名もなき英雄②
それまで地上から聞こえていた地鳴りが治まった。逃げまどう人々の足踏みが起こした地鳴りだが、それが止んだということは、どうやら王都市街地で繰り広げられた攻防は幕を閉じたらしい。勇者が骸骨兵をあらかた片付けたのだ。
「上は終わったようだよ。あとはここにフタをすれば万事解決だよ」
王宮地下の迷宮をケイヨス・ガンベルムとともに歩いていく。たいまつを持って先行するケイヨス・ガンベルムは恐れることなく歩き続け、途中で遭遇した骸骨兵をいとも容易く片手で斬って捨てた。ケイヨス・ガンベルムほどの実力者であれば骸骨兵は足止めにすらならない。
アニは目の前にいる剣士の強さに瞠目した。バーライオンと死闘を演じたことでより戦闘力の高さを測れるようになった。肌感覚でしかないが確かな直感。
現状、ケイヨス・ガンベルムはおそらくどの勇者よりも強い。
少なくともバーライオンよりは確実に上だ。強さの上下は何も数値的なものだけでは決まらない。訓練であれば、膂力や破壊力が超人的なバーライオンのほうが強い。しかし、それがいざルール無用の殺し合いとなると話は変わってくる。野良試合ならば剣術と魔法の組み合わせで戦闘にバリエーションを持たせられるケイヨス・ガンベルムが勝つ。それも、十やり合って九つは勝つはずだ。それくらいの実力差がケイヨス・ガンベルムとバーライオンにはあると見た。
今のアニでは勝負にならない。一層の警戒心を強めながら、前を行く背中を睨み付けた。
「黙って歩くのもつまらないな。少し世間話をしてもいいかな?」
「ああ」
骸骨兵が脅威でない以上、ケイヨス・ガンベルムにとってこの迷宮探索は退屈なものでしかなかった。どうせ二人きりである、無視をすることもできないので適当に相槌を打つ。
「ここには【英雄ハルウス】の遺物があるという話だよ。占星術師殿は英雄ハルウスの冒険譚は当然知っているよね?」
「悪いが、興味ないな」
「おや? 星読みに歴史の知識は必要ないのかな? では、いい機会だよ。少しハルウスのことについて教えてあげよう。――とその前に、この国には『ハル』と名の付く町や土地が多いことには気づいていたかな?」
「それは……まあ。バルサ王家が名前の由来じゃないのか?」
「そういう説もあるし、正直、由来がどうとか今はどうでもいい話でね。古代アンバルハル語に『ルウス』という『支配』を意味する単語があるのだよ。わかるかい? 『ハル』を『支配』する者、だ。それがハルウスの名の持つ意味なのだよ」
つまり『アンバルハルの支配者』という名を付けられた男が、本当に国の英雄になったというわけだ。
「よく出来ているな」
「そうだろう? 私はそんな英雄ハルウスが大好きでね。百年前の人魔大戦での活躍もさることながら、それ以前の冒険譚も、途方もない難敵に立ち向かい最後には勝利する、とても胸がすくものばかりだよ! 武竜ガルギーアの封印! 巨人エポスの討伐! 挙げだしたらキリがない!」
声が迷宮内に反響する。どこか芝居がかっているが、次第に語調に熱を帯びていっているところを見るとハルウスの昔話が好きなのは本当らしい。
「好きが高じて一時期、歴史書を読み漁っていた。ハルウスが出てこない騎士物語も隈無く読んだものだよ。そこには名もない英雄がたくさんいた。彼らは架空の人物だったのか。いや、違う。ちゃんと実在した。昔話には創作が多いと聞くが、地図や古代史を照らし合わせてみたら割と符号するんだよ。楽しかったよ。文字を追っているだけなのにまるで物語の世界に入ったみたいでわくわくしたものだよ」
すると、その朗々とした語り口は途端に萎んでいった。
「しかしあるとき、私はある事実に気づいてしまった。あくまで仮説だが、その考えを元にして歴史を紐解くといろんな事柄が結びつき、辻褄が合ってしまうのだよ。恐ろしかった。この仮説はアンバルハルの国体に致命的な影響を及ぼす危険すらあった」
たいまつの火が揺らめく。もったいぶっているわけではないのだろうが、ケイヨス・ガンベルムは一呼吸置いてからその「恐ろしい事実」を口にした。
「英雄ハルウスなどという人間はいなかった――という事実だよ。今、初めて他人に話した」
「……歴史上の人物が実在していなかった?」
実在した人物が抹消され、いなかった人間が偉人として称えられる。それ自体は珍しいことではない。善悪はさておき、国を統治するのに必要とあらば歴史を修正しようとする者や組織は現実世界にも実際にいる。
「だけど、ハルウスが残した偉業は事実だろう? 人魔大戦での活躍や、さっきあんたが挙げていた功績だって実際にあった話だろう」
「そうだよ。英雄と呼ばれた人間は確かにいた。武竜や巨人を倒した騎士もいた。しかし、それが同一人物だったかどうか問われれば……答えに窮するのだよ。そして、私の見解ではその偉業を成し遂げた人たちは皆、エトノフウガ族の人間だったのだよ」
「エトノフウガ? ハルウスがエトノフウガだったっていうのか?」
