パイゼルVSルーノ2
そしてルーノの背後でも、ルーノの異様さに戦慄する人間がいた。
(遊びですって? この子は本気で、そのつもりで、この場所に立っているというの……?)
本気なのだろう。それが証拠にルーノの魔法のキレは訓練のときよりも好調に見える。それだけじゃない。《ファイアーボール》の大量発動だなんて魔法の常識を逸脱しすぎている。好調どころか進化しているのではないかさえ思う。
こんなことができただなんて。これほどまでに『天才』だったなんて。平時であれば素直に賞賛できたのに。
(王宮兵の人たちが死んでいく様を見てもなお『遊び』と言えるだなんて……)
アザンカは悲しくなった。
子供らしくあれるルーノは尊い存在だ。無邪気な心を忘れない純真さは、血生臭く醜悪な戦場において最も不要な精神性であり、それどころか狂乱を引き起こす因子にもなりかねない。
だが、実際にルーノのような子供がいることで、たとえどんなに血が流れようとも、どれほどの死を見届けたとしても、荒んだ心を和らげてくれた。子供の未来のために戦っているのだと自分に言い聞かせることができるし、発狂しそうになる神経を引き留めてくれる。子供を戦場に連れ出すなど馬鹿げた話だが、実際にカンフル剤としての効能があったのだ。
求めていたのはそれだけだ。アニの思惑はどうあれ、親衛隊に子供がいる意味はそれで十分だとアザンカは思っていた。
完全に間違っていたと気づいた。
ルーノは兵器だ。それも極上の。アニは見抜いていたのだろう。
そして、兵器が弾詰まりを起こすことなく正常に作動するように『声掛け』という調整を行った。それは功を奏し、戦場においても子供らしくあれるという異様さをルーノは物にした。おそらく、アニの思惑どおりに。
「ルーノ、君、す、すごい……!」
目をキラキラと輝かせるクレハも同様だ。アザンカは「そうですね」と相槌を打つことしかできなかった。
この子たちを本気で守るつもりならそもそも戦場に立たせてはならなかったのだ。
居るだけで心を壊す戦場になど立たせるべきではなかったのだ。
今さら後悔しても遅い。
(――なら、今の私にできることは、ルーノ君をこれ以上戦わせないこと!)
敵の命を奪ってしまえば、戦果を上げてしまえば、彼は本物の『戦士』になってしまう。そうなったらもう後戻りできない。戦いが続く限り、ルーノは今後も戦場に赴くことになるだろう。
アザンカがパイゼルを倒すしかなかった。
でも――。
(割って入っていく隙がない……)
ルーノの魔法攻撃は苛烈を極めたが、パイゼルはそのことごとくをかわしていた。攻撃に転じられずにいるのはルーノの魔法に圧されているせいかもしれないが、あれほどの魔法を繰り出していてなお仕留めきれないパイゼルの回避行動は敵ながら圧巻の一言に尽きる。幹部ですらない一魔物が勇者並の動きをしてみせるのは悪夢としか言いようがなかった。翻れば、ルーノの実力も勇者並だということになる。
尋常じゃない魔法力と、人間離れした身体能力。そのぶつかり合いの狭間に割って入れる者は勇者か幹部のどちらかくらいだろう。アザンカには荷が重すぎる。
「見切ってしまえばこんなの避けるの余裕ですよ! 下手な鉄砲はいくら撃っても当りっこないんです!」
「それはそうだよ。こっちは制御を捨てて数に頼っているんだもん。これくらいのハンデがなくちゃつまらないでしょ? 僕、お姉さんとはもっともっと遊んでいたいな!」
「うるさいです! 私にあなたと遊んでいる暇なんてありません!」
