偽争/偽装
第一章第三ステージ『魔軍要塞・ハザーク砦――剣聖バーライオン』
正門の跳ね橋が下ろされ、接続した石橋の上に魔族の軍団が姿を現す。妖魔【オーガ】の一団が隊列を組んで行進し、橋の中央で左右に分かれて静止する。知能が低い鬼族のその斉一にして統制の取れた動きは、人間による熟練した閲兵式を彷彿とさせた。
野生動物を兵士に変えたのは指揮官の統率力あってのもの。敬礼するオーガの間を威風堂々闊歩するは魔王軍三大幹部がひとり、【鬼武者ゴドレッド】。魔王の全幅の信頼を一手に背負い、勇者を迎え撃つべく先陣に立つ。
遥か彼方。王都アンハルがある方角から、人間の兵団が砦を目指して行軍してくる。
近づくほどに地鳴りが轟き、その威勢から砦を陥落せんとする気概のほどが窺える。人間どもは王都に篭城することなく、【商業都市ゼッペ】が落とされたときのように静観するでもなく、魔王軍に牙を剥いた。平和ボケに蕩けた思考をかなぐり捨てて、ようやく重い腰を上げたのだ。おそらく勇者の出現が奮起の源泉であろう。神に選ばれし戦士が魔族の侵略を食い止め、占領地を取り戻すこともできると信じたのだ。
その思い上がった蛮勇を、しかしゴドレッドは笑わない。戦う意志すら放棄して安いおもねりで命を買うような真似をする人間を、百年前に何度も目撃した。あのときの落胆と羞悪を思えば、無謀な突貫に付き合わされる煩わしさなど取るに足りないものであった。全力でもって蹴散らし、戦斧にその鮮血を吸わせ、勝利の誉れとしてくれる。
やがて人間どもが視界に現れた。
騎馬隊を先頭にして数百の兵隊を従えている。兵士の少ないアンバルハルでは一回の戦闘に投入できる兵力は極わずかだ。それでも荒くれ者集団で知られる第一兵団の偉容ぶりはゴドレッドにも感じ取れた。
「――――、?」
だが、一つだけ合点のいかぬことがある。
先頭集団の中に、おそらく隊長にして勇者と見受けられる巨漢の男が、騎馬隊に守られる形で馬を駆っている。その動きがどこか不自然でぎこちないのだ。それどころか本人からは生気すら感じられなかった。まるで馬上に固定された藁人形のよう。前後に不安定に揺れている。
先頭集団が跳ね橋の縁まで辿り着く。
巨漢の男が下馬し、ふらつきながらやってきた。
「……我が名は……バーライオン。アンバルハル王国軍……第一……兵団団長。参る」
背負っていた大剣をゆらりと構える。言動には覇気がなく、ゴドレッドはおろか両脇に控えているオーガたちでさえ困惑した。
「……貴様が勇者か?」
「応」
目に力はない。だが、バーライオンは確かに答えた。
ゴドレッドは、そうか、と返し、戦斧を構える。
どのような事情があったにせよ、こんなにも弱々しい勇者を戦場に送り出さねばならぬほどアンバルハルには人材がいないらしい。そこに一片の同情をしつつも、当初の予定どおり全力を解放する。
「やっちまってくれ団長ッ! 目に物見せてやれえ!」
「勇者バーライオン! 俺たちの団長! 魔王軍をぶっ潰せぇえ!」
「俺たちゃアンタに付いていくぞお!」
第一兵団の兵士たちによる声援が虚しく聞こえる。それはバーライオンから逃げ場を奪う死の宣告でもあった。崖っぷちに立たせて飛び込めと煽り立てるかの如く、見ていて不快になる。
――せめて辱めることなく一撃で終わらせてくれよう。
「行くぞ! 勇者よ!」
戦闘はゴドレッドの突進から始まった。――が、勝負は一瞬でついた。
斧を振り被ってもバーライオンは反応を示さず、無防備にも迫り来る一撃を虚ろな瞳でただ眺めるばかりであった。初撃にしてトドメとなった兜割りにより、バーライオンの体は脳天から真っ二つに両断された。
