第六話 最高の調味料
異変が起きた。事件が起きた。
朝霧たちの目の前で、人が倒れた。
「桃香! まだ死んではいない!
口の中に詰まった物を出すぞ!」
フィオナの声に反応し、
朝霧は男の顎を外す勢いで口を開けさせる。
(ッ!? この人まだ、食べようとしている!?)
意識は既に無いはずだ。
しかし、男の口は加えた肉を離そうとしない。
また、詰まった料理に付いた油で上手く掴め無い。
(ここは……仕方ない!)
瞬間、朝霧は男の腹を強めに殴る。
衝撃によって咥えた料理の位置がずれる。
口の外に詰まった肉の一部が露出したのだ。
すかさずフィオナはその肉を貫き、
輪を作るように糸を通して引き抜いた。
口を塞ぐ物がなくなったのを見て、朝霧が再び腹を叩く。
すると、苦しそうな咳と共に男は息を吹き返した。
朝霧たちはひとまず安堵し座り込む。
「ふー……何とか助けられたな。」
「うん……良かった。けど……」
息を吹き返した男はそのまま気を失っている。
事情を聞きたいところだが、少し時間がいるだろう。
なのでここは……
「シェフ。この男に見覚えは?」
この店の、この街の人間に問うしかあるまい。
「いや、無いな。少なくとも常連じゃねぇ。」
「ニック、君は?」
「分からないな。
まぁ……外の連中なら知っているかもね?」
フィオナは店外の気配に気付く。
だが殺気や悪意の類いでは無い。
もっと純粋な……生物的な欲求だ。
「「「メシを喰わせろぉ――ッ!!」」」
まるで生存者を追うゾンビの集団。
狂気に飲まれてしまった服を着た獣。
数にして数十人。近場の店を襲っている。
「桃香! あの集団を止めるぞ!」
「了解!」
二人は街へと駆けだした。
そんな彼女たちを見送り、ニックは店内に残る。
「で、本当はどうなのシェフさん?
全く心当たりが無い感じ?
俺の目には……そうには見えないけど?」
「…………フッ。人の機微に敏感じゃあねぇか。」
朝霧たちは集団の制圧にかかる。
凶暴化する人間たちを抑え込み、拘束する。
だがしかし、その数はあまりにも多い。
「奴らは空腹なんだ。
腹に物詰めても……足りねぇんだ。」
飢えが襲う。腹が減る。牙を向く。
暇が無い。数が減らない。牙を向く。
空腹に耐えかねて、人も喰らう勢いだ。
そして……
「フィオナ! 暴徒が増えてない!?」
「あぁ……何処かで新しく生まれているのかもな。」
数十人だったはずの暴徒は今や百人に迫る。
このまま増え続ければ朝霧たちの手に負えない。
無害な一般人を守りながら、
傷つけること無く制圧するには限度がある。
遂に朝霧が囲まれ、腕を捕まれてしまった。
その時――
「ラッッッシャァァアイッ――――!!」
小汚いレストラン、ストリートキャットの扉が開く。
シェフがフライパンを叩きながら叫んでいた。
「腹減り共ォ! メシはここだぁ!!」
「!? 何を!?」
シェフの声に、食事の匂いに釣られ暴徒が向かう。
店内では料理人たちが既に調理を始めていた。
「嬢ちゃんたち!
これはある野郎の祝福による影響だ!
ウチの料理の量なら少しは止められる!
その間に男を探して――祝福を止めろ!!」
店内に暴徒がなだれ込んで行った。
「そ、そんな!」
「朝霧! 立ち止まるな! 術者を探すぞ!」
フィオナは糸を張り建物の上へと飛ぶ。
朝霧も魔力を込めその後に追従した。
「けど……どうやって探すの!?」
「恐らく空腹感を与える能力……
あれほどの数を術に掛けられるのなら、
発動条件はひどく緩いはずだ……!」
看板の上に降り立つと、
高所より周囲の環境を目視で伺う。
暴徒の動き。騒ぎの範囲。人の流れ。
散りばめられた情報から発生源を逆算する。
「あの路地裏辺りに行くぞ!」
そう言ったかと思った時には既に
フィオナは建物の間に糸を通して飛ぶ。
朝霧は、その後を追うので精一杯だった。
――路地裏――
「ひひっ! さあ食事の時間だよ!」
術者の男が病的な笑顔で周りの者に語る。
周囲の人間たちは突如襲う空腹感に苦しみだす。
「腹が減ってしょうが無いねぇ?
僕のオススメは……ストリートキャットだ!
この街に封魔局支部は無いんだ!
人目なんか気にせず食い倒れよう!」
「――目標発見! 対処する!」
術者の近くを糸が鋭く突き抜けた。
かと思うと女の蹴りが顔面を襲った。
「ぐぎゃあぁ――ッ!?」
「お前が暴動の原因だな! 術を解け!」
「しっ……知ってるぞ! お前フィオナだな!
