アニ、勇者と決闘する。
「そこのそいつは勇者としては欠陥品だからだ」
指をさして指摘する。
アテアはギョッとして目を剥いた。
「な!? う、嘘だ!? 欠陥品なんかじゃない! ボクは戦える! 勇者になって強くなったんだから、どんな敵にだって立ち向かえるよ! 君、デタラメ言わないでよね!」
「確かに覚醒して変化はあったようだが、大きく変わったのはオツムの具合だけだったようだな。戦力的にはおまえは論外だ」
「ろっ!?」
「英雄ハルウスの仮装をするのはいいが、所詮は女。その剣も似合ってないぜ? チャンバラ遊びがしたいならスプーンより軽い物に持ち替えることをお勧めするぜ、お姫様。怪我したくなかったらな」
アテアの全身が怒りで震えだす。よほど勇者に覚醒した自分に自信があるのか、侮辱されたことが許せないようだ。
「おまえをここに呼んだのはそれを伝えるためだ。少しは見込みがあるかと期待もしたが、直に会ってみて確信したよ。おまえは戦いには向いていない」
(よろしいんですの? そんなに挑発してしまって)
(むしろ怒ってくれなきゃ困る。今からこいつと一戦交えんだから)
(戦うんですの!? お兄様が!? アテアと!? 勇者とですの!?)
(そうだ)
(死にますわよ!)
(かもな……)
(……お兄様、言っておきますけれど、死んだら一巻の終わりですわよ?)
(百も承知だ。だが、ここでの賭けに勝てないようじゃこの先やっていけない)
ゲームそのものは酔狂で始めたが、やるからには端から命を賭けている。
アテアが呼気を震わせた。
「……ボクが世間知らずの王女だからと侮っているのかな?」
「違う。だとすれば弾く対象はヴァイオラにも及ぶ」
「……ッ!? アニ……」
手で制す。ヴァイオラは認めてアテアを認められない理由は別にある。
「死ねと命じる者と、死に立ち向かう者とじゃ覚悟の種類が違うんだ」
ヴァイオラの体がびくりと震える。いま、言われて初めて自覚したのだろう。
『長』の重責を。
「ヴァイオラも覚悟が足りているとは到底言えないが、そこは俺が補ってやれる。だが、戦場での実戦で俺はおまえに何もしてやれない」
「要らないよ! 君の助けなんて!」
「……その思い込みが厄介だと気づけないうちは、俺はおまえを認められない。いいか? 戦はおまえ一人でするわけじゃない。勇者とて一人で魔王を倒せるわけじゃない。百年前の人魔大戦で一体どれだけの勇者が命を落としたのか、知らないわけじゃあるまい?」
アテアが口ごもった。……呆れたな。知らないようだ。
「おまえに死ぬ覚悟はあるのか?」
「ないよ! ボクは魔王を討つんだから! 最後まで死ぬ気なんてさらさらない!」
「ほら、これだ。絵空事を真に受けて戦場を誤解したやつの典型だな。おまえみたいなやつが現実を直視できずに土壇場で逃げ出し、仲間を窮地に陥れるんだ。どうせ勝つ、と決め付けているやつが戦で勝った例など古今東西ありはしない」
実際のシナリオがそうなのだ。慢心と油断さえなければプレイヤーにやられずに済んだものを。
「死ぬ覚悟とは戦う覚悟だ。それすらないやつは迷惑だ」
戦は策略でやるものだ。勇猛果敢は兵士の士気を高めるが、それしか能のないやつは呆気なく死ぬ。いや、死ぬだけならまだいい。戦局を誤れば大量の兵士を道連れにしてしまう。
「人間の尺度でボクを測るな! ボクは神様に選ばれた勇者なんだよ!?」
だから迷惑なんだっての。
「その神様が信用ならないって話だろ? だからヴァイオラは国防軍を編制しようとしている。違うか?」
「アニ、それは……」
この世界では神を疑うことすら重罪だ。直接天罰が下るわけではないが、人々の中に畏怖と信仰心が根付いている。しかも現実世界のような単なる宗教じゃなく、実在している王のようなものだ。大っぴらな批判ははばかられる。ヴァイオラが一言「神は信用できない」なんて言おうものなら、自国の国民からも「信」を失うだろう。
それを、はっきりと言ってやった。
勇者を前にして。
「姉さま、そうなの!?」
キッと睨みつけるアテア。ヴァイオラは俺の言を否定せず、ただ唇を噛んだ。
姉妹の絆が決定的に割れた。……俺は密かにほくそ笑んだ。
正規シナリオでもこんな拗れ方はしていない。
人間関係が変わる。
確実に壊れていっている。
「姉さま!?」
