逆棘
商人ポロント・ケエスの価値基準はすべて貨幣に帰納する。
一輪の花であればその美しさよりも。
一杯の酒であればその味わいよりも。
彼が着目するのは『一体幾らでどれだけ売れるか』であり、高値なのによく売れる物をこよなく愛した。反対に安値でもまったく売れない物には一片の愛情すら向かうことはない。
まして、抱えているだけで不利益になる物ともなれば憎悪にも似た感情を寄せることもしばしばだ。
しかし、とはいえ『商品』に善悪はない。売れるも売れないも時の運。気候や土地や客層が違えば在庫品もたちまち売れ筋に化けるもの。見極めこそ商人の腕の見せ所であり、詰まるところ物が売れないというのは売り手の見る目がなかったということを意味するのだ。売れ残りに向ける憎悪は単なる八つ当たりでしかなく、それでも紛らわすことのできない羞恥が商人の矜持を固くし育てていくのである。ポロントは若手のときにそれを学び、今日でも日々勉強させられている。商売は難しい。だからこそ、一層の厳しい目利きが必要となる。
価値ある物とは『売れる物』だ。
金を生み出す物こそが『正義』である。
そんなポロントの哲学において悪とは何か。『商品』に善悪はないというのなら、当てはまるのは『商品』を扱う側――人間のほうにある。商売上手であれば、商売敵であっても畏敬の念を抱くもの。ポロントが唾棄すべき悪とはその真逆に位置する存在――まったく金を生み出さない穀潰しのことだった。
物を売れず、消費者にもなれず、神によって奴隷商が禁じられているので『商品』にもならない浮浪者ども。納税の義務すら満足に果たしていないくせに生きる権利だけは一丁前に主張する金食い虫どもだ。
こいつらが減るだけでどれだけ金回りが良くなることか。いずれは【商業都市ゼッペ】から駆逐したいと願っていたが、ただ町の外に追い出すのでは外聞が悪い。職業訓練や住居の貸し付けといった自立支援を行って一人でも浮浪者を少なくするしか遣りようはないのだが、それでは手間も時間も掛かって効率は悪いし、むしろ余計な金が飛んでいく。何よりそこまでしてやる義理がない。ポロントは今すぐにでもやつらを抹殺したかった。
渡りに船とはこのことである。
最後くらい、せいぜい役に立ちなさい。
◇◇◇
「如何です? 私の新兵器『動く爆弾』です。どんな『物』にでも使い道はあるものです」
都市内にいるすべての浮浪者に勇者スキル《クラウドコマース》を掛けた。彼らから意識を奪い取り、たった一つの命令に従わせていた。
すなわち、――人類の敵と心中しろ。
【炎の化石】を全員に持たせるとなると出費のほうもかなり嵩んだはずなのに、ポロントはむしろそれで浮浪者がくたばるのなら安いものだと喜んだ。それどころか、掛かる経費はほぼその程度で済んでいた。
勇者スキル《クラウドコマース》は、現実に起こりえる奇跡を、債務を負うことで実現させる能力だ。魔法を魔力でなく金で発動させるようなものである。そして、浮浪者を操る代償として請求されている金額は子供の駄賃程度であった。それは、浮浪者は端金で命を投げ打つほど困窮していることを意味し、ポロントにとってポケットマネーでまかなえる程度の痛手でしかなかった。なんと安上がりなことか。
それに、あわよくば敵幹部を殲滅できるかもしれず、たとえ皮算用でも投資に対するリターンは比較にならないほどでかい。一石二鳥どころの話ではなかった。
やはり金はいい。金で解決できないことなどもはやこの世にないのではないか。
グレイフルは呆然としたように立ち尽くしている。
炎に巻かれたことでできた煤と、浮浪者の少女の返り血を浴びて、純白だったドレスは今や見る影もない。暴力でしか他者を支配できない魔族にはポロントの所業は到底理解できないものであり、打ちのめされたとしても無理はなかった。戦意喪失したと見て、ポロントは優越感に浸った。
「――できるものならあなたを操って用心棒にしたいところですが、浮浪者どもと比べるとあまりに燃費が悪いのです。抱えるだけで経費が嵩む物は必要ありません。この場で死んでしまいなさい」
宝具の出納帳が光り輝き、導かれるように意識をなくした浮浪者たちがグレイフルを取り囲んでいく。その様は屍鬼が徘徊するのに似ていた。金がなければ生きていけない人間社会。落伍者になった時点で死んでいるのと変わらない。
「せめて、死に花を咲かせなさい!」
ポロントの掛け声とともに浮浪者たちがグレイフルに殺到した。
グレイフルは、それでも、ただ黙って立ち尽くした。ポロントはにわかに訝しむ。
(――何だ? なぜ動かない? 諦めましたか?)