大量に魔法を用意できても一度に放つ数には限度があった。それ以上を同時に放てば火球同士が接触して爆発し、爆風に煽られて別の火球も誘爆する恐れが出てくる。なので、実際パイゼルを一度に襲う《ファイアーボール》の数は5、6個が限界であった。
また、いくら無尽蔵に魔法を撃てると言っても、術者には体力の問題がある。魔力を魔法に変換するだけでも息切れを起こす人間がいるほどなのだ。いくら魔法の天才でも体は子供。間断なく魔法を連続で行使すればいつかは息が上がる。ほんのわずかな時間かもしれないが、確実に訪れるその瞬間を見逃さぬようパイゼルは常に視線をルーノに向けていた。
「――――ふう」
ルーノの息が上がった。《ファイアーボール》の生成が数秒遅れた。見ているだけのアザンカにも体感としてわかったのだ、パイゼルにとってそれはこれ以上ない好機の訪れであった。
ルーノを中心にして円を描くように動いていたパイゼルが、一直線にルーノに突進していく。拳を固め、前傾姿勢で飛びかかる。まるで獣。軌道上に残像を浮かべてルーノに肉薄した。
相変わらずの大振り。しかし、固有スキル《狂化》の効力により命中率は百パーセントだ。必中を約束された右ストレートが今、ルーノの顔面を捉えた。
「っ!?」
だが、パイゼルの拳は虚しく宙を泳ぐ。ルーノの顔がすでに遥か後方へと移動していた。超高速のバックステップ。風魔法《エアーズキック/風脚》である。アニに伝授された回避魔法。必中に対抗できる必避の予防策。ルーノが事前に仕込んでいた、念を入れた処置であった。
紙一重の差ではあるが、ルーノの迎撃型補助魔法がパイゼルのスキルを凌駕した。
しかし、
「逃がしませんッ!」
パイゼルの視線がルーノを捉えて放さない。その反応速度、判断速度はルーノを運ぶ風の速さを越えていた。
すぐさま姿勢を立て直すと、床が爆散するほどの脚力で踏み出し、一息にルーノの後を追いかけた。ルーノの後退は、速度こそあれ軌道そのものは直線的で読みやすい。また、迎撃用の魔法は重ね掛けできないのが基本で、再度後退することは不可能だ。
つまり、ルーノが着地点に到達したとき、今度こそパイゼルの拳は直撃する。
まずい――! そう思ったのはアザンカだ。先に触れたようにルーノはまだ子供で、体力や腕力、体格も骨格も子供の平均値でしかない。たとえ魔法で《強化》しているのだとしても、元々の低い能力値では底上げしたところで高が知れている。大砲ばりのパイゼルの拳を前にして、転んだとき怪我を負わない程度のプロテクターが何ほどの役に立つというのか。
直撃すれば死ぬ。運よく生き延びたとしても、これまでのような日常生活を送ることはもうできないだろう。
守るのだ。何としても――!
間に合うか。魔法を唱えている時間はもう……!
「私の番です!」
ルーノが着地をし、そこへパイゼルが急接近した。今度こそ必中の間合い。
「――――うぁ」
弱々しい悲鳴がルーノの口から吐息のように漏れた。その表情から余裕の色はすでに消失している。完全に詰みであることは誰の目にも明らかであった。
「ルーノ君!」
アザンカが叫び、手を伸ばしてももう遅い。
パイゼルの拳が白い柔肌に直撃した。
ズドォオオオン――! 礼拝堂内に木霊し、地面さえ揺らす、爆撃を思わせる轟音。それは死を予感させる絶望的なまでの一撃であった。
咄嗟に目を瞑ってしまったアザンカだが、恐る恐る目を開くと意外な光景が瞼に飛び込んできた。
ルーノがいる。
右ストレートを叩き込んだパイゼルが驚愕に目を見開いている。
拳を胸部で受け止めた赤髪の戦士は苦悶に顔を歪ませた。
ベリベラ・ベルが身を挺してルーノを守り、代わりに攻撃を喰らっていた。
「げぼっ!?」
「ゆ、勇者さまぁ――――!?」




