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撤退


 サザン・グレーは教会から飛び出ると、大通りの中心に巨大な穴を開けた。


「生きている者はこの穴に飛び込め! だが急ぐんじゃない! 身を伏せながら慎重に来るんだ! 顔を上げてはならん!」


 見える範囲に生きている者はごくわずかだ。人々は中心地に向かって逃げたはずだが、敵のスキルは渦を巻くようにして段々と外側にまで勢いを伸ばしている。すでに遠く離れてしまった彼らまで救うことは不可能だ。


 せめて、あとひとり勇者がいたなら……ッ!


 そのときだった。突如、地面が中心地に向かって次々と陥没していった。どれもサザン・グレーが開けたものよりも格段に大きな大穴である。まだ物陰に潜んでいた人々が必死にその穴に飛び込んだ。


 不自然な陥没。偶然によるものでは断じてない。一体誰が――。


「余所見してちゃ駄目だよ、勇者さま! 背中ががら空き!」


 誰かが黒鞭から背中を守ってくれた。振り返ると、そこにはまだ年端のいかぬ少年がいた。岩で出来た鎧を纏い、風と鞭の攻撃を体で受け止めていた。


「君は――」


「この鎧、あんまし持たないからさあ! 急いで! 走って!」


 北門防衛部隊に投入された魔導兵のうちのひとりだった。姫殿下をお守りするために組織された【ヴァイオラ親衛隊】のメンバーでもある。名前は確かラクトと言ったか。


 彼の身を守っているのは【土】属性魔法――《グランドアーマー/鎧甲》だ。一定時間、鉱物で作った鎧や盾で敵の攻撃力を削る効果がある防御魔法。


 ラクトは【土】属性ではなかったはず。ということは――。


==聞け! 土の精霊よ! 我を束縛する者よ!==

==中心を保ち、我の肉体を支えよ!==

==星星の廻転を拡げ、支配を崩せ!==

==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==

==紡げ――《グランドアーマー》!==


 魔法詠唱が天高く響き渡ると、地面から土塊が湧きだしてサザン・グレーの全身を覆い尽くした。瞬く間に岩の鎧が完成した。


「遅いよ、ロアっち! オイラの鎧ももう限界だよ! 早く重ね掛けして!」


「むむ、無茶を言うな! ついさっき道に《落とし穴》をたくさん作ってきたんだぞ! 今ので僕の魔力はほぼ尽きた! もう鎧は作れないんだよお!」


 中心地のほうから走ってきたのはもうひとりの魔導兵――ロア・イーレット二世だ。こちらも岩の鎧を着ているが、情けなく泣きべそをかき、今にも倒れ込みそうなほど腰が抜けている。


「は、は、は、早く! 早く逃げよう!」


「だね! 勇者さま、行きますよ!」


 ふたりの少年に左右から腕を掴まれる。


 サザン・グレーは戸惑いを隠せなかった。


「行く……とは何だね? どこへだ?」


「決まってるでしょ! 逃げるんですよおおお!」


「逃げるだと? 君たち、本気で言っているのか?」


 咄嗟に少年たちの手を振り払おうとしたが、ぐっ、と掴まれた腕が動かなかった。


 さっきまで微笑を浮かべていたラクトが真剣な眼差しを向けてきた。


「アニさん――占星術師さまのご命令です。勇者さまの体力が著しく損耗したときは、勇者さまともども戦線から離脱せよ、と。そして、勇者さまの命を最優先にお守りせよ、と」


 占星術師の命ということは、ヴァイオラ姫の命でもある。


「馬鹿なッ! 敵前逃亡をしろというのか! この私に!?」


 今度はロアが叫んだ。


「今は戦力を失うことのほうが痛手になるんだよ! 魔王軍の襲撃はこれからも苛烈になる! いまアンタを失うわけにはいかないんだよ! 早く逃げようよ!」


「し、しかし、北門が破られたいま、誰がこのエリアを守護するというのだ!?」


 ここで食い止めねば、少なくとも敵幹部を殺さなければ、今にも魔王軍が雪崩れ込んでくるというのに。


「アニさんの予言だと大丈夫だってさ。門を破壊するのはついで。魔王軍の本当の目的は門番についた勇者の各個撃破だったんだ。総力戦になったとき魔王軍にとって邪魔なのは勇者さまたちだから。むしろ、四箇所に戦力を分散したことで魔王軍の襲撃を呼び込んだかもしれないって」


 なるほど。敵幹部がひとりでやって来たことも確かにそう考えれば合点がいく。


 とすれば、いまこのときも別の門では戦いが行われているということ――。


「……」


 サザン・グレーが力を抜くと、少年たちはつられるように腕を放した。


 その刹那、サザン・グレーは渾身の力を振り絞って遥か後方に置き去りにしたリーザ・モアに向かって槍を投擲した。爆音が轟き、爆風がここまでやってきた。


 リーザ・モアが居た地面には槍が深々と突き刺さっていた。敵の姿はどこにも見当たらない。木っ端微塵にでもなったのだろう。それが理由に、直前まで猛威を振るっていた鞭と風の嵐が唐突にピタリと止んだ。


「た、助かったぁあああ……」


 ロアがへなへなと腰砕けになる。まだ助かったと断じるには早計であったが、サザン・グレーの直感でも脅威が完全消滅したことを悟った。


 敵を殺せば消えるスキルだったか……。敵の死によって制御が効かなくなる呪いの類であると見誤った。さっき殺せるうちに殺しておけば余計な死者を出さずに済んだものを。結果論に過ぎないが、サザン・グレーは己の不明を恥じた。


「もう二度と過たない。私は今度こそバーライオン――君に追いついてみせる」


「あ、ちょっと! 勇者さま! どこ行くんだよ!?」


「ここより近いのは東門だ! 加勢に行く! 君たちは生存者の保護に向かえ!」


「駄目だよ! オイラたちは勇者さまを安全な場所に連れて行けって命令されてるんだから! ちょっとロアっちも引き止めるの手伝ってよ!」


「こ、腰が抜けて……」


「ほんと使えないなあロアっちは!」


 少年たちにかまけている暇はない。


 サザン・グレーは次の戦場に向かって走りだす。


「待っていろ! 同士よ! 魔王軍よ!」


◇◇◇


 勇者が去った北門エリアは後には死体と瓦礫の残骸だけがおびただしく転がっていた。助かった者たちの中から生き延びられたことを喜ぶ声はまだ上がらない。


 サザン・グレーの槍が突き立った地面から女性の細腕が生えた。


 被っていた土砂から身を起こしたのはリーザ・モアである。


 あの槍の投擲から命を拾うことができたのは魔王様の機転のおかげであり、部下の献身によるものでもあった。魔王様が命じたとおりに動いたシルフ②がリーザの代わりに槍を受けたのだ。舞い上がった砂埃に身を隠すことで勇者からやり過ごすことができた。


「……ッ」


 血が出るほどに強く唇を噛む。


 リーザは怒りが収まるまでその場に佇んでいた。



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