第二十八話 クロノスタシス
――連絡橋――
「スタンダール君。もう本性を晒しちゃいましたか。」
激戦の繰り広げられる連絡橋。
その丁度真ん中あたりの路上で女が笑う。
味方の魔力を感じ取ったのか、
或いは同族としての気配を感知したのか、
とかくボロ布で顔を隠したその女性は
ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
そんな彼女が見据える視線の先には
四方から攻撃を受ける列車がいた。
やがてその駆動音が女の耳にも届き始めると、
彼女は腰に掛けた無線を素早く起動した。
「こちらエイリーン。エヴァンスちゃん!
もうやっちゃって良いよね!?」
『ええ。最大出力でどうぞ。』
「おっけー最っ高ッ!
魔人パワーでぶちかましてあげる!」
そう言うと女は背中から更に二本の腕を生やす。
そして四つに増えた掌を路上に叩き込むと、
自身の魔力を連絡橋の前半分に流し込んだ。
直後――
「歪め空間! アッハハハハ!!」
――連絡橋の半分がぐにゃりと歪む。
そして一瞬で無限の増築が行われたかのように
列車が進むべきその道程が
何百メートルも引き伸ばされてしまった。
――車両内――
「魂喰い……!」
最後尾車両から吹き飛ばされること三両分。
未だ動かぬ体で大の字を描きつつも、
レイは顔を上げて敵を見据えた。
一直線に空いた風穴をゆるりと歩き、
彼女の元へと一歩ずつその距離を縮める。
やがてその人影が同じ車両内に侵入する頃、
ようやくレイは体を持ち上げ
どうにか対応しようと躍起になっていた。
だがやはり、まだ体は言う事を聞いてくれない。
彼女の体はまだ四つん這いとなり、
肩で呼吸をするのが精一杯といった所だった。
「っ……おいスタンダール……!
テメェ。最初からそうだったのかよ?」
「ん? というと?」
「アバドンに居た時から、いや……
封魔局に負けた時にはもう魂喰いだったのかよ?」
「あぁそういう。ふふ、どちらだと思います?」
もう勝ちを確信していたのか、
スタンダールは顔に笑顔を貼り付けそう問うた。
対するレイは体力が回復するように
たっぷりと思考時間を取りつつ答えを用意する。
「ねぇな。ありえねぇ……」
彼女はあまり思慮深い方では無い。
が、そんな彼女でも分かるほど
スタンダールの現状は矛盾していた。
「魂喰いの力があれば、当時の六番隊には勝てたはずだ。」
最悪勝てないまでも、
完全に無力化され捕まる事は無かったはず。
それに加えて強力な再生能力を持っていたのなら、
個人での戦線離脱もそこからの生存も容易。
アバドンに収監されるという状況すら起こり得ない。
そして―
「なによりお前は、アバドン襲撃に関与していない!」
――実際に新政府軍が監獄へとやってきた時、
スタンダールは一切の反応も示さなかった。
隠していたという可能性も否定は出来ないが、
あの場でそれをする意味は限り無く薄い。
そう思えば、自然とある一つの可能性も浮かんで来る。
全ての矛盾を何の違和感も無く飲み込める可能性。
しかしそれはそれで新たな疑問が浮かんで来るような、
論理的だが突拍子の無い可能性が。
「……後から成ったのか? 魂喰いに?」
「ニィ!」
スタンダールは歯を見せるほどの尖った笑みで
レイが導き出した結論を肯定した。
それには時間稼ぎのつもりで考察した彼女も
思わずゾッと背筋を凍らせてしまう。
そして予想通り、大量の疑問が浮かんで来た。
「本当に成れるのか!? 人が……魔人に!?」
「半分正解、とだけ言っておこうかな!」
語気を強めてそう言うと、
スタンダールは腕を伸ばしレイの首を掴む。
あまりにも速く、そして人には再現不可能なその軌道に
レイは咄嗟に対応出来ずそのまま持ち上げられた。
「かはッ……!? このっ!」
レイは藻掻き苦しみながらも蹴りや拳を放つ。
だが対するスタンダールは一切意に介さず、
それどころか彼女の抵抗をまるで
子供のお遊びを見るかのように笑って流す。
「無駄だよ、核を潰さなきゃ。
まぁでも、君の火力じゃ一生無理だけどね。」
「貰い物の力で……威張ってんじゃ、ねぇ……よ……!」
「いやいや。我々は最初から魂喰いさ。
でも僕も君も――最初は魂喰いなんかじゃない。」
(は? 何を言って……?)