「――は?」
兵士たちの野次にも似た声援は、その瞬間ピタリと止んだ。
早すぎる幕切れに呆然としたのは人間たちだけだった。地べたには団長らしき死体が横たわっている。あまりにも呆気ない。呆気なさすぎて、バーライオンによるいつものおふざけかと思い笑った者さえいた。だが、バーライオンが立ち上がることはなく、敵幹部の視線が新たな標的を探すかのように兵士たちに向かい、そのときようやく決着したことを悟った。
戸惑うばかりの兵士たちを相手に、ゴドレッドは部下に非情な命令を下す。
「オーガたちよ。人間どもを八つ裂きにしろ。この場から一匹たりとも逃がしてはならぬ」
オーガの咆哮が大地を揺らす。
人間たちはなおも戸惑い、どうしたらよいのかわからぬ態で、佇んでいた。
あとはもう一方的な殺戮でしかなかった――。
◆◆◆
蹂躙は瞬く間に終わった。
兵士たちの亡骸をグレイフルが飼っている奴隷人間たちに片付けさせる。
物見やぐらから見物していたグレイフルは、帰還したゴドレッドに訊いた。
「あの勇者、死んでましたわよね?」
「……どういうことだ?」
「元から死体だったのではないかと言っていますの。操られた人間と同じような挙動をしていましたし、何より生気が感じられなかったですわ。リーザかクニキリならより正確に見分けられたのでしょうけど」
「死体を操っていたというのか?」
「かもしれませんわね。一応、あの死体は回収しておきますわ。ナナベールに調べてもらいましょう」
グレイフルが憮然として言う。参戦する気でやってきたというのに、攻めてきたのは抜け殻の勇者とそれを見抜けない馬鹿な兵士たち。一気にやる気を失った。ゴドレッドが勝利した今でも消化不良でイライラを募らせている。
ゴドレッドは踵を返し、魔王様に戦果報告をしに【軍議の間】へと移動する。
回廊の途中で堪らず立ち止まり、拳を堅く握り締めた。
怒りで呼気が震えた。
「戦士の死体を利用したというのか。人間どもめ、そこまで外道に成り果てたかッ」
同じ武人であれば敬意をもって戦うこともできよう。しかし、相手が外道なら一切の斟酌の必要もない。女子供とて容赦しない。見つけ次第、殺すのみ。
――誇りすら踏みにじり道具とする人間ども。一刻も早く滅ぶべし。
ゴドレッドの目に殺意が灯る。
鬼の如き闘気をまとい、胸には新たな決意を刻んだ。
◆◆◆
ハザーク砦での一戦を遠く離れた丘の上からこっそり覗く二つの人影があった。
アニとハルスだ。
第一兵団のほかに行軍記録を作成する書記官が混じった後方部隊も随行しており、アニと同様に離れた場所から戦況を監視していたのだが、後方部隊は第一兵団が壊滅するのも待たずに王都へ逃げ帰った。
ここは書記官が見守っていた場所からさらに後方に位置している。望遠鏡でもハザーク砦の片影しか見えないほどの遠距離だ。アニたちの姿も、魔王軍はおろか後方部隊からも捉えられないくらい離れており、そのぶん発見される確率が低く安全だとも言える。
【遠視】の魔法を使えば、遮蔽物がない限り、遠くまで詳細に見渡せた。
視力を強化魔法で引き上げたアニ特製の魔法である。ゲームシナリオには登場しない魔法だが、魔王軍側では当たり前に使用されている節があった。戦闘では使い道がないのでプレイヤーに開示されることがなかったが、ゲーム世界にいるアニからすればこれほど優れた魔法もないと思っている。エンチャントを覚えて正解であった。
「どうだ? 見たか、ハルス?」
