第十七話 トロール
空中都市アンブロシウス。
その名の通りこの街は天空に位置している。
それを可能にしているのが、五基の浮遊機構だ。
アンブロシウスの基盤は逆さの円錐。
その上に建物や道路が建設されている。
そしてメイン装置となる浮遊機構が一基
この基盤の中、即ち街の真下に存在している。
このメイン浮遊機構のみでも街の維持は可能だ。
しかし緊急時、或いはメンテナンス時に置ける
非常用機構が四基ほど用意されている。
朝霧たちはそのサブ機構に落ちたのだ。
「それで、中に入れそうだったから入れさせて貰ったの。
外は寒いし……空気も薄かったからね。」
「いや……そもそもなんで落ちた?」
「君が事故して、思わず飛び出したの。
私のジャンプならギリギリ間に合うかなって。
そしたら勢い余ってそのまま外縁部から出ちゃって。」
「出ちゃって、じゃねぇ!
なんだそのバカげた身体能力は? アンタの祝福か?」
朝霧は膝を抱えながらコクリと頷く。
男はその後もブツブツと呟きながら頭を抱えた。
「俺……何にぶつかった?」
「知らなーい。何かの看板じゃない?
魔法世界の街って謎の浮いてる建築がいっぱいあるし、
見栄え重視の意味不明な物体もたくさんあるし。」
「魔法世界って……
まるでこの世界出身じゃないみたいな。」
その言葉にハッとしつつも朝霧は素直に名乗り始める。
「そういえば自己紹介がまだだったね。
私は封魔局の朝霧……朝霧桃香!
この名前は聞いたことがあるんじゃない?」
朝霧はフンと胸を張り鼻を伸ばす。
フィオナの名が広く知れ渡っていたように、
直近で成果を上げた自分も有名だろうと自負していた。
しかし……
「いや、知らない。」
残念ながら男は知らなかった。
自慢した分、淡白な回答に恥ずかしさがこみ上げる。
朝霧は風船が萎むようにシュルシュルと縮まった。
「あ、うん。そうだね、知らないよね? ゴメン。」
「なんか……スマン。」
同情がさらなる刃物となって朝霧の心を襲う。
うなだれる朝霧に戸惑いながら男は更に続ける。
「いや……! 俺が知らないだけだから!
アンブロシウスじゃ封魔局の話題なんか無いし……
だいたい、街の危機は守護者が何とかするから!」
「――!」
守護者という言葉に朝霧は過敏に反応する。
急激な敵意に似た感情の発現に男はたじろぐ。
「な……なんだよ?」
「……あ、えと…………守護者ってどんな人?」
突然の質問に警戒しながら男は答えた。
「何も知らねぇ……多分街の若い奴らは皆そうだ。
分かっているのは守護者が女である事と、
彼女が活動を始めたのは二十年くらい前だって事。」
「二十年ね…………二十年!?」
朝霧は思わず聞き返してしまう。
何せ、彼女が出会った守護者は若い女性だったからだ。
(彼女は守護者じゃない? それとも襲名制?)
「何に驚いているかは知らないが、
俺が知っている事はこれで全部だ。」
(もしかして、アムリタの若さ維持に似た老化の遅延?
もしそうならアムリタの技術が流れている……?)
「おい、おい? 聞いてんのか?」
朝霧は一人で熟考していた。
顎に手を当て深刻な表情で一点を見つめている。
そんな彼女の様子に男は苛立ちを覚える。
「――おいッ!」
「……ッ! あ、ゴメン……何?」
「チッ……! 次は俺の質問に答えろや。」
語気が荒くなっている。
朝霧は舐められまいと表情を固くして構えた。
しかし、彼の質問の内容によってそれは崩れる。
「お前ら……あのバーから出てきたよな?
あそこは……本当は何なんだ?」
「――!? な、なんでそんな事を……?」
動揺が大きく顔に出てしまった。
その心の隙を咎めるように男は更に問う。
「前々からあのバーを出入りする奴らが不審だった。
そんな所から封魔局員が出てきたんだ。
何かあるって、思うくらいなら不思議じゃねぇだろ?」
「あそこは普通のバーだよ?
