『滅びの幕開け』その真相
東域アンバルハル王国、辺境の村――【アコン村】から村人が一斉に消えた。
すべての家屋が焼け落ち、家畜も全滅した。焦土と化した【アコン村】跡地を調査しに来た王宮兵の一団は、まるで地獄のようであったと報告した。
「僕たちの村が……そんな……」
村の青年ハルスは歯噛みした。一度は魔族を追い払って守り通した故郷が、一夜のうちに火に包まれ灰燼に帰したのだ。胸に懐く悔恨はどうあっても拭えそうにない。
だが、下を向いてばかりもいられない。
「幸い、村人は皆【王都アンハル】に辿り着けた。出立があと一日遅れていたら……。危ないところであったわい」
村長の言葉にハルスは頷いた。
「本当に。下手をすれば村人まで全滅していたかもしれませんから」
不幸中の幸いとはこのことだ。村は無くなったが、村人は誰ひとり欠けることなくアンハルに辿り着けたのだから。
村人は今、王都を囲む城壁の東門の外側に広がる平野で、天幕暮らしを余儀なくされていた。難民がアコン村の村民だけだったならアンハルも無条件に受け入れてくれただろう。しかし、辺境にある村々のすべての村民が押しかけてきたために、アンハルは町の治安を維持するため受け入れを拒否せざるをえなかった。
こうして野営しているのはそのためである。
「【首長会議】は先日終わったばかりだというのに。またあの頑固ジジイどもと丁々発止せねばならんとはな。ま、同じメンツが生きて再び会えるのは喜ばしいことじゃが」
「どこの村でも被害は最小限に食い止められたみたいですね。犠牲者は一人も出なかったとか。アニさんの予言を伝えに各農村に早馬を走らせた甲斐がありました」
「家はまた建てればよい。畑はまた耕せばよい。しかし、人はまた産めばよいというわけにはいかん。本当に重要な財産を持ち出せたのだから儲けものじゃな」
「そう……ですね」
「アニ殿には感謝してもしきれぬ。アコン村だけでなく辺境の村すべての民をお救いになったのじゃから。ヴァイオラ様から【いくさ指南役】にと推され、当初は素性すら疑わしいものじゃったが。なんの、命を救われたのはこれで二度目。わしは己の不明を恥じ入るばかりじゃ。まったく大した御仁じゃよ、アニ殿は」
「はい。僕もそう思います」
十日前。アコン村に【いくさ指南役】として滞在していた【アニ】と名乗る占星術師が、村に襲い掛かる災厄を予言していた。半信半疑であった村人はひとまず女子供を避難させ、男たちだけで村の警備に当たった。
アニが予言した災厄とは、森の魔物が群れを成してやって来るというものだった。
そして、それは的中した。
物見が遠方に砂塵が巻き上がるのを見つけ、その規模から男たちだけでは手に負えないと判断し、すぐさま村を捨てて逃げ出した。途中で先に逃がした女子供と合流し、三日後にはアンハルへ到着。村の惨状を聞いたのはそれから三日後の今日のことであった。
「アニさんはどうして魔物の動向がわかったのでしょうか?」
「それが占星術というものなのじゃろう。中でもアニ殿は屈指の実力者。ヴァイオラ様がご贔屓にされるのもよくわかる」
「今回、辺境の村の中では僕たちの村が真っ先に襲われた。もしアニさんがアコン村に滞在していなかったら、たとえ伝達があったとしても間に合わずに僕たちは死んでいたかもしれない。いや、それ以前に魔族の幹部が攻めてきたときだってアニさんがいなかったらやられていたはずなんだ。アニさんが居てくれたから今がある。アニさんには返しきれない恩ができてしまった」
「本当にのう」
占星術師アニ。怪しげな黒衣を身にまとっていなければ、見た目にはハルスたちと何ら変わらない若者でしかない。
しかし、あの目。彼の目の輝きの異様さは同じ人間とは思えないほどに深く暗い。思い出しただけでも戦慄する。恩に報いる覚悟はあるが、アニ自身を信用してよいものかハルスにはまだ迷いがあった。
そう。彼からは、魔族と対峙したときと同種の不気味な気配が感じられたのだ。
(気を許すべきではないだろうな。たとえヴァイオラ様の命令であっても)
「おいおい! 自分のたちの村が無くなったってのによくもそんな、運が良かった、みたいなこと言ってられんな!? ハルス!」
「ガレロ……」
ガレロがやってきた。村一番の力持ち。若者衆を率いる兄貴分。ハルスやリリナよりも一つ年上で、小さい頃から本当の兄のように慕っていた。
ガレロは猪突猛進な性格だが、誰よりも正義感の強い男でもあった。
