第三十七話 梟悪
他人への興味が無くなると、
世界はとても過ごしやすくなる。
他者が持つ趣味や嗜好に些細な変化、
或いはその人物の顔、性格、経歴、人生。
それら全てを「興味無し」と断じてしまうと、
余計な事に時間を割く必要が無くなり
個人の世界はとても快適な物へと生まれ変わる。
自分の損得のみを基準として、
必要最低限のバランス感覚を保ちつつ、
社会の中に紛れ込めれば天下は常に春一色。
善行も凶行も、ボタン一つで実行出来る。
「――極天魔術『クインカンクス』!」
天井の半壊した船内から夜空へと飛び出して、
朝霧は静音の怪人と星雲の下にて斬り結ぶ。
鬼神と対峙するのは梟のような有翼の半異形。
しかし彼は両腕に沿うように生えたその翼を
一切羽ばたかせる事無く飛翔し続けていた。
(翼は飾り? いや……そういう能力?)
怪人は闇夜に溶け込むように音を殺し、
文字通り影となって朝霧の背後に回った。
そして豪腕によって撃ち出される鉤爪の刺突で、
大剣の防御ごと朝霧の体を突き飛ばした。
あわや海へ墜ちるかの勢いだったが、
朝霧は呼び寄せた結晶体を足場にそれを耐える。
そして海面ギリギリの位置で片膝を突きながら、
夜空に君臨するその異形を見上げる。
(静音、影化、飛翔の翼、鉤爪……そして『抜』。)
最初は全てが一つの能力かと思った。
魂喰いの扱う肉体変化がもたらした、
高い応用力による産物だと考えていた。
しかし彼女はすぐにその間違った認識を改める。
大敵エヴァンスの繰り出す技は
それぞれが一つの能力として成立していた。
まるで複数の祝福を同時に扱っているような感覚。
それを実現出来る物品を朝霧はよく知っている。
「聖遺物、ですか?」
「聞くまでも無いのでは?」
「っ……! どうして……『抜』も?」
「余っていたから、ですかね?」
口元に邪悪な笑みを浮かべ
エヴァンスは最大の脅威である朝霧を挑発する。
転移の聖遺物の元となったのは
ユグドレイヤにいた少女ナディアの遺体。
しかし朝霧に渡された十字架の素材以外にも、
聖遺物として使える彼女の遺骨は残っていたのだ。
「聖遺物と化していたのは少女の首から上の骨でした。
君のは首の一部。残りの素材は僕が頂きました。」
「素材……? 他人の事をまるで道具みたいに……!」
「みたい、ではありません。
物言わぬ物質となった時点でこれらは道具です。」
「ふざッ――けるなぁ!!」
湧き上がる怒りの感情のままに、
朝霧は朱裂皇へと覚醒し刃を振るう。
不可避の赫い一刀の前では
流石のエヴァンスも成す術が無いようで、
彼の胸元がぱっくりと割れて上下に切断された。
だが線の細い攻撃では核に当たらず
エヴァンスは離れた胴体を空中で掴むと、
そのまま何事も無かったかのように接着させる。
そして体を大きく回転させて不敵な笑みを浮かべた。
「残念。核は其処にはありませんよ?」
「あっそ。じゃあ当たるまで斬り刻むだけです!」
エヴァンスを最後の脅威と定めて、
朝霧は更に全身全霊の斬撃を浴びせ続けた。
やがてエヴァンスの両翼が腕ごと斬り刻まれて、
バラバラとなった事で飛行能力が消失する。
(しめた! ここで一気に!)
「――其は偉大なる地獄の公爵。
四人の王を従えし、警笛鳴らす生命の狩人。」
(っ!?)
好機と捉えて急接近する朝霧に向けて、
いつの間にか両腕を再生させていたエヴァンスが、
魔力で練られた弓矢を番える。
「魂源魔術『バルバトス』!」
下から上へ、海上から星天に向けて矢が放たれる。
それは緑色の軌跡を描くレーザービームとなって、
ギリギリで身を捩った朝霧の肌を掠めた。
またそれと同時にエヴァンスは
再び両翼を生やして旋回するように飛翔すると、
素早く朝霧の上へと到達し鋭い回し蹴りを炸裂させた。
「くぅ!?」
あまりにも強力なその一蹴に、
今度は朝霧が押されて海面へと飛んでいく。
だが彼女はその勢いを逆に利用し、
救助しに来た結晶体を掴んで一旦敵から距離を置く。
(神域降神術……! いやそれよりも……!)