なんで封魔局がこの街にいるんだよ!?」
術者は出血した鼻を押さえながらも、
震える声で周囲の人間に呼びかけた。
「お前ら、エサだ! そこに肉があるぞ!」
(――! 周囲の人間を操った!?)
ゾンビのように自我を失った者たちが
一斉にフィオナを目がけて走り出した。
(いや。そこまでの束縛力は無い。
あくまで呼びかけただけか。)
能力の詳細を探りながら、
迫り来る暴徒たちに向け無数の糸を張る。
「――今だ! 『飢餓地獄』!!」
「ぐっ!? これは!?」
突如としてフィオナの体が大きく揺れる。
それと同調するように糸から張りが失われた。
襲ってくるのはただの空腹感。
しかし、急激な体調の変化は確実に体を鈍らせる。
(発動条件は警戒していたんだが……
これは……想像以上に緩いぞ。)
「さぁ! 喰え! お前らぁ!」
「ふっ……二人で来ていて良かった。」
フィオナの背後より朝霧が駆けつけた。
飛び掛かる暴徒たちをその力で押しのける。
「フィオナから……離れろ―ッ!」
「ひぃ! もう一人だとぉ!」
この場に暴徒はもういない。
朝霧は術者を見定めながら着地する。
その瞬間を男は襲う。
祝福。『飢餓地獄』。
対象に強烈な空腹感を与える力。
その発動条件は、視界に収めること。
「取った! 『飢餓地獄』ゥウ!!」
着地の無防備な状態を確実に仕留める。
例え抵抗の術を持っていても逃れられないように。
だが――
「――効くかぁあああああああ!!」
朝霧は止まること無く術者を殴り飛ばした。
止まる、ないしは大きな隙が生まれると思った
術者は完全に虚を突かれ吹き飛んだ。
「な……ぜ?」
「そりゃ……さっきお腹一杯食べたばかりだもん!」
「そん……な、ことで……」
術者の男は力が抜け、術を維持出来なくなった。
――ストリートキャット――
「犯人はこの男でした。……で、シェフさん。
今回の騒動はどういうことだったんですか。」
糸で拘束された術者がシェフの前に突きだされる。
既に抵抗の意志は無いらしく、黙って従っている。
「こいつは……俺の元舎弟です。」
シェフは事情を語る。
術者の男は元々料理人志望であり、
シェフの腕に惚れ込んで弟子入りしたらしい。
腕はそこまで悪くは無く、修行を積めば
ある程度の料理人として店を出せるほどだった。
「だがこいつは、やっちゃいけねぇ事をした。
客でもねぇ奴にてめぇの祝福を掛け、
食いたくもねぇ奴に無理矢理食わせた。」
「師匠! この祝福なら当然だろうッ!?
それにこれは師匠のためにもなることだ!
……あの時のも、今回のも!」
シェフの料理は美味いが、量がとにかく多い。
店がイマイチ繁盛しないのはそこにあった。
「アンタが自分の料理に
誇りを持っているのは十分知っている!
だから俺の祝福を合わせるだけでいい!
そうすれば売り上げも今の比じゃ無くなる!
良く言うだろ? 空腹は最高の調味料、って!
だから――」
パァン
男の言葉を遮るように、シェフの平手が飛ぶ。
朝霧たちは思わずギョとし彼の顔を伺う。
その目は落胆と怒りに満ち、
元々の強面の顔をさらに恐ろしくしていた。
「料理人の仕事は、美味い料理を作る事じゃねぇ。
美味い料理を作って客を喜ばすことだ。
空腹が最高の調味料ォ? バカヤロウッ!!
幸福こそが最高に決まってんだろォッ!」
「俺は……アンタの料理を……みんなにも…………」
声を絞り出すが、それ以上男は何も言えなかった。
縛られたまま頭を地に付けうずくまっていた。
男をフィオナに預けシェフは謝罪する。
「どうやら俺にも原因があったらしい。
元とはいえ俺の弟子には変わらねぇしな!
今回の件の落とし前はキッチリ付けよう。」
朝霧とフィオナは互いに見つめ頷いた。
「じゃあ、また今度来たら、
その時にも美味しい料理をお願いします!」
「その時には少し量を抑えてくれ。」
シェフは驚いたように顔を上げる。
多くの人を巻き込んだ事への
責任を感じているのだろう。
「怪我人も無く、犯人も無事確保!
負い目を感じる事は無いですよ!
それでは……またいつか!」
シェフはフッと笑うと、去りゆく二人の客を
来店時よりも大きな声で見送った。
「またのご来店を! お待ちしております!」
――――
店の外ではニックが一人、空を見上げる。
「この程度の暴動じゃあ……彼女は来ない、か。」
時刻は昼を大きく過ぎる。
間もなくアンブロシウスに夜が来る。