騎士の本懐
暴虐の嵐が巻き起こる中、サザン・グレーは思考を止めた。
敵幹部のリーザ・モアは地べたに膝を突き、ひどい出血を堪えるようにして激しく肩で息をしていた。サザン・グレーに注意を向ける余裕はない。スキルを維持するので精一杯で隙だらけだ。
……罠ではないかと勘繰ってしまうが、勇者の直感がそこに脅威はないと判断した。おそらく、あと一振りで仕留められると目算する。自身のあり余る体力と敵の消耗具合を測れば答えは容易く導き出された。アレにはもうサザン・グレーに抵抗する力は残っていない。
いま攻撃すればいとも簡単に倒せる。わかっている。なのに、――サザン・グレーは躊躇った。
思考を遮ったのは、死に際に祖母が遺した言葉であった。
◇◇◇
辺境の農村に生まれたサザン・グレーは年老いた祖母と暮らしていた。
幼子と老婆の二人暮しは何かと大変だろうと村人たちはいつも気に掛けてくれていたのだが、祖母は傲慢に振舞って村のあちこちで余計な諍いを起こしていた。
同情されるくらいなら死んだほうがマシさ――それが祖母の口癖だった。
どんな人生を歩んだのか知らないが、誰も信用しない哀しいひとだったのだ。
そんな祖母が病で倒れたとき、サザン・グレーは途方に暮れた。
村人に泣きつくのを祖母はきっと善しとしないだろう。それまでの確執から誰も助けてくれないかもしれない。為す術なく、一人で祖母を看取った。
「サザン。強くおなり。誰の助けも要らないくらいに」
祖母の最後の言葉だった。
強さとは何なのか。
助けるとは何なのか。
少なくとも当時のサザン・グレーはか弱い存在だった。
老婆ひとり背負うことすらできない非力な体。
体格だけじゃない。心も弱かった。ひとと接することが苦手で避けてきた。
兵士になってからも部隊に溶け込めず一人で槍を振ってきた。この劣等感が強欲なバーライオンに憧れを抱かせた。
(いま、私は勇者だ。私は強い。誰よりも、何よりも。現にこうして魔王軍の幹部を追い詰めている。私は強いのだ――!)
しかし、追い求めていた強さではなかったと気づく。
今の自分ならあのとき祖母を救えただろう。祖母を担いで村を駆け回り、腫れ物扱いしてくる村人にも頭を下げることができたはずだ。
ただ敵を倒すだけならいつでもできる。リーザ・モア程度の相手ならばいつだって殺せる。リーザ・モアを殺したところでこの鞭嵐が消える保証はどこにもない。
それよりも、失われていく命を救えるのはこの瞬間だけだった。
今しかないのだ!
「うおおおおおおおおおおおッ!」
吠える。ついに答えを見つけた。
(目の前で命の危険にさらされている無辜の民を救わずして何が勇者か――!)
振り返る。視界の中に、今まさに鞭打の餌食になりそうな住民が映り込む。
図らずもそれが老婆だったのはどんな運命の悪戯か。
あのとき救えなかった祖母が現れたとしか思えず、神が与えた試練であると信じた。
一切の迷いなく、サザン・グレーは黒鞭の嵐の中に飛び込んだ。
老婆を胸に抱えた瞬間、背中を強打した。宙高く舞い上がり瓦礫の山に落下する。
サザン・グレーにダメージを与えた!
『72』
『73』
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サザン・グレー LV.16
HP 716/970
MP 0/0
ATK 110
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「ぐうううう――――ッ」
激痛に唸りながらも立ち上がり、胸に抱いた老婆を気に掛ける。老婆は涙を流して狼狽しているが、無傷だった。槍で地面を突いて穴を掘り、そこに老婆を入れた。
「ここなら比較的安全だ。頭を低くして隠れていなさい」
顔を上げる。死神の鎌にさらされている人間はまだまだ多い。
「――――っ」
萎えそうになる心を奮い立たせる。――助けねば。弱き者を救うのだ。それが勇者の務めだ。騎士の本懐だ。そうであろう、バーライオン!
悲鳴の最中に突進し、手の届く者だけを最優先に救助した。離れた者はどうしようもない。気づいた瞬間にはもう風刃と黒鞭に破壊されている。それらを目に焼き付けて、心の中で詫びながら、救える者だけを救った。
ズガンッ――と、またもや背中に衝撃が走る。
ふっ飛ばされた先は崩壊した教会内部。本来神を降ろす場は、いまや埃と黒煙と、瓦礫に押し潰された死体によって穢されていた。数刻前まであった神聖さは見る影もない。
それでも、傾いて崩れかけた十字架にサザン・グレーは勇気を得る。神は見ていてくださっている。ここに飛ばされたのも神の御意志だ。
私に使命を与えるための。
「ううう、うううう……」
やはりというべきか、この教会の司祭が崩れた支柱と木椅子の間に挟まれていた。慎重に助け出し、応急処置を施す。
「ゆ、勇者、さま……。どうか、お、お救いください、ませ……」
民を。
アンバルハルを。
「……ああ。承知した」
司祭は安堵しように意識を失った。




