SIDE―妹① 私のお兄ちゃん
私には二つ歳上のお兄ちゃんがいる。
成績優秀でスポーツ万能。
誰からも好かれて人望があって、元気で明るくて友達なんかもたくさんいて、当然可愛いカノジョさんなんかもいたりして。
両親もお兄ちゃんの将来に多大な期待を寄せていた。
まあ、無理もないけどね。
我が兄ながら本当に人間かっていうくらいの完璧超人なんだもん。
アニメや漫画のチートキャラかっつーの。
これで生徒会長にでもなったら絵に描いたみたいで笑えるんだけど、実際になってしまうと一切笑いが出てこなかった。
正直、呆れた。
一体何と戦っているんだ、このお兄ちゃんは。
あーあ、私なんかとは大違い。
根暗で、性格悪くて、勉強も運動もからっきしで、友達いなくて、ゲーム廃人で。
ここ一年近く家の敷地から出たことがないようなガチヒッキーの私なんかとは。
私はお兄ちゃんのことが大嫌いだ。
理由? それ言う必要ある? ここまで正反対なんだよ。
一つ屋根の下で一緒に暮らすことの惨めさったらなかった。
両親も、ご近所も、学校のクラスメイトも、みんなみんな私たちを比べたがるんだ。
「お兄ちゃんは生徒会長にもなって立派なのに、妹のほうときたら……」
「アンタさあ、お兄ちゃんに良いとこ全部吸い取られちゃったんじゃないの?」
「お兄ちゃんに無いところを妹のおまえがしっかり受け継いでいるんだから、それでいいじゃないか。進路? 好きにしなさい」
「お兄ちゃんの邪魔だけはしちゃ駄目よ。あなたにはいっぱいオモチャ買ってあげてるでしょ? だから、あんまりワガママ言わないでちょうだい」
何よ、みんなして!
まるで私が邪魔者みたいじゃない!
……違うか。まるでじゃなくて、きっとそうなんだ。
だから、私は望まれるままに自分の部屋に閉じ籠もり、この一年間誰とも接触を図ろうとしてこなかった。
外からも私に構ってくれる人なんていなかったけれど。
いや、一人だけいたっけ……
憎き天敵――お兄ちゃんが。
お兄ちゃんは何かある度に私に自慢話をひけらかしにやって来るのだ。
お兄ちゃんは私の部屋のドアを、トン、トン、トン、とゆっくり三回ノックする。それがお兄ちゃんであることの合図だ。
絶対に開けてなんかやらないけれど。
「よう。この間の模試で全国三位になったぜ。高三までに一位になれたらいいと思ってたけど、高二のうちに天下取れっかも。おまえはどうよ? ……って、そういやおまえ、全国模試なんか受けたことなかったっけ? そっか、そっか。悪い、悪い。俺はてっきり、おまえは勉強に没頭してっから部屋から出てこないもんだとばっかり思ってたわ。勘違いしてた。で? どうよ? 不毛なレベル上げは順調か?」
私にはゲームの中にしか逃げ場がなかった。
それさえ不毛だとバカにされて、悔しくて悔しくて声を押し殺して泣いた。
通っている高校で生徒会長になったときも、
所属している水泳部でインターハイに出場したときも、
授業で作成した絵画が校内芸術コンクールで最優秀賞を獲得したときも、
お兄ちゃんは記念バッジやらトロフィーやら表彰状やらを私の部屋に投げ込んできて自慢した。
本当に本当に殺してやりたいくらい最低最悪の兄だ。
それだけ完璧なのにどうして性格だけはこんなにねじ曲がってしまったのだろう。
みんな外面に騙されて、陰で私が泣かされていることに気づきもしない。
……ま、どうでもいいけどね。
今さら外の人間に出しゃばってもらったって嬉しくもなんともないし。
それでもなんとか私の部屋への不可侵は守られていた。
お兄ちゃんもドア越しに声を掛けるだけで、一歩も中に入ろうとしなかった。私が会いたくないってのもあるけど、お兄ちゃんもこうまで意地悪するぐらいだから私のことなんて大っ嫌いに違いなく、お互い顔を合わせることをどこかで避けていたのだ。
しかし、一週間前、それは起きた。
家族が留守にしている時間を見計らってお風呂に入っていたときのことだ。
玄関で鍵を開ける物音が聞こえてきた。
ついさっき家を出た誰かが忘れ物をして取りに帰ってきたのか……そう思い、私は慌ててシャワーを止めて息を殺した。
足音は階段を上っていく。
それだけで帰ってきたのがお兄ちゃんだと気づいた。
私とお兄ちゃんの部屋は二階のお隣同士。
しばらくすると軽快なステップで階段から足音が降りてきて、間もなく玄関扉が閉まる音がした。
――カチャ。丁寧に鍵まで掛けて。
……行ったよね?
こんな不意打ちでお兄ちゃんとニアミスするなんて心臓に悪い。お兄ちゃんだって私と鉢合わせしなくてほっとしていたはずだ。
……ああもうっ! 何で私が気ぃ遣わないといけないの!?
