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荒くれ者


 兵舎に隣接された食堂は、規則で決められた食事時間を過ぎた後は深夜まで一部の高官たちのための酒場に変わる。


 軍規を乱す量の酒を浴び、街に繰り出して乱痴気騒ぎを起こすのは日常茶飯事で、それらを正すための軍法はもちろん存在するが、高官を罰する処置が働いたことは過去一度もない。力ある者が権力をもつのは兵士の常。剣術においても熟達の高官が率先して弱肉強食を是としている限り、誰も彼らを罰することはできなかった。


 中でも猛者ぞろいの第一兵団の横暴さは市民にも噂が出回るほどに苛烈であり、ほかの部隊からは露骨に避けられていた。体面上は王宮兵千人部隊隊長、リンキン・ナウトに服従しているが、第一兵団の兵士たちを真に従えているのは団長の【剣聖バーライオン】である。バーライオンが良しと言えば酒盛りもし放題。リンキン・ナウトの耳に入らないうちはどんな無法も許された。


「はっはっは、さすがは我らが団長だぜ!」


「神様ってのもちゃんと見てくれているもんですねえ! 俺も明日から真面目に修行してみっかなあ! もし俺が勇者に選ばれちまったらどうするよ! ええ!?」


「心配しなくてもてめえじゃ無理だ! あんなへんてこな棒振りが神の目に止まっかよ!」


「ああん!? てめえ、ケンカ売ってんのか、ぉお!?」


「よさねえか! 張り合うなら酒でやれ。――ねえ、団長。今日くらい上等の酒出しても構いやしませんよね? 安酒じゃあ団長にも神様にも失礼ってもんでして」


「おお、おお、好きにしろ」


 兵士たちが本日八回目の乾杯をする。肴は『団長の勇者化祝い』だ。


 勇者になってすでに三日が過ぎていたが、話の鮮度はいまだ落ちない。


「しっかし、団長が勇者だぜ? 普通にバケモンみたいにお強いってのに、これ以上強くなってどうすんだよ」


「今じゃ確実に隊長より強いよなあ」


「ああ、ちげえねえ」


 そのとき、木椅子が砕け散る音が響いた。バーライオンが足置きにしていた椅子を軽く力を込めて踏み抜いたのだ。


「何だテメエら。俺ァ勇者になる前からリンキン・ナウトより強ぇぞ。それとも何か? 俺ぁ奴より格下だったってのか!? ああ!?」


「い、いや、そうじゃねえって! 言葉の綾っすよ! 誰も団長が格下だなんて思ってませんて! なあ!?」


 三下たちはしきりに頷いた。バーライオンはふんと鼻を鳴らすとワイン瓶に口をつけ、一気に中身を空にした。


「……クソがっ」


 実際のところ、リンキン・ナウトは強い。もしかしたらバーライオンよりも。真剣にぶつかってみたことはないが、互いに強者だからこそ相手の力量が手に取るように分かった。白黒はっきりさせたいとは思わない。負けるかもしれない相手と剣を交えることは弱肉強食の世界に生きるバーライオンにとって恐怖以外の何物でもない。負けたときのことを考えると臓腑が縮むほどに。


 その点、リンキン・ナウトは武人の上下にこだわりがないようで、奴がその気にならない限り直接対決の機会はおそらくこの先もないだろう。バーライオンにはそれすら面白くなかった。自分のほうが逃げているみたいでムシャクシャするのだ。また、眼中にないかのような奴の態度も鼻につく。


 リンキン・ナウトは目の上のたんこぶであった。いくら無法者で通っているバーライオンといえども、軍を崩壊させたいわけではない。勇者になった今でも階級が下である以上上官の命令には絶対服従だ。えばり散らしたいだけならチンピラ稼業で事足りる。バーライオンは地位も名誉も欲しかった。


 そして、リンキン・ナウトより上に行くためには武功を立てなければならず、バーライオンにとって今最も必要なものは戦場にほかならない。


 平和な世の中だったならリンキン・ナウトが引退しない限り昇任はなかっただろう。だが、魔王が復活した今の世なら、活躍次第ではそれも夢ではないのである。


 戦場がそこにあるのだ。図らずも勇者に選ばれた自分はアンバルハルの王にさえなれるのではないかと本気で考えている。――そうとも。これは運命なのだ。神が俺を選んだのは偶然じゃない。俺にやれと言っている。この国を手に入れろと言っている。


 舞台は完全に整っている。


 なぜ待機なのだ?


 こんなことなら命令が下る前に部下を引き連れて出撃しておけばよかった。今ごろ俺は英雄だったかもしれないのに。


「……」


 おもむろに立ち上がる。気づいた部下が振り返り、訊ねた。


「厠っすか?」


「俺は勇者だ。そうだろ?」


「は? ええ、そうっすよ。訊かれるまでもねえ」


「てこたあ、アテア姫とも対等だ」


「はあ?」


 バーライオンの巨体がのしりのしりと食堂を出て行く。部下たちは酔った顔を見合わせて、一様に首をかしげた。血気に逸っていたのに出鼻を挫かれたのは部下たちも同じだが、どうやら団長殿は輪に掛けて落胆していたようだ。溜まった鬱憤を晴らすべく女を抱きに行くのはよくあることで、床に転がったワイン瓶の数が五本や六本じゃきかない辺り、今夜は荒れるぞとその場にいる誰もが震え上がった。


 便所かと訊ねた部下だけはバーライオンがこぼした言葉が妙に気になった。


 ……まさかな。


 泥酔した団長が王族に無礼を働きはしないか――そんな不安を口にしたところで周りに笑われるのがオチである。


 酒で忘れることにした。



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