ちらりと、俯き加減に横目を使い、ポロントを見た。その視線は期待を裏切られたことで生じる落胆を宿し、こぼれ出た溜め息には嘆かわしさすら漂った。
「哀れですわね。わらわはなんて哀れなのでしょう。こんな貧賎の徒を相手に腹を立てていたなんて。時間を無駄にしましたわ」
「ひ、貧賎の徒……?」
浮浪者のひとりが至近距離で自爆する。爆発をまともに喰らっても、グレイフルはつまらなげな表情を崩すことなくポロントに冷ややかな視線を送りつづけた。
戦意……喪失?
確かに戦う気は失せている。だがそれは、やる気は失くしただけのこと。対等に鎬を削るのが馬鹿らしくなったにすぎない。
「心が貧しいのですわ。王たる器ではありませんわね。わらわがまともに相手をしてやる価値もない」
散々攻撃を喰らってきたグレイフル。
気力ゲージはすでにMAX状態だ。
傘型の大槍を地面に突き刺し、徒手空拳のまま一歩前に踏み出した。
「わらわの針をとくと味わうがいいですわ」
片腕をまっすぐ天に伸ばし、人さし指と中指の二指のみを立てる。その指と指の間には、いつのまにか極薄の針が挟まれていた。髪の毛よりも細く、しかし針金よりも硬く鋭いその針は、グレイフルの体内から生成された棘状の刃。
腕を素早く振り下ろし――投擲。
ただそれだけの動作でありながら死の気配を濃厚に漂わせた。ポロントは咄嗟に投げた何かを警戒するが、グレイフルの指から離れた瞬間に見失っていた。
「――はい?」
傷みはない。
衝撃もこない。
刺さったことにさえ気づけなかった。
グレイフルが目を伏せたことで、ポロントは己の心臓を貫かれたことをようやく悟った。見下ろせば、胸の辺りから糸のような針が一本生えていた。目を凝らさなければ発見できないほど細い。刺されはしたが、こうして見るとまるで脅威を感じない。
「これが何だと――」
針を引き抜いたそのときだった。
針とともに全身から一気に力を奪われた。思わず膝を折る。
「ぐ、ぐうううう、ぁがあっ!?」
まるで地面を失ったかのように、ポロントはじたばたと手足を投げ出し悶え苦しんだ。
毒!?
いや違う! そういった類の呪いじゃない! これは――ッッッ。
「ミツバチの針は刺されるとなかなか抜けない構造をしてますの。また、針と内臓は繋がっていて、一度刺して抜けなくなると内臓ごと捨てなくてはなりませんの。ミツバチが針で攻撃すると死んでしまうと言われる所以はここにありますわ。わらわの針は変幻自在。そのような弱点などとうの昔に克服していますわ。悶え苦しむのは刺された側だけで十分ですわ」
つまり、ポロントは針を引き抜いたことで呪いに掛かったのだ。
持って行かれたのは内臓ではなく生命力。
格上相手だと『1』しかダメージを与えられないが、それ以外の敵ならばHPの半分を削ることができる女王蜂の固有スキル。
《刺突・逆棘》
ポロント・ケエスに大ダメージを与えた!