傍らにいるハルスに問いかける。ハルスにも【遠視】の魔法をかけている。
「はい。見えました」
バーライオンの死に様を。――いや、死体だったバーライオンが機械人形のように動き、破壊されるまでの一部始終を。
「おまえの闇属性魔法《喪屍》は成功だ! ぶっつけ本番でよくやった!」
「……」
「どうした? 喜べよ」
「僕は……」
ハルスの顔は暗い。死体を操り、勇者の死を偽装できたというのに。
これにより勇者バーライオンを殺したのは魔族ということになり、王宮内で殺害された事実は上書きされた。人間側のヘイトは正しく魔族へと向けられる。人間同士で疑心暗鬼に陥るかもしれない不安要素を見事取り除いたのだ。何を気落ちする必要がある。
「勇者の死体を壊すために動かした……。これは悪行ではないのですか?」
思わず笑ってしまう。
輝かしい栄光の陰に泥を被る者の存在がいることを、一度でも考えたことがないのか。
「奇麗事だけでは成り立たねえよ。汚れ仕事があって初めて実る偉業もある」
ハルスも頭ではわかっているのだろう。ただ、どうしてその役が自分なのかと不満なのだ。そして、汚れ役の中でも最も醜悪な死体処理。隠蔽工作も加わって、理想とする英雄像から遠ざかることに危機感を覚えているようだ。
よかったな。
早めに気づけて。
「おまえにはこういう仕事のほうが向いている。同じことをケイヨス・ガンベルムにも言われなかったか?」
「なぜそれを……」
「あいつの考えそうなことだ。大方、【ハルウスの遺体】を使って英雄を復活させようとしたんだろ?」
「……」
ハルスは答えない。目論みは多分当たっている。
なぜ昨夜ケイヨス・ガンベルムは遺跡の中にいたのか。
そもそもなぜ遺跡の存在を知っていたのか。
答えは簡単だ。以前入ったことがあるからだ。そして、ケイヨス・ガンベルムはハルスのことを気に入っており常にそばに置いている。後のことは想像だが、【ハルウスの遺体】の使い道なんてそれくらいしか思いつかない。
「そしてそれは失敗した。新鮮な死体でなければ動かせないのか、はたまたハルスの今の力量ではまだ無理だったか。本来なら生前の身体能力やスキルまで再現できるはずなんだが、バーライオンは動くだけの人形だったしな」
「遺体には何もしておりません」
「てことは、まだ時期じゃないとガンベルムは判断したか。まあいいさ。もうすぐ国自体がそれどころじゃなくなる」
バーライオンが討たれたことでステージがまた上がる。
第四ステージは王都決戦だ。
第一章アンバルハル編もいよいよ大詰めである。
「アニ、どうしてバーライオンさんは死んでいたのですか?」
「昨夜も話しただろ。最高機密事項だ」
「なぜアニは一人でコソコソしているのです!? このことをヴァイオラ殿下は知っているんですか!?」
「もちろん。知っている」
睨みを利かす。これ以上追究するならば立場をわからせる必要がある。
「……ッ」
アニの視線に怯えたハルスは、逃げるように目を伏せた。
「心配するな。おまえはすでに英雄並の働きをしている。今回のことで多くの国民の命を守った」
「本当ですか?」
「ああ。それだけは確かだ」
バーライオンの死体は、下手をすれば内乱を引き起こす瑕疵にもなり得たのだ。働きだけを見ればバーライオンよりもよほど勇者と言える。
「おまえを本物の英雄にしてやる」
「本物の……英雄に……」
目に活力が宿る。
期待するだけで人は前を向けるのだ。
「ああ、占星術師の予言付きだぜ」
ハルスの表情が少しだけ明るくなった。
「僕、頑張ります」
「ははっ」
ちょろい野郎だ。