「逃げる気ですか、朝霧さん?」
(聖遺物の翼も……再生した?)
当たり前だが聖遺物とは物品だ。
装備していなければ行使は出来ない。
それはユグドレイヤの幹部たちですら同じで、
彼らもキューブ状の聖遺物を使い肉体を変えていた。
しかし今のエヴァンスはどうやら違う。
彼は腕を斬り刻まれたはずなのに、
腕に付けていた両翼を消失したはずなのに、
まるで元から自分の祝福であったかのように
彼は再び両翼を生やして飛翔している。
(武装解除が出来ていない……聖遺物は何処に?)
朝霧は海面スレスレを逃れながら敵を見据える。
指輪やアクセサリーのような物は見えない。
複数の聖遺物を仕舞えるような場所も見えない。
魂喰いの表面にはそれらしい物は何も無い。
ならばあと考えられる候補は――
「喰った?」
――腹の中。
そう悟った次の瞬間、
朝霧の遥か前方で再び淡緑の閃光が煌めく。
「!? マズいあの方向は!」
――レインクロイン船内――
再び炸裂した緑の輝きを前に、
ラニサは顔を覆いつつもその正体を探る。
彼女の胸中は期待と不安が半分半分。
この淡緑の閃光から現れる存在が
朝霧桃香である可能性を僅かに期待していた。
だが出現したのは静音の怪人。
ラニサは無力ながらも
アベルトを守らんと臨戦態勢に入った。
しかし警戒心剥き出しの彼女とは対照的に、
当のエヴァンス本人はリラックスしていた。
「ああ、どうぞお構いなく。」
鉤爪と化した掌を向けながら、
彼はまるで此処が知人の家であるかのように
ズカズカと何の警戒心も無く進んでいく。
そして船の一部に巻き付けられていた、
自身の専用武器を回収し始めた。
(っ!? 蠍座の鎖……!)
「そう警戒しないでください。
正直もう貴方たち二人程度ならどうでも良い。」
「え?」
「どんな危険因子が乗っているのかと思えば、
もうレイ程度の戦闘員すら居ないじゃないですか。
朝霧以外、はっきり言って時間の無駄です。」
丁寧に鎖を外しながらエヴァンスは語り続ける。
彼の目標が迎天祭の成功である以上、
脅威さえ排除出来ればそれで良かったのだ。
故に彼はラニサたちをもう敵とすら認知せず、
全神経を最大最強の敵である朝霧に向け始めていた。
(心外……だけど幸運ですね。)
ラニサは決して警戒心を緩めなかったが、
それでもやはり自分までもが
戦闘の場に出なくても良い状況に安堵する。
そして「早くどっか行け」と念じつつ
エヴァンスの背中を見つめ続けた。
その時――
「……!」
――彼女は床に転がる物品を発見した。
それは少し前に厭世がマナに渡したアイテム。
何らかの重大な情報がインプットされた、
USBメモリのような記録媒体であった。
(何故あんな所に!?)
恐らく争いの中で落下していたのだろう。
しかしそんな事は今はどうでも良い。
問題なのはエヴァンスに記録媒体の存在を
気取られてはいけないという事だ。
それに気付かれれば彼の興味はきっと移る。
(何とか、しなくちゃ……!)
焦りの感情を胸に押し込めつつ
ラニサは再びエヴァンスに視線を戻した。
が、既に彼の瞳は彼女を凝視していた。
「心拍数、百拍超えを検知。……異常ですね。」
(しまっ! 『解析眼』……!)