「……敵は魔王だ。そこに偽りはない。神を冒涜する気はないが、その力に頼るつもりもない。私は、せめて自分の国を自力で守れる力が欲しいだけだ」
「じゃあ、勇者の力なんて要らないっていうわけだね? わかったよ。姉さまがボクを要らないって言うならボクも軍隊なんて要らないよ。それぞれで戦おうよ。ボクは姉さまの軍隊なんて当てにしない。その代わり、姉さまもボクのやることに口出ししないでよね。どっちが先に魔王を討てるか競争だ。それでいい?」
「お、おい、アテア、それは、」
「とことん頭の悪いガキだな、おまえは。自衛することと神への不敬は別物だろうが。それに、信用ならないって言ったのは俺だ。ヴァイオラはただ人間の自立を信じているだけだ。神様に贔屓されただけの小娘が対等な口利いてんじゃねえ!」
「なっ!?」
演技のつもりだったが、少々むかついた。
「自分の力を誇示したいんだろ? それなら別々に戦ったほうが確かにマシだな。誰も見ていないところで真っ先に死んでくれるんならありがたい。それなら本陣は何の憂えなく戦火を交えられるしな」
「ボ、ボクが一番に死ぬだって……っ!?」
真っ先に死ぬ、と侮られたことに食いついた。
「ボクの力を見てもいないくせによくも……ッ!」
「見てなくてもわかる。どうせその剣も見せ掛けだろう?」
「見せ掛けなんかじゃない……ッ!」
「なら、試してやろうか。今のおまえになら戦士でない俺でも簡単に勝てるぞ」
腰から短剣を引き抜く。儀礼用の短剣で、むしろこちらのほうが見せ掛けなのだが、堂々と切っ先をアテアに差し向けた。
「アニッ、よせ! 剣を収めろ! 私の妹だぞ! この国の王女なのだぞ!」
「知るかっ。このガキは勇者を名乗ってるんだ。むしろ王女扱いされたくないんだろうさ。いい機会だ。俺様が直々にお灸を据えてやる。そら、掛かってこいよ。自称勇者さま」
「――」
アテアの目が本気になる。
青い目が強い輝きを放つ。
「いいの? ボク、だいぶ頭に来てるんだけど。正直、手加減できそうにないよ?」
「悪いが、俺は手加減するぜ? 女子供を泣かせたとあっちゃあ体裁が悪いからな」
世間体など気にする玉ではないだろう、とヴァイオラ。
(人目を気にするタイプではありませんわよね? お兄様は)
(外野は黙ってろ)
「ええい! やめないか、おまえたち! 悪ふざけも大概にしろ! アテア! 人に剣を向けるんじゃない! それは人を守るためのものだ!」
「違うよ、姉さま。これは人の尊厳と、戦士の誇りを守るためのものだ!」
来る。
そう思った瞬間、目の前からアテアの姿が消えた。
「……っ!?」
勇者スキルに《跳躍》というものがある。
ゲーム中の戦闘パートにおいて、移動にはとある制約があった。それはバトルフィールド上に配置された各キャラ――『駒』が居るマス目には止まれないということだ。
『駒』自体も障害物と見做されており、そのため道幅が狭い場所で一人のキャラが道を塞いでいた場合、そのキャラをすり抜けて行くことができず手前のマス目で止まるしかないのである。
すり抜けることができるのは《跳躍》や《飛行》や《隠密》といったスキルを保有しているキャラだけだ。身体能力の高い勇者は人の頭を飛び越えられる跳躍力があるので他にも岩や柵といった障害物をすり抜けることもできた。
(自分の力を見せ付けたい野郎のセオリーって言ったらこうだろ!)
迷いなく短剣を放り投げ、頭から飛び込んで地面を前転する。逆さまになったとき、思ったとおり、丁度頭があった位置をアテアの剣が通過するのが見えた。ごろんごろん、と二度三度地面を転がって、距離が離れたところで起き上がる。
やはり真後ろに回り込んでいやがった。
真上か真後ろ――どちらかから攻撃してくると睨んだのだが、予想は的中した。
それにしても、なんて速さだ。
「あっぶねーなあ」
「……、よ、よくかわせたね。褒めてあげるよ」
悔しさが顔に滲ん出てやがる。そりゃド素人に勇者の一撃がかわされたんだ、額に青筋も浮かぶわな。――って、それって本気で首を落としにきてたってことじゃねえか!?
(あの巨乳オバケ、殺る気マンマンですわね! でも、お兄様の動きも素晴らしかったですわ! 力対技、一体どちらが勝つのか目が離せませんわ!)
(何でおまえが興奮してんだよ?)
(あら? ご存知ありませんの? 戦いって燃えますのよ? シュッシュッ!)
