《エンエアー》
――来る!
サザン・グレーは咄嗟に腰を落として身構えた。
黒き蝶がサザン・グレー目掛けて疾走してきた。
リーザ・モアの呪文詠唱が大気に響く。
==聞け! 火の精霊よ! 我を監視する者よ!==
==孤独を排し、我の胸を暖めよ!==
==永久の眠りから目覚め、不正を殺せ!==
==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==
==紡げ――==
文言から魔法属性を判別――火属性。
《抗魔力》の加護をもつサザン・グレーにしてみれば火球など微風に等しい。
恐るるに足らず!
だが、油断はしない。あのバーライオンでさえ魔王軍に破れたのだ。不覚を取った要因は慢心であろう。勇者であっても魔王軍の猛攻に倒れることがあるのだということを、あのバーライオンが教えてくれている。彼の死を無駄にしないためにもサザン・グレーはどんな魔法も侮らない。
「《フレアバースト》――――ッ!」
炎弾の爆撃にさらされる。
衝撃を伴ってサザン・グレーの鎧の表面を焼く。
サザングレーにダメージを与えた!
『0』
―――――――――――――――――――――
サザン・グレー LV.16
HP 970/970
MP 0/0
ATK 110
―――――――――――――――――――――
やはり微風。やはり無痛。魔法が起こす奇跡をことごとくキャンセルし尽くした。
(だが、この弾幕はあるいは目暗ましかもしれん。本命は次に取ってあるはず)
油断しない――そう心に決めたサザン・グレーに死角はない。
「むんっ!」
槍を横一文字に薙ぐ。たったの一振りで炎弾は掻き消された。
薙いだ弾みで巻き起こった突風が黒煙を晴らす。
クリアになった視界に飛び込んできたのは鞭を構えるリーザ・モアの姿だった。
(――ほう。魔法が効かぬと見て物理攻撃に切り替えるつもりか)
いや、最初からそれが目的だったのだろう。攻撃が届く範囲内に接近するために魔法で目暗ましを起こしていたのだ。
つまり、あれこそが必殺の一手。
魔王軍幹部の魔女の奥の手だ。
「よろしい! 受けて立とう!」
槍を構えてリーザの鞭に備える。たとえ【抗魔力】の加護がなかったとしても、そもそも防御力が高いのが『戦士』の勇者だ。ただの物理攻撃で大ダメージを食うことはない。
それとも、魔王軍の攻撃は一味違うとでも言うのか。
なおのこと面白い――――!
「さあ、攻撃してきたまえ! 返り討ちにしてくれよう!」
そのとき、サザン・グレーの耳に呪文詠唱が聞こえてきた。
==聞け 風の精霊よ 我を糾弾する者よ==
==息吹を運び、我の声を響かせよ==
==あまねく天と地を行き交い、最果てを消せ==
==ローセル、アングル、シュール、ラングラン、コギュ、ラ、マルタ==
==紡げ――《エンエアー》==
リーザが小声で詠唱していた。
《エンエアー》?
聞いたことのない魔法だ。風の祝詞を口ずさんでいたので風属性の魔法で間違いなさそうだが……。
それよりも、ここにきて魔法だと? どういうつもりだ? 通用せぬとなぜわからぬ。
魔女の矜持か。それとも、サザン・グレーを侮ってのことか。
興が削がれた。
「所詮は魔族だな。やはり人とは分かり合えぬようだ。矛を交える戦場においてさえ礼節を弁えぬ。その驕傲、死をもって償うがいい!」
カウンターを狙って腰を落とす。そして――。
リーザの魔法が発動した!
ズガンッ! という轟音が胸部を撃ち抜き、サザン・グレーの体が後方に吹き飛んだ。
「ッッッッッッ!?!?!?」
鉄製の分厚い北門をぶち破り、王都内部の石畳の上を数十メトル転がってようやく停止した。
サザン・グレーは反射的に上体を起こしたが、目を回して混乱した。
一体何が起きたのかわからなかった。
一体何をされたのかわからなかった。
(なぜ私が倒れている!? 北門を破壊するほどの衝撃を受けたから!? いやしかし、魔法であれば無効化できるはずなのに!?!?)
まさか、物理攻撃を喰らったのか?
「ムチのお味は如何かしら?」
棘薔薇の黒鞭をパシンと地面に打ちつけるリーザ・モア。女王然とした貫禄に、思わずサザン・グレーの肌が粟立つ。
(やはりムチ攻撃。だが、見えなかった。いやそれ以上に、これほどの威力があるなんて信じられん……!)
強打を受けた胸当ては陥没し、筋肉の鎧さえ貫通して肋骨にヒビを入れた。凄まじい威力だった。
サザン・グレーにダメージを与えた!
『109』
―――――――――――――――――――――
サザン・グレー LV.16
HP 861/970
MP 0/0
ATK 110
―――――――――――――――――――――
「挨拶代わりよ。まさかこれで終わりじゃないわよね?」
「ぐううう……! な、舐めるなああ! 魔族風情がああああ!」
目を怒らせて立ち上がる。
殺す。
もはや四の五の言わぬ。
目に映るすべての魔族をなぶり殺しにしてくれる……!