ほら、それより……! 今はここからの脱出を考えよ?」
朝霧は自分で自分の嘘の下手さに呆れる。
「……脱出ってどうすんだよ?」
「えっと……それは……」
朝霧は言葉に詰まる。
時間が経てばフィオナが来てくれるだろうと
考えていたため、体力を残すくらいしか案が無いのだ。
男はまた、朝霧に聞こえるように舌打ちする。
「もういい……!」
「ちょっと! 何処に行くの!?」
朝霧を置いて男は機構の奥へと進む。
ついて来ようとする朝霧を睨んで止める。
「俺は嘘を吐かれるのが一番嫌いだ……!
誤魔化したり、騙したりする奴らは信用出来ねぇ!
分かるか? アンタは信用に値しねぇ。」
「……ッ!」
朝霧には嫌にその言葉が胸に刺さった。
傷つく彼女を置き、男は一人進んで行ってしまった。
――――
(……にしても広いな。)
男は機構内部を散策する。
彼には理解出来ない装置の数々。
薄暗い空間に光の点滅のみが輝いていた。
(俺にはサッパリだ……)
興味本位で機材のフタを開け中身を覗く。
無数の配線。装置に刻まれた魔法刻印。
見たところで彼には何も理解出来ない。
「チッ! どいつもこいつも……!
小難しい事に頭使いやがって! ……あぁクソ!」
バタンと勢いよくフタを閉じた。
ここにいても苛立ちのみが湧いて出る。
アンブロシウス本土への通信装置でも見つかればと
考えていたが、どうやら見つけられそうも無い。
男は更に移動する。
今度は外につながる通路の方へ。
狭く、寒く、そして鉄の臭いが不快だ。
ふと目を落とすと骨折した腕が視界に入る。
応急手当てに使われているのは朝霧の上着だろう。
(私服……か、これ? それを破ったのか……)
「――――。」
「ん? 何だ?」
何か音が聞こえた気がする。
後ろか前か。反響のせいで判別出来ない。
「どうせ、朝霧って封魔局員が探してるんだろ……」
「――――。」
また聞こえた。声だと思ったが、違う。
音の大きさの変化から次第に近付いているのは分かる。
かなり大きくなった時、それは風切り音だと理解した。
ドォオ――――ンッッ!!!!
瞬間、男の近くの壁が爆音と共に穴を空ける。
パラパラと粉塵が舞うと、男の前にその生物は現れた。
緑色の肌を持つ筋骨隆々の肉体。
身体は人間よりも一回りも二回りも大きなそれは、
背中を突き破って出ている機械の羽根を収納する。
「オ……オデ……到着シタ……シ……仕事、ヤル。
見テテ……見テテネ……魔王サマァッ!!」
「コイツ……! トロールか!?」
魔界の巨躯――『トロール』。
魔法世界におけるこの亜人種の能力は三つ。
鉄板すら容易く突き破るほどの怪力。
弾丸すら弾き飛ばす強靭な肉体。
そして……
「……ア? ドウシテ、人イル?
メンテナンス……ハ……半年ニ……一回ノハズ。」
「――ッ! ――ゥッ!」
男はすっかり立ち竦んでしまっていた。
トロールを見上げて足が震えている。
「ドウデモ……イイカ! 殺セバ……同ジ!」
「ひっ……!」
巨大な腕が振り上げられた。
男は自分の死を直感し目を瞑る。
「――そこをッ! 退けぇえーッ!!」
「ヌゥッ!!!?」
トロールの頬を貫くように朝霧の飛び蹴りが炸裂した。
その重く鋭い攻撃は強靭な肌を破り顎を削り落とす。
「封魔局!」
「あ、さ、ぎ、り! 名乗ったでしょ!?」
男を守るように間に入って構えた。
すると、トロールは顎から煙を出しながら起き上がる。
「――ッ!? こいつの顎……!?」
トロールが持つ第三の能力。
それは、即時回復を可能とする驚異の再生力だ。
トロールは顎を修復し終えると朝霧を睨む。
ここまでが、従来のトロール族の能力である。
「誰ダ? 強イ……ナ。ココデ……殺シトコウ。」
瞬間……その巨大な右腕が、パカリと割れる。
「…………は?」
「焼却砲……充填カンリョウ。吹キ……飛バセッ!」
その腕の中から現れたのは、機械の砲身だった。