勇者シナリオ⑧『悪徳神父サンポー・マックィン』その2
貿易商の荷馬車が南に抜ける街道を走っていく。
その荷台に忍び込んだベフォマト・ゾーイはようやく目的地・王都アンハルに近づきつつあることを実感し、思わず嘆息した。
それまでにもあわや命を落としかねない逃走劇が何度も繰り広げられた。
雪山では雪崩を起こして諸共巻き込まれた魔導兵がいた。
同じ亡命者のフリをして暗殺しようとしてきた元同僚もいた。
そいつらを犠牲にして、時には身代わりに利用してなんとか生き延びた。
女帝の厳命で引くに引けない魔導兵たちには同情するが、ベフォマト・ゾーイも命懸けだった。奴らに温情や斟酌はなく、元同僚の殺意を感じ取ったときには帰る場所はもうないのだと諦めがついた。
雪山を超えたとき、追手の数は目に見えて減少した。
国境を跨いだあたりで防寒服を脱ぎ捨てた。
アンバルハルの気候は暖かく、ベフォマト・ゾーイを歓迎してくれているような気がした。
新天地はすぐ目の前だ。
王都アンハルでなら正しい人生が送れるはずだった。
本当の幸福に出会えるはずなのだ。
だがその前に、最大の難関がそびえ立つ。
王都と外界を隔てる関所。王都の城壁の中でも最も強固で巨大な扉――『西門』。
商業路から直接つながっていることもあって、道上には広大な検問場があり、北国ラクン・アナのほか、真西の大封・リュウホウからの行商人も多くここを通るため、荷物や身許の検査を複数同時に、厳重に行われている。検査をくぐり抜ければ晴れて西門を通る許可証を手に入れられる。行商人たちにとって一番緊張する瞬間である。
もっとも、その緊張の度合いはベフォマト・ゾーイの比ではあるまい。国際指名手配犯のベフォマト・ゾーイにとってここは生きるか死ぬかの地獄の門番に他ならなかった。
先に行われている検査の光景を幌の隙間から覗き見た。荷下ろしをさせて隅々まで調べている馬車があれば、荷馬の腹側まで検められている者もいる。これほど徹底しているとは計算外だった。積み荷に紛れて王都に入り込もうと思ったが、このままでは時待たずして密入未遂が発覚するだろう。
捕まれば、十中八九、ラクン・アナへ強制送還される。そうなれば間違いなく処刑される。ベフォマト・ゾーイの命運も尽きてしまう。
商品の箱を空にして中に隠れることも考えたが、最悪なことに荷物はすべてベフォマト・ゾーイが苦手な酒だった。飲むことはおろか匂いを嗅ぐだけで参ってしまう。商品に紛れてやり過ごす前に急性アルコール中毒でショック死しかねない。
かといって、今さら別の馬車に乗り移ることなどできないし、この条件で検問を通過するしかなかった。
しかし、打開策を思いつかぬままとうとうここまで来てしまった。検問場に入りさえすればどうにかなるという甘い期待がなかったわけではないが、これまでは行き当たりばったりでなんとかなったこともあって考えが足りなかったことを今になって後悔した。
痛いくらい早鐘を打つ心臓に呼吸を乱していると、ベフォマト・ゾーイの乗った荷馬車がにわかに進行方向を変えた。検査官のいるほうではなく検問場の端により、その場で一旦停車した。
(まさか、バレたのか?)
ベフォマト・ゾーイは緊張に身を固くする。馭者がベフォマト・ゾーイの存在に気づき、密入国者を匿っていると疑われることを危ぶんで先に荷物を検めようと思ったか。
だが、この展開はむしろベフォマト・ゾーイの味方になるかもしれない。検査官は明らかに兵士の格好をしているが、馭者はただの行商人。取り押さえるのは簡単だ。大声を出される前に縛り上げて反対に密入国者に仕立て上げれば自分が行商人に成り代われるのではないか。奇跡でも起きないかぎり叶いそうもない計画を瞬時に立てて、ベフォマト・ゾーイは息を殺す。
馭台から降り、行商人は荷台に近づいた。
そこで、誰かに話しかけた。
「これはこれは、神父様。お待たせして申し訳ありません」
「いえいえ、想定していたよりも早いお着きでしたよ。もっと遅くてもよかったくらいです。その分、私も奉仕活動をサボれる……こほん。検問場の視察に注力できますからねえ。いっひっひ」
神父の言葉に行商人は苦笑いを浮かべた。
「では、今回もお酒を所望で?」
「いっひっひ。私、ラクン・アナ産の【毒酒】には目がないものですから。もし余った分があればこの場でお売りいただきたいのですがねぇ? どうです?」
「もちろんいいですとも! 毎度、神父様の口利きで検問を楽に通過できますし、関税も幾らか負けてもらっていますからね」
揉み手で声を弾ませる行商人。
ラクン・アナで仕入れた【毒酒】の関税値引きと引き換えに賄賂を要求する神父。
その構図が今のやり取りだけで見て取れた。
「何でしたらタダで持っていっても構いませんぜ」
「いえいえ、お代はきちんと払いますよ。なんせ私、敬虔な聖職者ですし? タダ酒はやっぱりまずいと思いません? って、お酒目当てに職権乱用している時点で更迭ものでしょうけどね。いっひっひ!」
そして、荷台の幌を開けて神父が顔を覗かせた。
赤ら顔の胡散臭そうな男だった。
箱の陰に隠れていたベフォマト・ゾーイと目が合うと、神父は一瞬驚き、にんまりと笑った。
「いやあ……今度もまた品揃えが豊富ですねえ。やっぱりタダで頂けますぅ? ほんの一本ほど」
「えぇえぇ! 一本と言わず好きなだけ!」
「ありがとうございますぅ。ですが、一本で構いませんよぉ。私好みの一本を。いーっひっひっひ!」
「……っ」
幸か不幸か、王都アンハルへの亡命は成功した。
そしてベフォマト・ゾーイは、男色家で知られる悪徳神父サンポー・マックィンによって拾われたのであった。