ムシャクシャする。
まあいいや。このイライラは全部ゲームにぶつけてやろう。
いつものように母におねだり(床ドン+筆談)して買ってもらった新作ポータブルゲーム機専用戦闘シミュレーションRPG。
その名も【魔王降臨】。
タイトルのとおり、プレイヤーは百年ぶりに復活した魔王となって混沌とした人間界を征服すべく、次々に現れる勇者たちを魔王軍幹部の部下を率いて懲らしめていくという出オチ感半端ないストーリーだ。
でも、グラフィックは華美でムービーシーンはぬるぬる動くし、途中差し込まれるイベントパートなんかは涙なしに見られない名シーンが数多く用意されていた。
そして、なんと言っても一番の売りはシミュレーションパートにある。
魔王軍を強固にするために、『幹部の育成』、『武器の錬成』、その前段階にある『部下にするモンスターの捕獲』、『武器・魔法の材料集め』など、魔王軍のトップにしか味わえないいちいち面倒なミッションをこなしていきながら最強魔王軍を完成させるのがこのゲームの醍醐味だ。
ゲーム中に登場するモンスターやアイテムをゲットして『図鑑』を完成させるというやり込みゲー要素ももちろん備わっている。
一周目は昨日クリアした。
二周目からが本番である。
セーブデータを引き継いだままゲームを最初から再開。
二周目以降から新シナリオと隠しダンジョンが一斉に解放され、そして最後には真の裏エンディングが用意されているらしいのだ。
こりゃもう攻略しないわけにいかないよね!
風呂から上がった私は髪が乾き切るのも待てずに自室へと駆け戻った。
事前に用意しておいた(通販で買い置きしておいた)ジュースのペットボトルとスナック菓子の袋を枕元にセットし、布団に潜り込む。
ここが私の世界だ。
暗くて狭い、無限の可能性を内包した、私だけの世界。
そして、私の世界はゲーム世界にだけ続いていけばいい。
「さあさあ、それではそれでは~、魔王ちゃんが再び降臨しちゃいますよー」
枕の上に置いておいたはずのポータブルゲーム機を手に取ろうとして、空を掴んだ。
「はれ?」
空振った両手を呆然と見つめる。
枕カバーの青色だけが視界いっぱいに広がっている。
ゲーム機がない。
「はれれ?」
かさり、と小指に何かが触れた。
枕の端に一枚のメモ用紙が置かれてあった。
そこにはお兄ちゃんの筆跡でこう書かれてあった。
『このゲーム、学校でも流行ってるっぽいから借りるぞ。飽きたら返す』
「は?」
◇◇◇
ショックのあまり二日間寝込んだ。
学校から帰ってきたお兄ちゃんに「返せ」と迫られるほど強ければ今日まで引きこもっていない。私は泣き寝入りするしかなかった。
どうやらお兄ちゃんはあの日、初めからゲーム機と【魔王降臨】を目当てに、私がお風呂に入っている時間を見計らって帰ってきたようだ。
というのも、部屋を物色した形跡が無かったのと、枕の上に置かれた『犯行声明』を書いている時間があのときなかったと思われるから。
私がお風呂から上がる時間まで計算できるわけないので、あのメモ用紙は予め用意していたに違いないのだ。
つまり、計画的犯行。
「はあ……、最悪」
どうせ返してくれっこないんだ。
あのお兄ちゃんのこと、どうせ「おまえが返せって言わないから売っちまったよ」とかなんとか言ってゲーム機ごと処分してしまうんだ。
そうだ。そうに違いない。
過去にもこういったことはよくあったから。
お兄ちゃんはゲームが好きというわけではないが、まったくゲームを知らないわけでもなかった。
お兄ちゃんにとってゲームとは、友人とのコミュニケーションツールなのであって、やり込むためのものではないという感じだ。
許容はするが熱中する人間の気が知れない――そんなふうに思っている。
廃人となった妹を持っているからなおさら受け付けないのだろう。
だからって、人の物を勝手に売っていいかと言えばそれはまた別問題だ。
結局のところ、あいつは性根が腐っているのである。
「ああもうっ! ああもうっ! ああもうっ! ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! あんのウンコ野郎!」
楽しみにしていただけにストレスの反動もまたでかかった。
一度クリアしているから【魔王降臨】の楽しさは嫌というほどもう知ってしまっている。
未知のシナリオ、未知のモンスター、未知の極大魔法、未知の武器に未知の敵――。
もしゲームが手許にあったなら今頃完全コンプ……とは言わないまでも三分の二くらいなら制覇していたかもしれないのに。
くそっ、くそっ、くそっ、くそったれのコンコンチキ!
「死んじまえ! バカ兄貴!」
○○○
そして、今に至る――
ゲーム機をお兄ちゃんに取られてから一週間後の今日。
私は家の外に出ていた。
お兄ちゃんの葬儀に向かうために。
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