第十九話 特異の忘れ形見
――数日前・レオンハート共和国――
魔法連合の崩壊。
その知らせは火急の要件として雪国にも伝わった。
ならば次に考えるべきはその身の振り方。
共和国元首リチャード・フィロアは
全幹部を招集して即日緊急会議を行った。
「奴らは我々との取引継続を望んでいます。
赫岩の販売。それさえ続ければ領土は保証する、と。」
「……どう見る、イナ?」
「このオルト・アビスフィアって人たちは
私たち共和国に参戦して欲しくないみたいだね。
まぁウチ単体で倒せる相手とも思え無いけど。」
「……静観が無難、か。」
リチャード個人としては
魔法連合を滅ぼした新政府軍は信用出来ない。
知人たちが苦しんでいるというのなら、
今すぐにでも加勢したいくらいだった。
しかし共和国陣営にとって
オルト・アビスフィアの討伐は必須では無い。
向こうが『今後も良好な関係を』と望む以上、
わざわざ藪を突く必要は全く無いのだ。
結果、官僚たちの意見も二分された。
勝てるかどうか不透明な今の段階で参戦を決めるか、
或いは最大限の警戒をしつつ調和を保つか。
どちらも悪手と成り得る二択の間で揺れ動く。
だがそんな彼らの迷いを晴らすように、
突然部屋の扉が雑に開かれた。
「ねぇー? 何いつまで悩んでるの?」
「待ってツヴァイ姉! 今大事な会議中だってば!」
「ツヴァイとフィーアか。別にお前たちなら問題ない。
それで? お前はどっちに付くべきだと思うんだ?」
「え? そんなの決まってるじゃん。」
凶刃の悪魔は、その力を宿した少女は、
今は上司となった男の問いを愚問と断じた。
そしてほんの一瞬の検討時間も置かず、
さも当然かの如く答えてみせる。
「朝霧の居る方。」
――――
強火の好感情に背中を押され、
約三万の大軍勢が海上都市に到着した。
そして事前に決めてあったのか、
彼らは速やかに散開し各地で行動を開始する。
「ロドリスとギベオンの東海岸線制圧を確認!」
「こちらエルフ部隊。対空迎撃を開始します。」
「よーしこっちも……ってツヴァイが居ねェ!?」
ただし一人だけ命令を無視している者もいた。
戦地に軍勢を持って来させた張本人。
黒き翼と白き髪の美しいその女性だけが
ただ一つの目標地点を目指して空を駆ける。
「あ~さ~ぎ~りぃ~~!!」
「この声ふわッッぶべ!?」
ミサイルの如く飛来してきたその人物は
対象者が彼女を知覚するよりも早く
その背中から抱きつき撃沈させた。
しかし相手が常人よりも頑丈なのを良いことに
少女は頬を押しつけ再会を喜んでいた。
「会いたかった~! 朝霧ぃ~ぃ~ぃ~!」
「つ、ツヴァイ……うん、私も嬉しい!」
「モッキー、この子って確か。」
「ん? あぁ、あんたあの時の奇術師じゃん……
そんな事より朝霧ぃ~! ギュってして~~!」
(この人こんな感じだったっけ!?)
あまりにも印象の変わったかつての敵に困惑し
キアラは大口を開けて固まってしまった。
するとそんな彼女の背後から更に、
地上戦力を引き連れたリチャードたちが
前方の敵と交戦しながら駆け込んで来た。
「ツヴァイお前! 何持ち場を離れてやがるッ!?」
「リチャードさん! あ、それにフィーアちゃんも!」
「ん。久し振り。」
「ねぇフィーア? 私の朝霧に何その雑な挨拶?」
「ぐっ……お姉ちゃんが別人みたい……!」
「あはは……、それにしても皆で来てくれたの?」
「イナやフンフは留守番だがな。
今すぐ動かせる共和国の戦力は全部持ってきたぞ!」
そう言うとリチャードは自身の背後に目を向けた。
自信満々な笑みを浮かべる彼の視線の先には、
ある人物の指揮の下、速やかに動く軍勢の姿があった。
まるで人々を手足のように動かすその人物は、
鉄仮面で顔を隠した将軍服の大男。
やがて彼は乱れた敵兵たちに名乗りを上げる。
「俺は共和国将軍『マスクド――!」
「お前まさか、フェルディナンド・ウスティノフか!?」
「ん゛んっ!?」
将軍の名乗りをハウンドが妨げた。
実名を明かされ将軍はすっかり狼狽えていた。
そしてそんな彼らの反応を眺めつつ、
朝霧が将軍の詳細を思い出した。
「ウスティノフって確か……魔法連邦軍部総帥の?