レミィが空中でシャドウボクシングをし始めた。
うぜえ。つか、せめて俺の応援くらいしやがれってんだ。
……いや、こいつは元々俺の味方じゃないって言ってたっけな。
傍観者。そして、観客だ。
なら、せいぜい楽しんでいってもらうとするか。
「勘だけはいいみたいだね」
「そうだな。もう一つ、こんなこともできるぞ」
右手をかざす。たどたどしく魔法詠唱を口にした。
「==聞け 火の精霊よ 我を監視する者よ==
==孤独を排し、我の胸を暖めよ==
==永久の眠りから目覚め、不正を殺せ==
==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==
==紡げ――《ファイアーボール》==」
《火球》をその手に生み出し飛ばさずに維持する。
アテアが鼻で笑った。
「まさか、その《ファイアーボール》を撃つ気じゃないよね? そんな低位の人撃魔法なんか効かないよ! ボクには神の加護があるんだから!」
勇者は神から選ばれた時点で《抗魔力》スキルが備わっている。
並の魔法は通用しない。効かないだけでなく、直前に回避する直感力も向上している。
「じゃあ、こんなのはどうだ?」
右手首を左手で掴んだ。左手に意識を集中させると、そこに風魔法《風矢》を注ぎ込む。
「==聞け 風の精霊よ 我を糾弾する者よ==
==息吹を運び、我の声を響かせよ==
==あまねく天と地を行き交い、最果てを消せ==
==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==
==紡げ――《エアーズアロー》==」
ゲームには存在しない合体魔法。
見て驚け。
「《火槍》!」
その瞬間、突風が火炎球を押し出した。
円錐状に鋭く尖った火柱がアテアを鎧ごと貫いた――
「――ッ!?」
驚愕する間もなかった。アテアにとってみればその反則技は想像の埒外であり、貫かれた今でも理解できずにいた。
炎を纏った風の刺突はしかし、【ハルウスの鎧】に穿穴どころか傷跡ひとつ付けていない。風は推進力に使用したので風魔法本来の斬撃効果は薄まっていた。風はただ火を運び、鎧の隙間に注ぎ込んだだけである。
火を煽るのは空気だ。これほど相性のいい属性はない。
「……、?」
無傷。
アテアはしばし呆然とした。
「気を強く持て。死にたくなければな」
火炎球を放ち終えた右手をこれ見よがしに振り払った。
直後、鎧の下で爆発的な燃焼が起きた。生身が炎に包まれてしまえば鎧は意味を為さない。それどころか、害悪となる。鎧の耐火性はたちまち内部の熱を閉じ込める防火壁の役割を果たし、直火と蒸し焼きの二重苦にたちまち襲われることになる。
「うわああああああああっ!」
絶叫が木霊した。
「あ、……アテ……ア」
よろよろと近づいてきたヴァイオラがその場で腰を抜かした。
最愛の妹が炎に包まれている光景を前にして放心している。
「心配するな」
「アニ……、お、おまえ」
「勇者がこの程度で死ねるなら、それを生み出した神は無能でしかない」
突如、逆巻く炎が熱風を撒き散らした。
「誰が無能だって?」
炎の中、オーラを纏ったアテアが仁王立ちで立ち尽くす。
無論、無傷。
神の加護がある限り少女の柔肌がこの程度の炎に穢されることはありえない。
「アテア!」
「ほらな」
「通用しないよ! こんな攻撃! ……ちょっとびっくりしたけどさ」
炎をわけもなく振り払う。剣を構え直したアテアの目は打って変わって真剣な色を湛えた。油断も驕りもなく、ただ真っ直ぐに敵を見据える戦士の目。
本気になった。
「……反省した。正直、君を舐めてた。もし君が魔王クラスの強敵だったなら今の攻撃で死んでいたかもしれない。ボクの心はまだまだ未熟だった」
柄を握る両手に力を込める。
刀身に眩い黄金の光が浮かび上がっていく。
「気づかせてくれた御礼に今度はボクの本気を見せてあげるよ。本当の本気を。もう君を侮らない。心は未熟でも力はあるんだってことをここに証明するよ。それが、いまボクが君に見せてあげられる最大限の敬意だ」
「とか言いつつ、相当頭に来てんだろ? そこが未熟だって言ってんだけどな」
だが、予定どおりだ。
「アニ! もういいだろ! アテアを止めてくれ! おまえが謝ればあの子だって」
「無理だろ。あの痛い妹が謝ったくらいで止まるかよ」
「あーっ! いま、ボクのこと痛いって言ったな! 絶対許してやらないから!」
「な? おまえは下がってろ。巻き込まれても知らねえぞ」
って、ヴァイオラが近くに居る限りアテアも大技は出しにくいか。
俺から離れるしかない。
「こっちだ! 頭の痛い妹!」
「また言ったーっ! もうっ、もうっ、泣いて謝ったって遅いんだからあああああ!」
ヴァイオラから離れて数歩。
その間に、アテアは黄金の剣を構えて距離を詰めた。
上段から振り下ろされる勇者の一撃――《ライトニング・ブレード》
肉薄は刹那のうちに。
すでに魔法はこの手のうちに。
密かに発動させていた風魔法が新たな反則技を実現させた。
「《風脚》」
風が足許を浮かせ、地面を低空で滑走する。アテアの剣が光速で、たとえこの移動が風速であろうとも、先を読んでいた俺のほうが出足の速さは上……!
「ライトニング――ッ」
光の刃がすべてを薙ぎ払わんと――
「――ブレードオオオオオオオッッッ!」
放たれた。




