プロローグ ジグソーパズル
――識っている。識っている。識っている。
……けどやっぱり……知らないなぁ。
女は足を進める。
前に進んでいるが、どうにもそんな気がしない。
辺りは暗い。だが夜では無い。
快晴の真っ昼間だが、此処は暗い。
女は識っている。これは路地裏というのだ。
――うん。識っている。路地裏。
そしてこの先には、大通りがある。
土地勘、と言うのだろうか。
女の脳にはハッキリと地図が浮かぶ。
大通りから差し込む光に導かれるように、
女はフラつきながら足を進める。
「キャア――!! 乱闘よ――ッ!」
光の中から悲鳴が響く。
路地裏の闇から顔を覗かせてみると、
大通りで二人の魔法使いが戦っていた。
その祝福を思う存分暴れさせ、
相手を倒そうと周囲に攻撃をまき散らす。
――識っている。乱闘。魔法使い。祝福。
そして……僕の獲物は彼らじゃない。
暴れる魔法使いは周囲を巻き込む被害を起こす。
だが、彼らは別に何かの思想がある訳では無い。
ただ、相手が気にくわなかったから暴れている。
「見ろ! 封魔局だ! しかも≪騎士聖≫だ!」
「キャ――! アーサー様!!!!」
悲鳴が歓声に変わる。希望の戦士が現れた。
ビルの上を七色に光る足場を造りながら
高速で移動している。
波の上で技を決めるサーファーのように、
戦士は危険な乱闘に割って入る。
――うん。あれも識っている。封魔局。
あーすごい。もう制圧しちゃった。
女は大通りの騒ぎが収まるのを確認すると、
再び暗い路地裏の中へと体を向けた。
――あんなのは僕の獲物じゃない。
識っている。僕の使命は『敵を排除する事』。
なんだけど……
光に背を向け、闇に向かう。
日常に背を向け、闘争に向かう。
女は多くの事を識っている。
だが――
――知らない。僕は誰?
なんでそんな使命を背負っているの?
日常の知識はある。この街の土地勘もある。
魔法世界の事も、そこにある組織の事も、
祝福という神秘も魔術という技術も、
女は知識として識っているというのに……
――知らない。昨日の記憶が無い。
肝心な、僕に関する知識が一切無い。
まるで、ピースの欠けたジグソーパズル。
当てはまる欠片は多く存在しているのに、
肝心なピースは全て紛失している。
決して完成しない記憶の風景画。
知識として『識っている』。
だが、記憶として『知らない』。
女は記憶喪失であった。
――けど識っている。いや、知っている。
僕はやらなければ。この街の敵を、排除する。
此処は自由の都市。治外法権の楽園。
原初の三都市にして唯一の空中都市。
建物は宙へと浮かび、人々は自由を謳う。
金と酒気と怒号が飛び交う娯楽の聖地。
滞在ですか? ようこそおいでませ。
何かあれば自己責任で!
此処は自由の都市――アンブロシウス。