オープニング
ゲーム画面から聞こえてきたその声は、たしかにお兄ちゃんのものだった。
『わかったか? おまえはこのゲーム内のどこかにいる俺を殺さない限り、一生平穏には暮らせないんだよ』
ポータブルゲーム機専用ソフト【魔王降臨】。
一度通しで物語をクリアし、二周目を開始した直後のことだった。
画面上ではアドベンチャーパートが展開されており、複数のキャラが立ち絵を表示したまま止まっている。
人間サイドのモブキャラたちによるイベントシーンの最中だった。
しかし、メッセージウィンドウは、ゲームキャラではなく、お兄ちゃんの声をきちんと台詞に起こして表示していた。
明らかなバグなのに、ゲームはお兄ちゃんをいちキャラと認めたように台詞を流し続けていく。
『プレイヤーであるおまえはこの世界に復活した魔王だ。魔王軍を操ってこの世界を征服するのがこのゲームの最終目標だ。だが、俺はその邪魔をする。人間サイドに付いて魔王軍を蹴散らしてやる。逆に魔王をぶっ殺して、俺がゲームを支配してやる』
お兄ちゃんのにやついた顔が目に浮かぶ。
声も口調も台詞も何もかもが神経を逆撫でにする。
生きていた頃のお兄ちゃんの、あの嫌みたらしい嘲笑をこんなときまで聞くことになるなんて。
『馬鹿でグズでどうしようもない妹を持って俺はずっと不幸だった。けどよ、最後の最後でおまえのくだらねえ趣味が役に立ってくれたぜ。おまえがこのゲームを持っていたおかげで俺はこの世界に入れた。こういうの何て言うんだ? ああ、そうそう、転生だ。転生。おまえの部屋の棚にあるくっだらねえ漫画や小説によくあるタイトルのやつだ』
ライトノベルは引きこもりの私を勇気づけてくれる大切な娯楽の一つだ。
転生モノは特に。
くだらなくなんかない。
馬鹿にするな。
放っておいてほしい。
いつもだったら「どっか行って!」と怒鳴りつけているところだけど、ポータブルゲーム機を手に持ったままの私にはどうすることもできなかった。
怒鳴ったってこのお兄ちゃんがどこかへ行ってくれるとは思えないし、このゲーム機を投げ捨てたって、いま実際に起きている現実が変わることはないだろう。
ていうか、それで機械が壊れたりしたら一番困ることになるのは私だ。
『俺はこのゲームの中のとあるキャラに転生した。魂だか何だかわかんねえけどそういうもんがあって、俺はこのゲーム世界に招かれた。これからはここで第二の人生を歩むことにするわ。案外楽しいもんだな。剣と魔法の世界ってやつもよ』
お兄ちゃんの言っていることがすべて本当だとしたら、それはどんなに羨ましいことか。
ファンタジー世界に転生したり召喚されたりすることを妄想しない日はなかった。
自分ならきっとMMORPGでキャラメイクしたアバターと同じ美少年エルフになるに違いなく、森の中を縦横無尽に駆け回り、敵や獲物がいれば弓スキルで相手に気づかせる暇すら与えずに息の根を止めることができるのだ。可愛い妖精や見目麗しい騎士王とも交友を深めていき、やがて世界を救う旅に出る。
ほんのわずかな間、自作しているラノベの世界に没頭してしまった。
それを見透かしたように、お兄ちゃんの声が私を現実へと引き戻す。
『羨ましいか? 羨ましいよなあ。おまえがどんなに願っても来られなかった世界に、おまえを差し置いて、よりにもよってそういうもんを馬鹿にしてた俺なんかが招かれちまったんだから! ファンタジーとか全然まったくこれっぽっちも興味のねえ俺なんかが土足で上がりこんじまってよう! ままならないもんだなあ!』
くう……、と変な声が出た。
悔しくてたまらない。
『……悪かったな。昔、たしかおまえに言ったことあったろ? 漫画やアニメは馬鹿が見るもんだって。ゲームにハマるようなやつは友達が一人も居ない虚しい根暗な奴だって。正直、おまえのこと存在自体馬鹿にしてたよ』
急にしおらしい声に変わる。
しかし、表示されている台詞を読み返すとそれはそれで馬鹿にされていたのでむかついた。
でも、過去形で話しているということは考え直してくれたってことかな。
ゲーム世界に転生して、ゲームの魅力にようやく気づけたか?
『まったく! ほんとにすげえぜ、この世界は! いや、この設定って言っておこうか。文明レベルが中世止まりだから侵略したもん勝ちだし、魔法があるから侵略も楽だし。戦略なんてあってないようなもんだもんな!』
お兄ちゃんが愉快そうに笑った。
『まあ、頭の悪い連中ばっかだからそれも仕方ないけど。国のトップや軍団長までが頭の中お花畑なんだぜ? 考えられねえよ。よく国としてまとまってるぜ。本気で感心するわ。そういう設定だからってのはわかるけど、もう少しなんとかならなかったのかな。製作者も気苦労が多かったに違いねえよ。馬鹿なプレイヤーを勝たせるためには敵側をそれ以上にマヌケにしなきゃならないんだからさ!』
馬鹿にするように笑い声を上げた。
『つか、人間サイドに随分ハンデあるだろコレ。こんなにハンデがなけりゃクリアできないプレイヤーってどんだけ頭悪いんだよ。ま、人間サイドは俺の手でちょっとずつ作り変えていきゃあいいんだけどさ。まったく楽でいいよなあ、剣と魔法の世界ってやつは。設定がガバガバの穴だらけでも馬鹿なオタクが買ってくれるんだからなあ!』
「……ッ」
こいつは。
この男は。
妹のことはおろか、妹が愛してやまないゲームやアニメやラノベのこともまとめて馬鹿にしているのだ。
そして、それに嵌まっている人間を、オタクを、――つまりはこの私のことをやっぱり大いに馬鹿にしていた。
『なんとか言えよ。お得意のゲームで負かされたからってもう泣いてんのか?』
許せない。
普段ゲームをやらないニワカのくせに。
すべてを知った気になっているその口が、声が、すべてが癇に障ってしかたない。
「……す」
『あ?』
「ぜったいに見つけだす! お兄ちゃんが転生したキャラをこの手で! そんでお兄ちゃんなんか剣で串刺しにして魔法でぐっちゃぐちゃにして、魂ごと消滅させてやるんだから! もう謝ったって許してやらないんだから!」
『――――ハッ!』
満足げな哄笑が響いた。
『ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!』
そして、ゲーム機からはOPテーマが流れ始めた。
画面は固定されたまま、メッセージウィンドウはお兄ちゃんの笑い声をどこまでもどこまでもスクロールしていく。
ゲーム機に向かって怒鳴りつける。
これが私の宣戦布告。
生前のお兄ちゃんにぶつけることのなかった強い強い対抗心。
「ぜったい、ぜったい、ぜーったいに! お兄ちゃんを見つけだしてやる! そんで、ぜったいに、――殺してやるんだからあ!」
瞬間、テーマ曲が途切れた。
『やってみろよ。クソ妹が』
たかがゲーム、されどゲーム。
引きこもりの妹と、
死んでしまった兄の、
ゲームを舞台にした殺し合いがいま幕を開けた。
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