人類側の勝利で締める。結果は見えている。揺らぎようがない。
「し、神父、さま、は……?」
クレハが訊いた。べリベラ・ベルは振り返ることなく告げた。
「先ほど天に召されました。赤魔女の死と引き換えに。私たちを守るために」
「そん、な……っ」
「うちはまだ死んでねーっつーの」
遠くから赤魔女が茶々を入れる。だが、その声にはもう覇気がない。
「時間の問題ですね。赤魔女は間もなく死ぬ。そしてそれは、あなたにも言えることです。魔忍クニキリ」
目の前に立つ忍び装束の男から苦笑する気配が漂った。
「今度こそ精力をすべて搾り取ってその身を枯らして差し上げましょう」
「けっ。おぬしとはもはや付き合いきれぬ。同じ魔法には二度と掛からぬ」
そこへ、ホムンクルスがやってきた。
「はあ、はあ、やっと追いついた……! そ、そうです! もしもクニキリ様がまた捕まったとしても今度は私が貴女を攻撃しますからね!」
「そうですか……。残念です」
格闘術では敵わないし、正味二対一の状況では自慢の《エナジードレイン》も使えない。
「ならば、私も本気で行きます。これで終わりにしましょう」
もう勝ちが見えている以上、出し惜しみする必要はなかった。
目を閉じる。べリベラ・ベルはスキルを発動させた。
リーン……
リーン……
リーン……
礼拝堂内に木霊する、可愛らしくもどこか寂しげな鈴の音。
「何だ? おぬし、何をした?」
べリベラ・ベルに動いた様子はない。だが、鈴の音はどこからともなく聞こえてくる。
「お?」
カラダの変調を最初に感じ取ったのは遠くにいるナナベールだった。
「ふえ?」
「む?」
次にホムンクルス・パイゼル。最後にクニキリの順だった。
MP残量の多い者ほど魔力の喪失感に気づくのが早い。ナナベールは急激に減っていく己の魔力量に目を見開いた。ベルが鳴るたびに全身から力が抜けていく。礼拝堂内を覆う暗闇すべてが吸引口であるかのように全方位から吸われていく。魔力が根こそぎ奪われていく。
「何……だ……こりゃあっ!?」
「こ、これは……まさか……っ!?」
「ふええええええっ!」
フィールド内にいる魔王軍キャラからMPを強奪し、集めたMPを魔法に変換して任意の相手にぶつけることができる闇属性スキル。
これこそがべリベラ・ベルが温存していた勇者スキルである。
「どんなに魔力を集めても私のカラダに留めておくことができません。私は魔法使いではありませんし、殿方以外の精力に興味もありませんので。ですから、溜まった力はこの場で放出させていただきます」
べリベラ・ベルの手のひらに魔力の渦が出現し虹色に光輝いた。
ベルの音は、いつの間にか鈴ではなく、鐘楼ような大きく厳かな音響を奏でていた。
リンゴーン……
リンゴーン……
リンゴーン……
礼拝堂の鐘の音。
死者を悼む鎮魂の福音。
祈るように気高く、いつまでも静かに鳴り続ける。
弔いの灯――閃光となって弾け飛べ。
勇者スキル《サイレント・ベル》
「――――ッッッ!」
凄まじい光の奔流がクニキリの肉体をさらっていく。
神父が放つ《エンジェルラダー》に似ているが威力は比較にならない。赤魔女の魔力を素にして練られた魔法はそれだけで純度が高くて濃厚だ。ただの魔力波だけでもこの礼拝堂が消し飛ぶ威力がある。
加えてシスターの祈りが、魔族が最も苦手とする【光属性】に変換した。その偽装、擬態こそ『背徳』を冠する勇者べリベラ・ベルの特性であった。
ナナベール、クニキリ、パイゼルから奪ったMPがそのまま攻撃力に転化した。
クニキリに大ダメージを与えた!
『224』
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クニキリ LV.15
HP 11/526
MP 18/40
ATK 99
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「…………ぉ、ぐ、ぅうっ……」
クニキリは瀕死に陥った。うつ伏せに倒れ込み、呼吸もままならない。あとたった一撃――土足で踏みつけにする程度の攻撃でもおそらく命を奪えるだろう。
息を吞むパイゼル。魔王軍幹部が二人も絶命の危機に晒されており、この窮地と張り詰めた緊張がパイゼルの行動を制限する。
魔導兵の子供たちはアザンカの治癒に専念し続けている。勇者べリベラ・ベルを信じてまたしても暗闇に逃げ込むような愚は犯さない。勇者のそばが一番安全であると理解しており、また戦闘においても勇者の邪魔だけはするまいと弁えた。
べリベラ・ベルは勇者スキルを発動した反動で体の自由が利かなかった。だが、それもほんの十数秒ほど。動けるようになれば今度こそクニキリを仕留めると決めている。その次はホムンクルス。神父の呪殺が間に合わなければ赤魔女にもトドメを差しにいくつもりだ。
勝負はとうに着いていた。
人間側の勝利で決着だ。
この場にいる誰もがそう思った。
ナナベールでさえ。
だが――
『余の後に続け。赤魔女ナナベールよ。そなたに《エンド》を授けよう』
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ナナベール LV.15
HP 115/400
MP 168/390
MTK 77
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クニキリ LV.15
HP 11/526
MP 18/40
ATK 99
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パイゼル LV.13
HP 112/680
MP 80/100
ATK 101
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ベリベラ・ベル LV.17
HP 578/600
MP 156/200
MTK 93
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