第四十七話 誰も私を罰せない
――ゴエティア・とある大通り――
更なる『傲慢』の開花は
人の身に余るほどの魔力を世に解き放つ。
それは夜へと至った世界を自分色に変えて、
天上の月すら紅く染め上げてしまうほどの力だった。
そんな派手な光景を見上げて、
一人の男が思わず固い唾を飲み込んだ。
厄災と呼ばれた意識不明の男に肩を貸し、
既に機能を失った大通りを進んでいたのは
百朧の秘書イリエイムであった。
(どうやらフィオナが手に負えない怪物となったらしい。
……黒幕は? 光に潰されて死んじゃいないだろうな?)
「――そこのお前、止まれ!」
「! 君たちは……」
イリエイムの眼前に
彼と同じく肩を貸し合う二人の男が現れた。
一方はこちらに刀の刃先と警戒心を向けて、
もう一方はぐったりとしつつもその顔を上げる。
「待てハリス! 大丈夫、イリエイムさんだ……」
「本堂アランか。今まで何処に?」
「師範を斬るのに全魔力を使い果たしたんでね。
サギト共の乱闘に巻き込まれないよう隠れてました。」
「そうでしたか、我々と同じですね。ですが……」
溜め息のように言葉を吐き出すと、
再びフィオナの方に視線を向けた。
そして隈の刻まれた目を更に細め、
後悔にも似た感情を吐き出した。
「我々はもしかしたら、
玉砕覚悟で突っ込むべきだったのかもしれませんね……」
――同都市内・市街地――
イリエイムが一人絶望していたのと同じ頃、
まだ比較的都市の様相を保っているこの市街地でも
奇術師キアラが光の柱を見上げて戦慄していた。
彼女はデガルタンスで直接邪神を見ていたからこそ、
余計に視線の先に現れたソレの強大さを理解していた。
今のフィオナに取り込まれていたモノは
色欲の邪神、暴食の蓄積、傲慢の力。
そして天帝の指を始めとした多くの付属品。
その魔力総量は既に――サギト三体分以上に至っていた。
「もうあれはどうしようも……!」
胸元に手を押し当てて、
キアラは悲痛そうな声を絞り出した。
するとその時、背後から彼女の頭上を飛び越えて
巨大な精霊の背に跨る大剣の女と
黒翼を携えた双剣の女がその刃を交えさせる。
キアラはそんな両者の激しい戦闘を目で追うと、
双剣を握る方へと大きな声を飛ばす。
「ねぇツヴァイ! それいつまでやってるの!?」
「うるさい! 今私の十四ターン目が終わった所!
さぁ次はアンタの番だよ! カシュー!」
「フン、言われるまでも無い!」
そう言うとカシューは精霊に旋回を指示し、
空中で大気を揺らすほどの咆吼を開放させた。
そうして場を整えると彼女は
大きく息を吸い込み、カッと眼を見開いた。
「フィオナ様は私に命令を下す時、
稀に私の頬に手を添えて微笑みかけてくれるッ!!」
「っあ良いッ!! 稀にってとこが特に!!」
「そうだろう!? 加えてあの支配的な目!
うぅっ。『お姉様』的魅力が溢れて止まらない!」
「ぐッ……やるじゃん? けど朝霧も負けてないよ。」
「ほう?」
「前遊びに行った時に朝霧はね、
遊び疲れた私に公園のベンチで膝枕をしてくれた!」
「ぅああああああああ! 包容力っ!」
「夕焼けの逆光と共に視界に映るあの穏やかな顔!