「何か、ありますね?」
エヴァンスを前に隠し事は不可能。
これまで多くの犯罪者がそうであったように、
ラニサもまたその『眼』の力にしてやられる。
だが重要アイテムの存在を感知されたその時、
数回の転移を以てようやく朝霧が追いついた。
そして接近と同時に容赦無く刃を振り下ろす。
「極天剣技!」
「蠍座の鎖!」
赫岩の大剣と黒鉄の邪鎖とが火花を散らす。
狭い船の中で濃い魔力の残滓が弾け飛び、
内部の計器類を一瞬だけ一斉に狂わせた。
そんな激しい衝突の隙を突き、
ラニサは咄嗟に床の記録媒体を拾い上げる。
そして彼女の行動を阻害するように迫る
大蛇の如き鎖の合間をスルリと抜けて、
ラニサはアベルトの隣にまで退避した。
「なるほど? それが重要アイテムですか。」
「っ! 朝霧様……!」
「分かってる! 絶対行かせない!」
船そのものを大きく揺らすほどの力で、
朝霧は鎖の防御ごとエヴァンスを殴り飛ばす。
だが彼は船上から追い出されるのとほぼ同時に、
三回ほど淡緑の閃光を連鎖させて
速やかに体勢を立て直した。
(やっぱりそうだ。私のより性能が良い……!)
「おや? 何かに気付きましたか朝霧さん?」
「……『魂喰い』と、魂の残り香『聖遺物』。
その相性は随分と良いみたいですね?」
「ああ……まぁはい。そうですね。」
エヴァンスは伊達眼鏡のレンズを拭きながら答えた。
まるでその態度は些事について語るようで、
返答も何もかも適当にあしらうような感じだった。
だが魔人にしてみればその程度だとしても、
朝霧にとってこの問題は重大である。
魂喰いがどこから来た存在なのかは不明。
元々居た亜人種なのか、誰かが作った存在なのか、
それを朝霧たちは何も知らない。
だが先程までのエヴァンスの戦い振りを見れば
既にある程度の推察も行えた。
「魂喰いは、聖遺物込みの運用が想定されている?」
「……フッ。」
エヴァンスは鼻を鳴らすがそれ以上は答えない。
そんな彼の態度から朝霧は
この件に関してもう情報を引き出せないと悟ると、
続けざまにもう一つ気になっていた事を問う。
「どうして、私にこの十字架を与えたんですか?」
朝霧の戦力強化はオルト・アビスフィアにとって下策。
事実転移の聖遺物が彼女の手にあるせいで
新政府軍は確実に被害を大きくしているはずだ。
そしてナディアの頭蓋骨を今日まで隠蔽したように、
朝霧にそもそも聖遺物を渡さない事も出来たはず。
なのに彼らはそれをしなかった。
譲渡の際には局長もシルバもエヴァンスも居たのに、
誰もその『敵の強化』を止めようとはしなかった。
この問いにエヴァンスはぴくりと眉を動かしていた。
そしてしばらく言葉を吟味し、
彼はやるせない溜め息と共に答えを返す。
「……僕は止めたんですけどね。」
(え?)
「おっといけない。無駄話が長すぎましたね。」
中央都市までの残りの距離を目算すると、
エヴァンスは再び伊達眼鏡を装着した。
(来る! けどエヴァンスさん一人なら何とか……!)
倒せずとも負けはしない。
そう確信して朝霧も再び大剣を構える。
だがその時、エヴァンスは指と指との間から
大きく肥大化した眼球を覗かせた。
「聖遺物――『ミネルヴァ』。」
術の効果が出たのは小型艦の遙か後方。
厭世やアシュラフたちが残り
敵艦隊と乱戦を繰り広げていた戦闘区域。
その中にいた全ての機械化魔獣の瞳に、
紫色の魔法陣が浮かび上がった。
それは強力な異能の紋様。
与えられる効果は透視や遠視、
そして――他者との『視覚共有』。
荒れ狂う機械化魔獣たちは今、
エヴァンスの見ている世界を共有していた。
「来なさい――『抜』。」
刹那、小型艦の上空で無数の光が炸裂する。
その色は全て淡緑。眩き転移の閃光。
心優しき少女の遺体より生み出された、
純粋に便利な道具の効果。
「ッ!? まさか!?」
残存する全ての機械化魔獣たちが、
一斉に朝霧たちの乗る小型艦へと降り注ぐ。
その衝撃で波は更に荒れ狂い、
船は再び怪獣たちの巣窟へと誘われた。
(まずい……これは……!)
「さあ。奇跡も此処までです。」
梟悪なる怪人と鋼の怪獣とが
小さき命を刈り取る最後の壁として
再び彼らの前に立ち塞がった。




