その4「蜂と蝶」
右手に魔力を集中させて、小声で詠唱を口ずさむ。
編んで紡がれた魔法は『火』属性の高位地撃に位置する炎熱魔法。
殺戮蝶が最も得意とする魔法である!
「《ギガフレア》!」
桃源郷を丸ごと燃やし尽くす炎熱球が炸裂した。
魔法の用意をしていた道士組も、幾重にも魔法防御を掛けていた王女も、さらに背後に控えていた百人以上の兵士たちをも巻き込んで、《ギガフレア》が何もかもを吹き飛ばした。
当然、射線上にいた女王蜂も直撃を免れず、眩い光の奔流に飲み込まれていった。
――――、…………ッッッ!!!
後には草木一本残さない火災による炎熱が広がるばかりであった。
大地を灼き尽くし焦土と化してもなお消えない憤怒の業火。
この世の楽園であった桃源郷は見る影もなく、この世の終わりのような紅蓮地獄が具現した。
おそらく、今後百年はこの地に植物が育つことはないだろう。
王妃を含むワザクール教国兵士団はここに壊滅したのだった。
殺戮蝶は、ふう、と溜息をこぼした。
「……虚しいわね」
丹精込めて作り上げた桃源郷に久しぶりに帰ってみれば、そこは人間どもの血で穢されてしまっていた。
死体を片付けて血を拭き取ったとしても土地が元の純度に戻るわけもなく、だからといって放棄した後に他人に使われるのも癇に障る。
ならばいっそ手ずから壊してやろうと思いつき、衝動的に実行したのだった。
英気を養うつもりで帰還したというのに、勇者との戦いに疲れきっていた心身にトドメを刺された気分である。
灼け爛れた大地が盛り上がると、地面に隠れてやり過ごした女王蜂が飛び出した。
「何なんですのーっ!?」
「……」
殺戮蝶が内心で舌打ちする。――チッ。生きてやがった。
「何のつもりですの!? わらわの庭を燃やすなんてどういう了見ですの!?」
ついでに命を狙われたことよりも所有物と定めた桃源郷を破壊されたことが女王蜂には腹に据えかねる事態であったらしい。そのズレた感覚も殺戮蝶を苛立たせた。
「いつから貴女の庭になったのよ? 人間の血で穢れた土地なんて要らないわ。存在しているのも我慢できない。魂までも穢された思いだわ」
「その決定はわらわが下しますわ! 勝手は許さなくてよ、庭師風情が!」
「誰が庭師よ誰が!」
「わらわがそう認めましたの。わらわのために、わらわ好みの庭を造る。そのための庭師ですわ。光栄に思うがいいですわ!」
「ああ、そう。話が通じないみたいね」
日夜働き詰めで意識がぶっ飛ぶ一歩手前の状態では、桃源郷の喪失と女王蜂の悪態は自我を暴走させるには十分すぎる燃料となった。
「とっくの昔から貴女はわらわの配下ですわ!」
「うるさい黙れ私の前から消え失せろ!」
殺戮蝶がキレた。女王蜂を殺そうと攻撃魔法を連発する。
「わらわに歯向かう気ですの!? 貴女には教育が必要みたいですわね!」
応戦する女王蜂。殺戮蝶に殺す気で槍を突く。
こうして、三日三晩にも及ぶケンカが始まった。
◇◇◇
ワザクール教国の王子が王妃を探しに軍隊を引き連れてやってきた。
空に浮かぶ二体の魔物に向かって吼える。
「魔物どもよ! 我が母にして教国の王妃をどこへ隠してた! 正直に言わぬのならその首を刎ね、我が剣の錆びにしてくれる!」
やいのやいのと大口を叩く王子の声に意識が浮上する。
不眠不休で戦っていた女王蜂と殺戮蝶はその瞬間だけ我に返り、二人のケンカに水を差す外野の声に対して殺意を共有する。
同時に口を開いた。
「――あ?」
王子が悪いわけではない。
ただタイミングが悪かった。
「ぎゃあああああああ!」
虫の居所さえ違っていたならば、一瞬で滅ぼされることもなかっただろうに。
◇◇◇
図らずも共闘する形で軍隊を殲滅した二人は、すっかり頭を冷やしていた。
「こいつら、前にうちに土足で立ち入った人間どもの身内のようね」
「王妃が母親だとか言ってましたわね。ということは、コレって王子だったのかしら?」
たった今殺した王子の死体を石突でつんつん突く。
「まだ王がいるってことですわね。如何なさいますの? どうせもう一度軍隊を寄越してきますわよ?」
「別にどうだっていいわ。この土地にもう用はないし。魔王様の許へ急いで戻らないと。……でも、そうね」
どうせと言うのなら、魔王軍の世界制服の過程でも、どうせこの辺の国も滅ぼさないといけないのだ。
なぜかやる気を出している女王蜂をこの際利用するのも悪くない。
「こっちから攻めて滅ぼしましょう。一緒にくる?」
「っ! よろしくてよ! 配下の忠義に応えることも王の務めですわ!」
女王蜂の世迷言ももはや気にならない。言葉でなく拳を交えた三日間の語らいで悟ったことは、こいつには何を言っても無駄である、という真理であった。
「この戦いが終わったら今度こそお庭を造って頂きますわよ。庭師には庭師のお仕事をしてもらいますわ!」
「だから、庭師じゃないってば。……でも、どうしてそんなにこだわるのよ?」
すると、女王蜂は満面の笑みを浮かべた。
「貴女が育てたお花が気に入ったからですわ! あれほど濃厚で芳醇な蜜を蓄えた美しい花は見たことありませんわ! ぜひとも献上しなさいな!」
「……そう」
単純で脳筋で王気質のこの女が他人にお世辞を言うとは思えない。
誰かのために育てたつもりはないし、まだまだ世界で一番とは言い難い出来ではあるが、それでもやはり育てた花を褒められるのはうれしかった。
思いのほか自分はお人好しなのかもしれない――呆れながらもそう自己評価を下す殺戮蝶は、女王蜂に提案したのだった。
「貴女、魔王軍に来なさいな。そうしたら、いくらでもお花を恵んでやるわよ? どうかしら?」
後に、魔王軍の特攻隊長として名を馳せる幹部の誕生の瞬間であった。
笑顔で応えた。
「嫌ですわ!」
女王蜂――後に『グレイフル』を名乗るこの女が魔王軍に参入するまでは、もう少しだけ紆余曲折するのである。
(グレイフルシナリオ 了)
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