そっちがお姉様ならこっちは『お姉ちゃん』よ!」
「なるほど……そういう関係性も、良いなッ……!」
やがて二人は再び刃を交え、
空中に火花を散らして距離を取った。
そんなやり取りがかれこれ数時間、
ほとんど休み無く継続していた。
「――いや何の勝負ゥ!?」
「ん? 至って真面目な真剣勝負だけど?」
「いや魅力自慢大会してたよね!?」
最早殺し合いの合間の討論タイムでは無く、
討論ついでの交戦となっていた。
しかし当人たちにとってこれはとても重要な事。
何故なら彼女たちの中ではこの戦いの勝敗こそが
愛する主への格付けを意味しており、
そしてこの戦いにおける両者の強さとは即ち
それぞれの『想いの強さ』であると信仰していた。
故に決して負けられない戦いを制するために、
魂と共鳴させてより一層強い魔力を解き放つために、
二人は信仰対象への狂気的な愛を叫ぶ。
「だがやはり! 私は高圧的なフィオナ様が好きだァ!」
「負けない! 勝って私は朝霧に撫でて貰うんだから!」
「「ハァアアアアアアアアッッッ!!!!」」
「勝手にやってろファンガールどもめ!」
思わず呆れてキアラも叫んだ。
しかしその時、彼女はふと何かに気付く。
いや気付いたというよりもむしろ、気付かされた。
まるで遠方から声を掛けられたかのように、
彼女の耳は何やら音を拾った気がした。
「――え? 何、これ……」
その音の出所を探ってキアラは振り返る。
すると彼女の視線はおのずと
君臨するフィオナの方へと向かっていた。
「あ。」
――少し前・空中――
(感じる。私の中の邪神の力を……)
白く染まった手を開いては閉じ、開いては閉じて、
フィオナは開花した自身の体の感触を確かめた。
ホムンクルスは人格主導権の奪い合いに強く、
加えて今は強き傲慢の感情で邪神すら封じ込める。
結果、かの悪神が有する権能は全て彼女の物となり、
邪神の人格は魂の奥底に沈澱した。
(そして――)
何かを確信してフィオナはニヤリとほくそ笑む。
だがその時、空中に佇む彼女に向かって
ミサイルや魔術、そして赫岩兵器の光が襲い掛かった。
「……来たか。」
迫る攻撃の全てを片手で薙ぎ払うと、
立ち籠める煙幕の中からフィオナは顔を覗かせた。
するとその眼前には、悲痛そうな面持ちのまま、
大剣を構えている朝霧桃香がいた。
「フィオナ……ッ!」
これまで数々の強敵を破砕してきたその刃が、
暗い感情はあれど躊躇の無い速度でフィオナを襲う。
だが攻撃は顔面に触れた瞬間その速度を消失させ、
まるで硬い岩肌にでも打ち付けたかのように
ピタリとその場で止まってしまった。
(っ! 刃が通らない……!?)
「残念だな桃香。君は千載一遇の好機を何度も逃した。」
「退け朝霧! フィオナは俺がやる!」
「あぁドレイク隊長。なんだかお久しぶりですね。」
「ッ……! 喰らえ『光神』!」
平然と佇むフィオナの顔面に、
ドレイクは夜すら白く染め上げる光球をぶつけた。
その圧倒的な高火力は尋常ではない爆発を産み、
マクスウェルの氷を吹き飛ばした時と同等か
それ以上の破壊力を見せつける。
これには周囲の抵抗軍戦士たちも流石に驚愕し、
邪神の力を知らない多くの者が歓喜の声を上げ始めた。
だが実際に攻撃を放ったドレイクは
その手応えから今の一撃の成否を知る。
「っ……随分と遠い存在になったな、フィオナ……!」
「いえ、むしろ誇るべきですよドレイク隊長。
貴方の火力にはまだ耐性が追いついていなかった。」
煙の中から現れたフィオナの顔面は
業火に焼かれて肌が爛れていた。
しかしフィオナは痛みすら覚えない。
何故ならその火傷跡は数秒と経たずして
跡形も無く消え去るのだから。
「今その火力にも『適応』が終了しました。
さぁ――次は何です?」
(舐めやがって!)
苛立ちを覚えつつもドレイクは
両手を突き出しその中に再び光球を生成した。
だが今度のソレは火力を求めた物では無く、
その眩い閃光による目眩ましを狙った物だった。
やがて放たれた光がフィオナの前から消える頃、
彼女の視界いっぱいには共和国軍の飛行船が並ぶ。
それらはウスティノフ将軍が飛ばす指示の下、
再び『傲慢』への一斉掃射を開始した。
「愚策では? 物量は最も無意味な攻撃でしょう?」
「やってみなければ分かるまい! 撃て撃て!」
一斉掃射には既存の全抵抗勢力が加わっていた。
復帰したエレノアたち新人組やレティシア、
そして看守長ダーラに森人姫スベトラーナなど、
とにかく今動ける全ての者が出来る攻撃を繰り出した。
無論それは強大な敵に自棄になった訳でも、
あるかどうか分からない適応の許容限界に
全員の命を賭けた訳でも無い。
彼らには作戦があった。その要がリチャードだ。
(リチャードの銃剣。不死殺しの『レオンハート』!
あれならきっとフィオナにだって効果があるはず!)
その星銃剣はマーリンのお手製。
女帝の回復能力すら凌駕する神秘の一品だ。
当然それも一度撃ち込めば適応される恐れがあり、
確実な勝利を望むのなら一撃で仕留める必要がある。
故に彼らはその『確実な一発』を補助するために、
フィオナの視界と意識を乱す総攻撃を行っていたのだ。
(リチャードの乗る飛行船が位置に着いた!)
(角度は完璧。心臓でも脳でもとにかくブチ抜け!)
朝霧とドレイクが主導して完璧なお膳立てが成り立ち、
リチャードもその期待に応えるように深呼吸を行う。
そして覗き込んだスコープの先にある人型の肉塊に、
飛び切りの想いと魔力を乗せた一発を放つ。
((行っけぇえええええ!!))