あれ? でも確かあの人って……?」
「ああ。戦後処理で戦犯として処刑されたはずだ!」
「どう言う事なのリチャード!?」
「どうって、一度共闘した仲間を切るわけ無いだろ?」
女帝の支配から脱した暁には、
負の遺産の清算が必要不可欠だった。
軍部総帥であるウスティノフは自らの死を以て
その清算を行おうとしたが、若き元首がそれを許さない。
そうしてウスティノフは書類上でのみ死んだ。
「改めて……俺は共和国将軍『マスクド・ナイト』!
そして、恐れろオルト・アビスフィアッ!
今貴様らの前に居るのは――」
最高地位の彼が死んだ事で下の者も処刑を免れた。
結果として新興国『レオンハート共和国』は
魔法連邦の頃から居た軍人の多くを引き継ぐ事となる。
武器も、訓練方法も、指揮系統も、用兵の心得も、
全てがかつてあった特異点勢力そのもの。即ち――
「――≪女帝≫が指揮した軍隊だ!」
友軍は、腐敗無き若き国の高い練度を誇る軍隊。
森人姫が矢を番え、不死鳥が空を舞い、
そして凶刃と不死殺しの弾丸が敵を裂く。
この瞬間より数の不利は消え戦争が成立した。
朝霧たちはそんな熱気の中で徐ろに立ち上がると、
彼らと並んで再び戦火に身を投じる。
(早くフィオナの所へ!)
――同時刻――
割れた破片が零れ落ちる。
壁面を走るヒビが雑な楕円を型取って、
重力に従い力無く崩れ落ちていく。
此処は中央都市ゴエティア南西部の大通り。
激戦続く海上都市の中では珍しく、
人の気配がほとんどしない広々としたその空間で、
眼帯に汗を染み込ませた赤毛の女が肩を揺らす。
「ハァ……! ッ、ハァ……! ふざけやがって……!」
いつになく荒れた口調を、
いつになく荒れた呼吸が共に吐き出す。
大粒の汗を流すその顔にはいくつもの皺が寄り、
端正な彼女の顔をキツく歪めていた。
そんな彼女の前には、
崩れた瓦礫の窪みに倒れる亡霊が二人。
黒幕の配下。シックスと道和が敗北していた。
「貴様ら如きに……私が止められると思うなよ!」
元封魔局七番隊隊長にして、
天帝ゲーティアの娘フィオナ・ テウルギア。
経歴だけでも強者と判るその赤髪の魔法使いに
少数で優位を取れる者はそう多くは無い。
シックスや道和のような精鋭でも
数分の足止めがやっとだった。
(しかし、ぐっ……通信機器を壊された上に、
無駄に魔力まで浪費させられてしまった……!)
今のフィオナはネメシスの呪いに侵されている。
痛みや侵食は得意の治療魔法により軽減されてはいるが、
戦闘で魔力を消費する度にその効果は薄まっていく。
(先を急がねばな。……だがその前に。)
面倒な敵は殺せる時に殺してしまおう。
抜かりの無いフィオナはそのように判断すると
五丁拳銃を一つに束ねてレイピアを作る。
そしてその切先を眠れるシックスの首に当てた。
だが女の首から僅かに赤い血が滴ったその時、
彼女はふとある事に気付いて手を止める。
(待ておかしい……何故あの時亡霊達が現れた?)