『400』
――――――――――――――――――――――
ポロント・ケエス LV. 12
HP 400/800
MP 200/200
ATK 12
――――――――――――――――――――――
「がああああぁあァアアアアアアッッ! んぐううううぅうゥウウウウウッ!」
「耳障りな悲鳴ですこと。命を半分削られただけですのに、大袈裟ですわ」
「お、おのれぇええ……! こ、ころしてやる……!」
商談で身に付けた余裕ある微笑は完全に引き剥がされ、狡猾であくどい素顔を覗かせた。その表情は先ほどより十歳は老けて見えていた。
肉体的にはもちろん、精神的にも余裕をなくしたポロント・ケエス。震える膝をなんとか立たせてグレイフルに明確な殺意を向ける。そこに平時の優雅さは皆無であった。ただ感情に任せて、受けた痛みに見合う仕返しを繰り出そうと息巻いた。
「もろとも吹き飛べぇえええ!」
大金を消費して魔法を発動させる。その際、詠唱は必要ない。
「《サンダーボルトォオオ》!」
振りかざした雷槌が光線となって飛び出した。浮浪者たちを巻き添えにする神の一撃。一直線にグレイフルに襲い掛かる。
電光が人垣を貫いてグレイフルを突き刺した。
グレイフルにダメージを与えた!
『75』
しかし、グレイフルはなお表情を崩さず、膝を屈することもない。
まっすぐポロントを見下している。
「何かしまして?」
髪を振り払う余裕さえ見せつけた。
「ぐ、ぐぐぐ……!」
ポロントは歯軋りし、やがて唾を撒き散らして叫んだ。
「あなたはここで死ぬのですッ! 単身乗り込んできたのは悪手でしたねッ! 退路はない! 仲間もいない! 爆弾に囲まれているこの状況で! あなたに為す術はなァい!」
だからその目をやめろと絶叫する。絶望し、命乞いしろと嘆願する。
だが、グレイフルはそんなポロントの言葉尻を捉えて薄く笑った。
「あら? 単身乗り込んできたのはそのとおりですけど、退路はありましてよ? 仲間も間もなくやってきますわ」
「来るものか! 私の力で操った人間たちに今ごろ取り囲まれている!」
「ですから、そんなものではリーザたちは止められないと言っていますのよ。わらわは」
無自覚にも信頼を込めて、グレイフルは言い切った。
◇◇◇
攻撃しても待機していても自爆カウンターを喰らうというのであれば――
「数を減らせばいいだけのことよッ!」
魔法を容赦なくぶっ放す。一般人は容易く絶命し、同時に自爆して周囲の仲間を巻き添えにしていく。一発撃てば周辺に連鎖して誘爆し、ひとが勝手に死んでいく。
「《ファイアーボール》!」
リーザたち幹部から離れた場所にいる人間に火炎球を撃ち込んだ。単体魔法もこの状況下でなら大爆発を巻き起こした。
馬鹿正直に近くにいる人間から攻撃していく必要はないのだ。取り囲んでいる輪の外側から順に数を減らしていけば、いずれ阻む壁は四方の数人になる計算だ。
「うけけけけっ! おまえらの敵は隣のそいつだぞーい! 人間同士、仲良く自爆しな!」
ひとが減ればその分スペースが空く。ナナベールの精神魔法で空いたスペースに誘導し、そこで自爆させることも可能。幹部が爆発に巻き込まれるリスクも取り除ける。
「敵に情けは不要なり!」
ゴドレッドは自爆によるダメージを物ともせず大斧を振り回して人間どもを蹴散らしていく。自前の大量HPと耐久力で正面突破を図る。愚直だが正攻法。ゴドレッドにしかできない芸当であった。
こうして、この馬鹿げた人の壁は簡単に攻略されたのだった。
すべて魔王様の采配のおかげである。
「残る敵は勇者ただひとり! 急ぎましょう! グレイフルにばかりいい恰好させられないわ!」
「然りっ! グレイフル殿の助勢に向かおうぞ!」
「ええっ!? いーよー。グレイフルが一人で片付けてくれるってんなら全部任せよーぜー」
三者三様の反応を見せつつ、幹部たちは再び進軍しはじめた。




