その7「おかあさま」
許さない。許さない。
蝶々の目を通じて一部始終を見ていたリーザは声なき声で呟いた。
死に際にいるリーザの意識を繋ぎとめているのは最愛のひとを奪った母への憎しみだった。
蝶々と感覚を共有していることも魂をこの世に引き留める要因となった。
まだ死ねない。
この感情をあの女にぶつけるまでは死んでも死にきれない。
私を騙し、父を殺した、あの女を呪うまでは……。
それからどれくらい経っただろうか。
数秒の気もするし、数日経ったような気もする。
無音の世界でただまっすぐに空だけを両目に映す。
蝶々が視界の中を通過すると、今度は仰向けに倒れる自分を俯瞰して見下ろしていた。
蝶々の視点と交互に切り替わりながらリーザはひたすら助けを待った。
死にたくない。死にたくない。
ゆるさない。ゆるさない。
あの女を呪うまで、私は。
「シヌモノカ――」
◇◇◇
『――黒い波動を感じて見に来てみれば、まさか人間の娘であったとは』
魔王はリーザの傍らに立ち、その亡骸を見下ろした。すでに事切れているにもかかわらず魂を蝶の姿に変えてこの世に留まっている。
次いで、山頂を見上げた。
神の雷を受けて燃え続けている怪物がいる。
花の精霊が怨讐に囚われて怪異となったものだろう。相手が魔物であれば助けるのもやぶさかではないが。
『アレはもう妄執の権化だ。助けたところで再び自滅の道を走るだろう』
反対に、足許に転がっている人間の娘は、生かしたくとも器たる肉体がすでに機能していない。
魔女になりかけているというのに些か惜しくはある。
ならば――。
『人間の娘よ。余と契約を結べ。さすれば、その憎悪を叶えよう』
返事に迷いはなかった。
「お願いいたします。神様」
『……余は神などではないのだがな』
苦笑しつつ、魔王はリーザの魂を、怪物と化した花の精霊の肉体に植え込んだ。
怪物を襲っていた聖火は突風にまき散らされて消え、花弁の口からは裸体の少女が生み出された。
リーザだった少女はやおら立ち上がると、
「神様、感謝いたします」
『……いや、だから、余は神ではないと』
魔王に礼を述べたのも束の間、【ロックグラン】の絶壁を飛び降りた。
空中にて蝶々の黒羽を背中から生やしはためかすと、鳥のように青空を滑空していく。
◇◇◇
地上に降り立つと、正面で驚きの声を上げる女性がいた。
目深にフードを被り、杖を突いて今にも倒れそうな体を支えている。
そこは草木一本生えない荒野の真ん中。
そして、北に向かって歩いていた女性こそ、数日前に夫を殺した罪で村を追放されたモアだった。
「あ、悪魔……!」
モアは思わずそう叫んでいた。
背中に蝶々の羽を生やしたリーザだったが、その肉体は漆黒に染まり、両手足は植物の蔓が巻き付いて出来たような造形だ。
モアが、およそ人間からかけ離れたその姿を悪魔と形容するのは無理からぬことであった。
しかし。
「なんですって?」
その悪態に心が沸騰する。
(悪魔だと? あのひとを殺したおまえがそれを口にするのか。私をこんな姿に変えたおまえがそれを口にするのか! 悪魔はおまえのほうではないか……!)
両手でモアの首元を掴む。
ひぃ、と悲鳴を上げるモアを至近距離に引き寄せた。
鼻と鼻がぶつかりそうな距離。
かつて密談を交わしたときのような可憐さは皆無だ。
捕食する側と捕食される側の殺伐とした緊張感のみ漂った。
「お父さまを殺したおまえを許さない。簡単に殺してなんかやるものか。一生、呪い続けてやる」
「た、たすけ」
「助けない! ――私と一緒に呪われましょう、お母さま」
ぐしゃり、とほんの少し力を込めただけで首を潰した。
あまりにも呆気なくかつて母だったひとが死んだ。
事切れた死体を前にしてリーザは、
「いい気味ね、おかあさま」
無感情にただそれだけを口にした。