漠然とあった違和感をようやく彼女は言語化する。
あの時とは即ちフィオナの正体が判明した瞬間。
あの瞬間、朝霧と二人だけで到達した天極の間に
何故かネメシスとアヴァリスの二人が現れた。
まだ朝霧が王子の正体を拡散する前なのに、
まだ都市中央部でクロノが暴れている頃なのに、
まるでフィオナが裏切ると分かっていたかのように
彼らはベストタイミングで彼女を攻撃した。
「……まさか?」
一度抱いた疑念は答えを得るまで拭えない。
時間の猶予などあまり無いと分かってはいたが、
フィオナは今ここで敵を尋問するべきだと判断した。
より最悪な結果となる前に、対策を取るべきだと。
そうして彼女はシックスを拘束すべく、
節約すべき魔力を割いて長い糸を生成する。
やがて糸は赤い亡霊の服に流れ込み、
彼女の体を縛ろうとした、その時――
「ッ!?」
――シックスのもたれ掛かる壁面が
突然波紋を生んで歪み出した。
そして次の瞬間、その灰色の水面の内から
小さな手に握り締められたナイフが飛び出す。
あまりに予想外だったその刃は避け切れず、
フィオナの左手には確かな切り傷が刻み込まれた。
慌てて彼女は天帝の指による修復を行うが、
それによって魔力は再び激減した事で
再び呪いに苛まれて膝を突く。
「ぐっ……! 亡霊達のアヴァリスか……!」
「天帝の後継者、ここで狩る!」
「狩る? 貴様は其処の二人より弱そうだが!?」
己の窮地を悟らせないために、
フィオナは空元気を燃料に前へと出た。
しかし煽るために吐いたその言葉に対して、
アヴァリスは予想外の言葉を返した。
「多分亡霊達の中じゃ――私が一番強いよ。」
「……え?」
あまりの事にフィオナは気の抜けた声を発した。
だが次の瞬間、彼女はその意味を理解する。
アヴァリスのナイフを持つ手とは反対の手が、
突然ぐるんとうねり獣の頭部へと変化したからだ。
(!? これは……!)
「噛み付け、ヘラウス!」
現れたのは銀の体毛が美しい狼の魔獣。
その頭部だけが腕から伸びて凶暴に敵を襲う。
鋭い牙と針のような体毛が回転し、
防御用の糸を破壊してフィオナの腹を削った。
「ぐぶっ!? まさか……魔獣との『同化』か!?」
「仕留め損なった。なら――同化率増加。」
それは魔獣との絆が実現させた綱渡りの超強化。
普段は片手にのみ抑えた同化を全身で行う事により、
魔獣の凶暴性と人の知性を合併させる荒業だ。
そして同化率の増加に伴い彼女の容姿も変貌を遂げる。
短い髪はぐんぐんと成長し、
針のように刺々しい見た目へと変化した。
そして彼女の肌は白と灰色に変色し、
口元や顔つきも獣のソレへと変わっていった。
(見ていて頭領。私はここまで強くなったよ。)
特異点≪強欲魔盗賊≫。特異点≪黒幕≫。
二人の王の下で鍛えて育った孤児の牙が今、
鋭利な針となって敵を穿つ。
「同化率百パーセント。『人魔転生』!」
気付けば獣娘はフィオナの眼前から消え、
彼女の肩を斬り裂いていた。
パックリと開いた傷口からは血が吹き出し、
痛みを感じて始めてフィオナは負傷を自覚する。
(こいつ速い!? いや、それだけじゃない……!)
アヴァリスは地形を積極的に活用して動き回る。
ただしその活用とは只の強者も行うそれでは無く、
同化の能力を持つ彼女ならではの特殊な動きだった。
地面。壁面。落ちる瓦礫。道路の標識。
これらに『乗る』か『潜る』かは自在に選べる。
そして完全に制御された獣の俊足が、
彼女の動きを更に加速させ高次元の物へと昇華させる。
(これは本当にっ……状況や相性次第で、
隊長格ですら一方的に狩られてしまうぞ……!?)
亡霊達最強という自称に偽り無し。
フィオナは真っ赤な勉強代を払ってそれを体感した。
この状態のアヴァリスに半端なカウンターは無意味。
対抗策は辺り一面を高火力で焼き払う事だろう。
だが最善策と成り得た『天門』は既に無く、
同化持ち相手に実体のある『流星襲落の弓』は不安。
ならばその高火力は自前で用意するしか無い。
大量の魔力を支払って、自ら撃つより他に無い。
(くそっ! くそっ! くそッッッ!!
こんな所で! こんな奴らに……!)
時間を掛けても打開はしないので、
フィオナは嫌々ながらも覚悟を決めた。
(あぁぁぁぁぁぉぁぉぁああッッッ!!!!)
自身の回復も後回しに、
彼女は両手に魔力を集約させた。
一撃で仕留めきれないと意味がないので、
出し惜しみする事も出来ず、全てを乗せる。
「魂ッ! 源ッ! 魔術ッ! 全統合ッ!!」
危険を察知しアヴァリスは強襲を仕掛けた。
しかし今度ばかりは先に決断したフィオナの方が早く、
真っ赤な閃光がその諸手から地表に落とされる。
(っ! しまっ――)
「吹き飛べ――『レメゲトン・ディアボルス』!!」
刹那、都市の空が一瞬暗転し、
直後に真紅の光が柱となって現れた。
周囲数メートルを吹き飛ばす破壊の光柱が、
ビルを飲み込み文明を喰らう。