が、しかし――
「まぁ当然それを狙いますよね。」
迫る弾丸の方にフィオナは首をぐにゃりと曲げる。
そして右の隻眼で件の弾丸を補足すると、
彼女は躊躇なく自身の左手をその弾道にねじ込んだ。
結果彼女の掌は血飛沫を上げたが、
再生を阻害する力を有した不死殺しの弾丸は
彼女の脳にも心臓にも届く事は無かった。
そして――
「あぁ良かった。これも適応出来ますね。」
――肉体が更に強化された事に笑みを浮かべると
彼女は弾痕の跡が残る左手の一部を切り離し
他の肉片を寄せ集めて新たな左手を形成する。
天帝の聖遺物と邪神の肉体だからこそ出来る、
トカゲのしっぽ切りのような適応方法であった。
(あぁクソ最悪だ……!)
「おや? 総攻撃が止まってしまいましたね?」
(フィオナにはこれまでの邪神には無い『知識』がある!
封魔局員として培って来た経験という名の知識が!)
「次が無いなら、こちらから行きますよ?」
次の瞬間、フィオナは背中から大量の鎖を解き放った。
まるで血肉が絡まったかのように赤黒いその鎖は、
邪神の力で速度も強度も増した傲慢の権能。
数にして合計二十本。それらが周囲の雑兵を襲う。
「くっ! 総員退避! 今すぐ離れて……!」
朝霧は自身も後退しつつ声を荒げた。
しかし逃げ遅れは多く、飛行船が次々と墜とされる。
そして死を運ぶ鎖の射程圏内には、
飛行バイクに二人乗りしていたグレンとリーヌスもいた。
「ッ!? 二人とも速く逃げて!!」
慌てて朝霧は救援に奔走する。
だが嵐のように乱れ狂う鎖の応酬は捌ききれず、
同じく同期の窮地に気付いたエレノアとシアナも含めて
誰も接近出来ない状態だった。
そして当然、グレンたちも離脱困難。
二人を乗せたバイクは次第にその逃げ場を失い、
やがて背後から迫る一本の鎖に二人共貫かれてしまう。
「「なっ!?」」
「刺さったな? では――『絶命せよ』。」
「っ――!? 二人共ッ!!」
朝霧は慌ててグレンたちに目を向けた。
だが彼らに権能の力が行使される事は無く、
彼らは同じ鎖に貫かれながらもキョトンとしていた。
「あぁそうだった。一人につき一本ずつ、だったか?」
(っ! 良かった、今の内に――!)
「なら一人ずつだ。」
次の瞬間、二人を貫く鎖が跳ねた。
そして先端に刺さっていたグレンを取り除くと
標的はリーヌス・クロイツァーただ一人に絞られる。
「え、あ……」
彼が最期に見たのは、
こちらに手を伸ばす朝霧の焦った顔だった。
「『絶命せよ』。」
ドクン、とその心臓が反応した。
直後彼は瞳の奥から光を消失させ、
そしてそのまま呼吸を止める。
また彼を守ろうと出現していた白亜の騎士も、
それと同時に灰となって消え失せた。
リーヌス・クロイツァー、死亡。
「え……は? そんな……そんな、簡単に?」
エレノアたちは彼の死を受け入れられず放心する。
しかし朝霧はその顔色に死別の気配を感じ取り、
荒れ狂う赤黒い魔力を解き放った。
「フィオナァァァッ!!!!」
激昂に身を任せて朝霧は大剣を叩き込む。
だがフィオナの肉体にやはり傷は無く、
彼女は朝霧の重たい攻撃をいなして
逆にその顔面に鋭い回し蹴りを打ち込んだ。
「かは!?」
「桃香は最後だ。次は誰が逝く?」
「っ……! やめろッ!」
叫ぶ朝霧の声にも耳を傾けず、
フィオナは周囲を見回し標的を選ぶ。
もう彼女にとっては別に誰でも良かったのだが、
フィオナは遠方に立つ男に殺す意味を見出した。
「あー、奴の祝福は或いは脅威か?」
そう呟くとフィオナは指で銃の形を作る。
標的となったのは遥か遠方の飛行船にいた男。
かつて邪神封印にも力を貸した剣闘士。
「!? 逃げてアキレスさん――」
「その声は届かないよ。」
傲慢の指先から血肉の弾丸が放たれる。
それは暴食の権能を応用した肉叢の凶弾。
弾は紅い夜空を真っ直ぐ飛び、
やがて剣闘士アキレスの心臓を貫いた。
「は? え……」
撃ち抜かれてようやく、
彼は自分が狙われていた事を自覚する。
だがその時点で出来る事は既に無く、
彼は驚くレティシアの前で力なく絶命した。
直後、フィオナの頭上から無数の光が襲いかかる。
それはアンブロシウス本土から彼女を狙った、
共和国幹部スベトラーナの攻撃だった。
「次か。」
「く――行かせるか!!」
自分は最後という敵の言葉を信じ、
朝霧はフィオナの進路を体で阻もうとした。
しかし彼女の速度は朝霧のそれを優に超えており、
転移の聖遺物も無い今の朝霧は置き去りにされる。
そしてフィオナは一瞬で
アンブロシウスの大地に乗り込むと、
鎖の一薙ぎで周りの兵士を吹き飛ばした。
「貴様……! がぁ!?」
「両足が既に無いじゃないか。
こんな状態でどうして前線に出て来たんだ?」
フィオナに首を掴まれて、
スベトラーナは掠れた声を上げ続ける。
だが彼女はすぐに瞳に闘志を宿すと
ギロリとフィオナを睨み付けた。
「アリス・ルスキニアを殺したのは、お前か?」
「? そういえば友人だったか? あぁそうだ。
彼女は私に殺され、どうやら邪神に取り込まれ、
今は私の糧の一つとして消滅したよ。」
「っ……! 臆面もなく抜け抜けと……!」
「悲痛な顔でもしていれば良かったか?