「エトノフウガ族のことは知っているんだね?」
「……」
「その仮説に思い至った要因はいくつかあるが、決定的だったのは『彼ら』が扱っていた武器だよ。伝え聞く形状は当時のアンバルハルでは到底生み出せなかった工芸品だったという話だ」
「英雄なら他国で武器を拾ってきてもおかしくないだろ」
「それはそうだね。だが、仮にその武器がエトノフウガ族にしか伝わっていない『カタナ』と呼ばれる剣だったとしたらどうだい? 実際に見たことはないが、エトノフウガ族は最強の戦闘民族で、武具一つとっても門外不出の業で出来ていると評判さ。他部族に譲り渡すとは思えない」
ゲーム本編にも確かそんな設定があった気がする。ケイヨス・ガンベルムの考察通り、エトノフウガ族は一族の業を外部に持ち出すことを禁じている。特に『カタナ』はエトノフウガ族の剣士にとって魂とも言えるもの。他者に譲るなどもってのほかだ。
それを持っていたってことは……十中八九、ハルウスはエトノフウガ族ってことになる。
「人魔大戦後、アンバルハルは傾きかけた。国を立て直すには英雄の存在が必要だった。そして、アンバルハルのために戦った英雄はアンバルハル国民でなければならなかった。……こうして『英雄』は生まれた。ハルウスの名が出来すぎていた理由がわかっただろう? それこそが作られた物語だからだよ」
話を聞きながらもアニはいくつか合点がいっていた。一つはこの地下迷宮だ。どうしてこんな場所に【ハルウスの遺体】が封じられていたのか。墓地ならば隠す必要はない。王家の墓地と同位に扱い、国民に参拝させれば国体の礎の一つになっただろうに。国を立て直す小道具として申し分なかったはずである。
参拝されては困るのだ。まかり間違って墓が暴かれるようなことがあれば、ハルウスがアンバルハル国民でないことが遺体の骨格からバレる可能性がある。かといって、【ハルウスの遺体】を放置するわけにいかず、こうして地下に迷宮を作り隠したのだ。
ただのおまけダンジョンじゃなかったのか。本編ではそんな事情を一切匂わせなかったのに。後付けの設定のくせしてよく出来ている。
「私はハルウスになりたかった。書物を開くたびにそれを願った。だがね、成長して気づいたのだよ。私はハルウスにはなれない。私は私。ケイヨス・ガンベルムだよ。ガンベルム家の当主として次代の英雄を目指すしかないのだよ」
「それが普通の生き方だろう。ヒトは誰しも他人にはなれない」
「そうだね。君の言うとおりだよ。そして私は勇者にも選ばれないようだね。別にそれならそれでもいい。神がそうとお決めになったのならそこにはきっと意味があると思うからね」
言い訳にも聞こえたが、わざわざ指摘しない。勇者にも英雄にもなれなかった男だが、まず間違いなく、現在アンバルハル一強いのだから。アニは慰めの言葉を持ち合わせていないし、ケイヨス・ガンベルムもそんなもの求めていない。
◆◆◆
迷宮を何度も引き返しては分かれ道を進み、ようやく骸骨兵の発生源と思しき扉に辿り着いた。
(角笛の影響でこの扉を開けちまったのか……)
しかし、扉の中から魔物が出てくる気配はなかった。もう出尽くしたのか、生産が追いついていないのか。
何にせよ。
「扉ごと封印してもらいたい。光属性の魔法を扱えるあんたになら出来ると思ったんだが、どうだ?」
「無論、出来るよ。そうでなければここまで付いてきてないよ」
ケイヨス・ガンベルムが魔法を詠唱する。
==空気と大地 水と火により おまえは呪縛される==
==私が望むとおり 三と九により おまえの力を呪縛する==
==月と太陽により 我が意志を実行せよ==
==空と海により 我より危険を遠ざけよ==
==紐は巻きつき 力は呪縛され 光は黙示さる==
==いま封印す==
眩い光が扉を覆い隠し、観音開きの両扉がゆっくりと閉ざされていく。ガコン、と重い音を立てて閉まりきると、光が強固な鍵を掛けるかのように両扉の中に収束していく。
「これでもう半永久的にこの扉が開くことはないよ。誰かが封印を解かないかぎりね」
やるとしたらプレイヤーだろうが、あの妹が俺とのゲーム中に、特に重要なアイテムがない地下迷宮をわざわざ攻略しようとはしないだろう。
「さあ、帰るとしよう」
◆◆◆
(結局のところ、ケイヨス・ガンベルムはお兄様の敵ですの? 味方ですの?)
(……別にそういう話はしちゃいないが)
(ハルウスがどうとかって言ってましたけど、どういう意味でしたの?)
(ただの世間話だったんだろ)
(んもう! せっかくのお祭りが台無しですの! お兄様ともっとイチャイチャしたかったですの!)
(イチャイチャはともかく、俺だって残念だ)
まったく、とんだ戴冠式だったぜ。偶の息抜きできるイベントだったってのによ、こういうときばっかり意味のない騒動に巻き込まれるんだ。
ま、お祭り騒ぎって言葉はピッタリ当てはまったけどな。




