その2「分封」
新しい女王蜂が誕生したとき、その母親である女王蜂は部下を伴って旅立ち、他の場所に巣を作る。これを『分封』という。
娘ではなく母親が巣立っていく。とても奇妙に見えるが、蜂の世界では若い世代に安全な家を譲り、経験豊富な高齢者が新天地を目指すのだ。
倫理や感情に支配されない昆虫ならではの合理性。そうやって種は繁殖し拡大していくのである。
――が、突然変異で発生したソレは本能も合理性も覆した。
生まれたときから王の気概を宿したソレは、与えられた古巣だけでは飽き足らず母蜂の新居を占領し、群れの全労働力を手に入れると、後から生まれてくる女王蜂を一匹残らず殺し尽くし独裁体制を敷いたのだった。
そして目につく世界のあらゆるものを欲し、本来なら働き蜂の仕事である探索を率先して行うと、この世界の広さと不条理を知った。
(世界とはなんとドデカイのかしら! このすべてがわらわの物ではないなんて!?)
許されない事態だ。
神とか魔王とかよくわからない者たちがソレを差し置いて世界の支配権を巡って争っていることも許しがたい。
(まずはわらわに貢ぐことが先でしょうに! なってませんわ!)
とはいえ、じゃあどこで誰にそれを訴えればいいのかわからなかった。
お伺いを立てるのはおまえたちのほうだろうに――とは思うものの、現状無視されているのはソレのほうなので、致し方なく放浪の旅に出ることにした。
旅そのものは奔放なソレにとって心躍る楽しいものだったのでそれほど不満はなかった。
(それはそれとして、効率を考えるとやはり各地に拠点となる別荘を作らないといけませんわね。わらわに相応しい土地はありますかしら)
――巡り巡って辿り着いた桃源郷には漆黒の魔女がいた。
美しい花と美味しい蜜を育て上げる有能な庭師。
魔女自身の美貌もそばに置いておくのに不足はない。
金髪の女王蜂は「彼女ごと桃源郷を貰ってやってもよい」という決定を下したのだった。
◇◇◇
同じような考え方をする者はどこにでもいる。
それが卑しからぬ身分の者(自称を含む)に多いのはどんな摂理が作用してのものなのか。
桃源郷から命からがら逃げ延びた行商人は、仲間の犠牲を無駄にしないためにもわずかな戦利品を王宮に差し出した。
世にも珍しい花々と、そこから抽出した精油で作った香水を献上すると、王妃は思いのほか喜んだ。
法外な褒美を約束された行商人は命を賭けた甲斐があったと胸を撫で下ろす。
「――しかし、手に入った香水はこれだけなのですか?」
「え? あ、はい。何分、魔物の手から逃れるのに必死で荷物のほとんどを捨てざるを得ず……。馬車も荷物も……仲間たちも……ううう」
「そうですか。では、命じます。これと同じものを量産するのです。そうしたら、追加で褒美を取らせましょう」
「は? へ?」
耳を疑った。
桃源郷には魔物が棲むという噂も、実際に犠牲者が出たという報告もたった今伝えたばかりだ。
その上でなお死んでこいと命じる王妃の非情さに絶望しかかった。
王妃は「安心なさい」と微笑みかけた。
「国の兵士を付けましょう。この機会に魔物討伐を行い、桃源郷を我がワザクール教国の領地にします。貴方は案内するだけでいいのです。やってくれますね?」
正直なところ頷きたくない。だが、王妃に逆らえばどの道行商人に明日はない。
「つ、謹んでお受けいたします」
「頼みましたよ」
これより二日後、桃源郷を侵略すべく教国兵団が行軍を開始した。