生憎と、今はもう何の感情も湧いてこない。」
「くッ! ッッッ!!」
「そう抵抗するな。余計に力が入るだろ。
それで? 貴様が此処にいる理由は復讐か?」
「私は、あの日の選択が正しかったのか知りに来た!
彼女の紡ぐ物がより良い未来の礎となったのか、
それをこの目で見届けに来たんだ!」
(より良い未来、か。)
「だがお前に利用されるくらいならもう良い!
諸共くたばれ! フィオナ・テウルギア!」
そう叫ぶとスベトラーナは指先で印を結び、
欠けた足でフィオナの腕をガッチリと固定すると、
自身の上空から光矢の雨を降り注がせた。
「『ジオ・フェイルノート』!!」
それはスベトラーナの肉ごと周囲を抉り、
大地にかなり大きなクレーターを刻み込む。
だが当然その程度の火力には適応済みで、
フィオナは肩の埃を払いながら立ち上がると
スベトラーナだった肉片を投げ捨てた。
「……! フィオナ!」
「やぁ桃香。遅かったな。」
「これ以上……もう、罪を重ねないで……!」
リーヌス、アキレス、スベトラーナと、
この一瞬で知り合いが三人死んだ。
それも殺したのはかつての親友フィオナ。
その事実が耐えられなかった朝霧は、
今にも泣き出しそうな声で敵に懇願する。
だが既に彼女との対等な関係を諦め、
上位存在の如きメンタルへ至ったフィオナには
その言動は全く届いてはいなかった。
「『罪を重ねないで』、か。何故駄目なんだ?」
「え……?」
「罪を犯した者は裁かれる。それは分かる。
だが一体、何処の誰が、今の私を裁けるんだ?」
「――! それは……」
「そもそも罪と言う物は支配層によって変動する。
今この魔法世界で最もその地位に近いのは……
多分私だと自負しているのだが、どうだろうか?」
「そんなの! 民衆が赦さない!
こんなやり方じゃ誰の『共感』も得られない!」
「フッ、桃香らしいな。」
とても柔らかな笑顔でフィオナはそう呟く。
そして彼女は右手をゆっくり顔の前に上げて、
変色した自身の指先に語り掛けた。
「だそうですよ。お父様?」
『一理ある。故にコレが要る。』
(天帝の声!? また何かする気か! させない!)
「その妨害を私がさせない。」
恐れを知らず駆け込む朝霧に向けて
フィオナが魔力のみの衝撃波を解き放った。
それは朝霧の反応速度でも避け切れず、
彼女は少なくないダメージを覚悟する。
だが朝霧の体が傷付く事は無かった。
彼女を庇うように何者かが割って入ったからだ。
見上げてみると其処にいたのは
怠惰のサギト、ニコラス・エイボリックだった。
「大丈夫かい? 朝霧ちゃん?」
「ニコラスさん! ありがとうございます!」
『おお怠惰の! 丁度良い。
今から見せるこれは君にぜひ見てもらいたかった!』
「へぇー俺に? 理由は教えてくれるのかな天帝さん?」
『当然だとも。何故ならこれは、
――君が開拓した手法を参考にしているからね。』
「「?」」
困惑する二人を他所に、
天帝はフィオナに『やれ』と指示を出す。
すると彼女の背中には堕天使の如き黒い翼が生え、
文字通り世界中にその魔力を解き放った。
だがニコラスが真に驚いたのはその後。
フィオナの指先から響く天帝の声で唱えられた、
その術の名前だった。
『――疑似権能、発動。』
それは二つ目の『傲慢』。