「魔物どもなんて追っ払っちまえばよかったんだ! この間の魔族の幹部を撃退したみたいに! 俺たちはもうか弱い村人なんかじゃねえ! 戦える兵士になったんだ! 最後まで村に残って戦うべきだったんだよ!」
「ガレロの気持ちもわかるけど、それは間違いだよ。僕たちはただの人間だ。確かに、僕たちは一端の兵士にはなれたかもしれない。でもね、それ以上ではないんだ。王都を守護する騎士ではないし、神に選ばれた勇者でもない。攻撃を受ければあっけなく死んでしまう、とてもか弱い存在なんだよ」
「んなこたわかってんだよ! でもよ、悔しくねえのかよ!? やってもねえのに負けを認めるみてえで、オレは……オレは……悔しいぜっ!」
「ガレロの言うことも一理あるのう。今後も魔物の脅威は変わらぬ。怯えながら暮らし、襲われれば逃げ出し、その度に村を焼かれる。それでは満足に生きてはいけぬ」
「村長……」
「だろ!? だから、俺たちが戦うしかないんだ!」
「じゃがな、ガレロ。お主らが強くなれたのはすべてアニ殿のおかげなんじゃ。それは揺るがぬ事実じゃ。アニ殿がいつまでも村に留まってくれるとは限らん。いずれアニ殿が村を去る日が来るであろう。アニ殿の占いも戦術も抜きにして魔物から村を守りきることが、お主、本当にできると思うか?」
「な、何だよ、アニの奴がいなきゃ俺たちには村は守れないっつーのかよ!?」
「事実、そうじゃろう」
「やってみねえとわかんねえだろ!?」
バカモン! と、村長が一喝した。
「命は一つじゃ! やり直しはきかん! たとえ何度魔物たちを蹴散らそうと、たった一度の失敗で村は滅ぶ! ……此度、アニ殿は村を捨てて逃げろと言うた。前のように戦って勝てとは言わずにな。アニ殿はわかっておるのじゃ。本当に勝つということは、死なないということだ、とな。それが真に戦うということじゃ。生きるということじゃ」
「……」
「今のお主は喧嘩に勝ちたいばかりに気が逸っている子供と同じじゃ。村とは何じゃ? わしら村人のことじゃろう。わしらが生きているうちはアコン村が滅びることはない」
「でも、故郷が……」
「そんなもん、また作ればええ。わしらが居るところがいつだって故郷じゃ。そうじゃろう?」
村長は笑みを浮かべて立ち去った。
ガレロはその場で尻餅をついた。地面に爪を立てて、握りこんだ砂を叩きつける。怒っていた。どうしようもなく。自分自身に。
「……くそがッ」
「理解はできても納得はいかない、よね?」
「ハルスはわかってくれるか?」
「うん。僕だって悔しいよ。でも、それ以上に村のみんなや家族が死ぬところなんて見たくない。どんなに無様でも、僕は生きていたい。……死にたくない」
「そりゃ、俺だって死にたくねえよ。でも、……弱いよな、俺たち」
アニの命令や村長の制止がなければすぐに殺されてしまう脆弱さ。
このままでは駄目だ。駄目なんだ。
「強くなりてえな」
「うん。……強く、――強くなりたい」
ガレロは奥歯を強く噛み締め、ハルスは両の拳を硬く握った。
◆◆◆
ハルスたちの様子を眺めた後、アコン村の村人の目の届かない場所――南門の外れのほうに移動していた。
「大変なことになってますわね」
傍らで浮かんでいるレミィが背後――東門のほうを窺いながら呟いた。
王都へと至る街道には長い行列が伸びている。あの人影はすべて辺境の村々から避難してきた難民たちだ。
「ああ。残りの村の連中もじきに到着するだろう。【王都アンハル】も人口が過密して大変な騒ぎだ。まったくひどい事態もあったもんだ」
「あらあら? おかしなことを言ってますわね? それともレミィの勘違い?」
「何がだ?」
「レミィにはお兄様が全部仕組んだことのように思えるのですけれど?」
ずっと見ていたくせに何が、思えるのですけれど、だ。
「いい世界だ。便利な道具があったもんだぜ」
懐から取り出したのは【森の角笛】というマジックアイテム。アコン村の倉の中に隠されてあったもので、先日村中を探し回ってようやく見つけ出した。
「チュートリアルの景品だ。アコン村を殲滅した場合【戦利品】として手に入れられる。もっとも、チュートリアル以外の戦闘でも高確率でドロップするアイテムだし、少し物語を進めるだけで上位アイテム【大地の角笛】が手に入るからさほど重要なアイテムじゃない」
クソ妹にもそれがわかっているはずだ。たぶん、チュートリアルで手に入らなかったこともあまり気にしていないだろう。
「そのアイテムって魔物を呼び寄せることができるんですわよね?」
