女王蜂グレイフルVS槍聖サザン・グレー
「オォオォッ!」
渾身の一突きが天に牙を剥く。
グレイフルの顔面を狙った一撃必殺。
刺し違いに放たれるであろう日傘の槍には目もくれず、一瞬でも早く魔物の息の根を止めんと繰り出したサザン・グレーの一撃は――しかし、無情にも空を切っただけだった。
翅があり、空にいて、蜂である。
地上戦ならいざ知らず、空中戦でグレイフルを出し抜こうとはあまりに無謀。
どんなに槍捌きが巧くても高速で旋回する蜂を突き刺すのは至難の業であり、いわんや女王蜂が相手では通じる道理もない。
サザン・グレーの矛先が喉元を貫かんとしたまさにその瞬間、グレイフルは物理法則を無視した急旋回を行った。
高高度からの落下速度とそれに伴う急停止による負荷すら無いものにし、滑らかに空中に弧を描いてサザン・グレーの背後に着陸する。
「ッ――」
呼吸の間すら惜しんだ。
必殺の一突きを放った直後である、全力を出したことによりかかる負荷は勇者の肉体にも多大なダメージを与えた。
全身の筋繊維が千切れ、骨という骨が軋みを上げる。だが、そんなわかりきっていた激痛に感けている暇はない。
振り返りざま、槍に人生を捧げた男の史上最強とも言える突き込みが閃いた。
勇者スキル《爆砕一閃》!
それまでリーザ・モアを翻弄してきたどの槍技とも違う。
幻影も残像も生み出さない笑えるほど素直な直突。
ただ行ったまま帰ってこぬ渾身の突きだった。
だが、その猛威はどの絶技をも凌いで余りある。鎧袖一触、風圧を浴びただけで並みの兵士なら四肢をバラバラに切り刻まれたことだろう。
そして直撃したならば、矛先に収束された全エネルギーが体の内側から爆散し、肉片一つ残さず粉々にするのである。
「爆散するがいいッ! 下郎ッ!」
バーライオンであっても防ぎえぬ絶技!
貴様にこれが捌けるか!?
◇◇◇
(よくってよ。でしたらわらわも奥の手を見せてやりますわ)
槍聖の鬼神もかくやの形相とは対照的に、グレイフルはピクニックに出かけた貴婦人のような優雅な所作で、しかして目にも止まらぬ手早さで日傘を開いた。それは居合いの達人を彷彿とさせる一瞬の出来事であった。
開いた日傘を傾けて、傘地を迫り来る槍に差し向けた。それはまるで子供がチャンバラごっこに使用する『盾もどき』の様相である。
平時のサザン・グレーであれば激高するところだろう。しかしながら、幸か不幸かスキル発動に全身全霊を傾けた彼にその悪ふざけが目に入らなかった。
――否。それは間違いなく彼にとって不幸であり失敗であった。
しかと見て危険を察知したならば繰り出した一手を押し留めることもあるいはできたかもしれない。
これが敗着を呼び込む分岐であったことをサザン・グレーは数瞬後に思い知る。
純白の傘地に吸い込まれていく魔槍。
布を破いて深く深く穿っていく。
彼我の得物のリーチ差はとっくに見て取っており、傘地がグレイフルの姿を覆い隠しているものの傘の持ち手と角度からここと定めた箇所へと突き入れた矛先は、間もなくグレイフル本体に到達するはずだった。
一秒にも満たない刹那の中では、盾を貫いた時点で矛の勝利は確定的だった。
にもかかわらず――槍による一撃を喰らっていたのは、なんとサザン・グレーのほうであった。
「…………ッ!? がふっ」
サザン・グレーの胸を一振りの槍が貫いていた。その柄に血液が滴り流れていく。
「なん……だと……」
我が目を疑った。
その槍に見覚えがあったからだ。
それは他ならぬサザン・グレーの愛槍であった。
信じがたいことに自ら突き込んだ槍が、傘地の別箇所から生えて伸び、威力そのままに返ってきたのである。
自分で自分の胸を突き刺した格好であった。
(衝撃を跳ね返すといった安易なものではない……ッ。これは反射に近い……ッ)
日傘を鏡に、槍を光に見立てた推測だが、それも誤りである。
よく見れば、破いたと思っていた傘地にはどこにも破れ目がなかった。盾にしてはやけに手応えがなかったと今さらながらに思う。通常の傘の布地のほうがまだ感触は残ったであろう。
真実は――日傘がサザン・グレーの槍を吸い込んでいた。
吸い込んだ先に何があるのか、使用者であるグレイフルにもわからない。
ただ、多次元空間の彼方に投げ出されたエネルギーを数センチずらした位置に転移して、撃ち込んだ者へとそっくりそのまま戻したというだけのこと。
それ以上の理解はもはや不要であった。
「ぐっ……、ぁ――かはあ……ッ!」
持ち手に力を込めれば胸に刺さる矛先にも伝わった。自分の槍なのだから当然だ。とても不可思議だが、愛槍が折れ曲がったわけでも瓜二つの偽物に攻撃されたわけでもない。紛うことなきサザン・グレーの槍なのだ。
悟ったところでもう遅い。次の瞬間――、ボンッ、という爆音とともに、サザン・グレーの全身から霧状の血飛沫が大量に弾け出た。
宣言どおり、勇者スキルは貫いた敵の内部を高エネルギーの発火に従い爆散させたのだった。
サザン・グレーは糸の切れた人形のように、ストン、とその場に膝をついた。
瀕死であるのは一目瞭然。
勇者が圧倒的な自己治癒力を有するといってもこうなってしまえばもはや再起不能。放っておいても問題はないように思われたが――。
サザン・グレーの眉間を日傘の槍が貫いた。
頭部は木っ端微塵に砕け散り、残された胴体がゆっくりと前のめりに倒れ込む。
サザン・グレーの敗北であった。
◇◇◇
石突に付いた血を振り払い、グレイフルは呆気ない幕引きに嘆息した。
「槍がお得意のようですけれど、残念でしたわね。わらわさえいなければこの世で一番の使い手でしたのに。ままならないものですわね」
もっとも、サザン・グレー程度の使い手と武技を競おうなどとは微塵も思わないが。こういう手合いにこそ日傘の呪いを活用すべきだが、初めて使用してみてもやはり『相応しき勝利』は得られなかった。
正々堂々。
力任せに粉砕するのがグレイフルの美学。
……この勝利にカタルシスはない。
また、成り行き任せに他人の獲物を仕留めたところでそもそも達成感など望めるはずがない。あまりの白けっぷりにそれまで戦っていたオプロン・トニカへの憎悪すら消え失せた。
後はリーザが煮るなり焼くなり好きにすればいい。
「ですが、悪いことばかりではなかったですわね」
リーザと視線を交わしただけでお互いの意を汲み取った。それは信頼関係があって初めて為せる業であり、グレイフルには嬉しい出来事であった。
「ようやくわらわを主と認めましたのねリーザァアア! をーっほっほっほ!」
意思疎通ができるということはグレイフルを王として戴いた証である、という解釈である。
当のリーザ・モアが聞いたら烈火の如く怒り狂いそうなところだが――。
勇者に負けるとは微塵も考えていないグレイフルこそ、リーザへの信頼が厚いのだった。