「ああ。このアイテムを使い魔物を呼び寄せ、そいつらとの戦闘に勝利することで魔王軍幹部たちの部下が補充できる。逆に言えば、このアイテムが無ければ部下を強くすることができない」
【森――大地――大陸】
【川――海辺――大海】
【峠――山脈――天空】
といった具合に、場所によって呼び寄せられる魔物の種類とレベルも変わってくる。
他にもレアモンスターを召喚できる特殊角笛――【氷の角笛】、【砂漠の角笛】、【闇の角笛】など――が各種この世界のどこかに散らばっている。魔物図鑑をコンプリートするにはすべての角笛を集める必要があるが、角笛を吹けば必ず目当ての魔物が現れるとは限らない。そこに一種の中毒性を孕んでいた。射幸心を煽る、いい意味でえげつないシステムだ。
「しかも、角笛は五回使用すると砕けて無くなってしまう。目当てのモンスターを引き当てたければ何度も同じ角笛を手に入れなければならない。まったく面倒なシステムだ」
「でもお兄様はこのゲーム、完全コンプリートしたのでしょう? すべての魔物を配下に加えたということは、やっぱり何度も角笛を集めましたの?」
「まあな」
おかげでこの世界のどこにどの角笛があり、どんな魔物を呼び寄せられるのか、その確率まですべて頭に入っている。
「このゲームは魔王側に有利に作られている。人間側が角笛を手に入れる機会はほとんどない。この【森の角笛】もアコン村でしか手に入らないものだ。そして、使えるのはあと一回だけ」
「貴重ですわね」
「……いや、その役割は十分果たしてくれた。おかげでこの状況が作れたんだ」
そう。
辺境の村々に魔物の群れを呼び寄せたのは――俺だ。
この角笛を使って。
占星術の予言? 俺が俺の意志で呼び寄せたんだ。外すわけがない。
「魔物に村を襲わせて、仕上げにお兄様自身で家屋に火を放つ。襲われたほうからしたら魔王軍の襲来にしか見えませんの」
「炎系の魔法が使えたのは運が良かった」
村人が全員避難した後、すべての家に火を放って回ったのだ。
村を壊滅させるために。
「村外れの森の中で、魔法の練習たっくさんしていらしたものね」
「ふん。油を撒いて火をつけていたんじゃ時間が掛かるし村人に気づかれかねなかったからな」
もっとも、炎系の魔法が使えたからこそ用いた策だったわけだが。
アコン村だけでなく、他に二つの村にも火をつけて回ったのはさすがに骨が折れた。
「でも、あそこまでする必要が本当にあったんですの? ていうか、どうして魔物を味方である人間に襲わせたんですの? こんなことに何の意味があるんですの?」
レミィにはアンバルハル王国を混乱に貶めたようにしか見えないのだろう。
味方である人間、という発言には異論を唱えたいところだが、今は置いておく。
「意味ならある。ハルスたちをよく見てみろ。あいつらは退路を断たれた。もう一押しあれば、このまま王都に残って騎士に志願するようになるだろう。アコン村の連中だけじゃない。辺境の村々も、王都アンハルも、王国内すべてで緊張が高まっている。軍備拡張も已む無しの機運もこれで高まる」
「ああ、そういうことですの。ヴァイオラへの手助けだったわけですのね」
ふーん、と不機嫌そうに鼻を鳴らすレミィ。
こいつ、ヴァイオラの話題になるとわかりやすく拗ねやがる。
ま、どうでもいいけどな。
「ヴァイオラが望んでいた形じゃないだろうがな。しかし、人間ってのは追い詰められなければなかなか変われない生き物だ。戦う意志は、死に直面しなければ湧いてくることはない。いつ死んでもおかしくない事態であることを突きつける――それが人間を戦闘にかき立てる最もシンプルなやり方だ」
魔族に抗する力を持たせるにはただ命じるだけでは駄目だ。
人間自身にも力を欲しさせるきっかけが必要だった。
「ゲームのエピローグでヴァイオラが世界統一国家の元首になれたのは結果論に過ぎない。魔族どもが次々と国を滅ぼし、ついには神を討伐し、魔王たる主人公に請われて玉座を手に入れた。しかし、それは偉業とは言えない」
ヴァイオラは何もしていないに等しい。
「俺が目指すのは人間の力だけで勝ち取る勝利だ。魔王を討ち、逆に魔族を従えて、神をひれ伏せさせる。それこそが俺のゲームクリアの絶対条件だ」
俺がゲームマスターとなり、人間も魔族もすべて支配してやる。
「そのための仕掛けだ。今はクソ妹なんぞにかまけている場合じゃない」
バカ妹をおちょくるのは下準備を終えた後だ。
あと少しだ。待っていやがれ。
「――ここらでいいか。さあ、仕上げだ。角笛よ、最後の一仕事。しっかり頼むぜ」