――刹那、窓の外で異常が発生した。
空間は一瞬だけぐにゃりと歪み、
その直後窓の外の景色が異様な動きを見せる。
「おっと、遊び過ぎたか。」
スタンダールはその光景に何かを悟ると、
そのまま叩き付けるようにレイを投げ捨てた。
勢いの付いた彼女の体は地面を数回跳ねて転がり、
小綺麗な床に無数の血痕をばら撒く。
そして痛みで再び丸まったその背中に
スタンダールはもう一度腕を伸ばした。
だが今度の目的は確保では無い。
変容したその腕の先は針状となっていた。
「君じゃ僕は殺せない。」
「ヅッ!? があああああ!?」
まるで注射針のように、
魔人は彼女の体に針を射し込む。
そして自身の祝福と併用する事で、
レイの肉体に直接酸素をぶち込んだのだ。
(体内の酸素濃度を……直接弄られた!?)
人体という半密閉空間の中に、
異常な量の酸素が送り込まれていた。
その結果レイの肉体はすぐに異常をきたし、
視野の狭窄や異常な頭痛を発生させた。
「があ!? ああぁあああ!!」
今にも割れそうな頭を抑え、
両目から血の涙を流して彼女は苦しむ。
床を転がり、椅子に肩や頭をぶつけ、
それでも止まぬ悲鳴が車内に響き渡った。
「彼女は上手く行けば生け捕り出来るかな?
まぁそれよりも、今は――」
悶え苦しむレイの横を素通りし、
スタンダールは前方車両側へと向かっていく。
やがて扉の前に辿り着くと、
彼は胸元からある筒状の装置を取り出した。
そしてソレを握りしめたまま、
スタンダールは周囲を見回し落胆する。
「もう少し前の方じゃなきゃダメか。」
吐き捨てるようにそう呟くと、
彼はそのまま前方車両へと消えていった。
――――
ガラガラと鳴る扉の開閉音。
狭まった視界の中から消えていく敵の背中。
そしてやってくる静寂と、揺れる列車の振動。
全てを虚しく感じ取りながらレイは拳を握る。
「クソ……!」
軋む脳裏に浮かび上がっていたのは
既に失った大切な者の顔。
もう声も聞けない死者の微笑み。
レイは自分の心の半身を失っていた。
守るべき存在を、生きる意味を失っていた。
目的も無い者に再起の可能性など無く、
意志の無い者に逆転の芽などありはしない。
(もうこのまま、終わろうかな……?)
目も耳も、閉ざしてしまって構わない。
そんな思いが湧き上がっていた。
このまま終われば楽になれる。
脳裏に浮かぶあの幻影にも手が届く。
そう思うと何だか悪く無い気さえしてくるようだ。
死という睡魔の誘惑がレイを深みへと誘った。
やがて脳裏の幻想には一人称視点の手が加わり、
大切な彼女へとまっすぐ伸ばされた。
もうちょっと伸ばせば触れられそうだ。
もう少しだけ踏み込めば掴めそうだ。
あと僅かな時間が経てば、また一緒になれそうだ。
「アネット……」
口元に笑みを浮かべてレイは幻影の名を呼んだ。
だが対する彼女の幻影は、
ほんの少し口元を歪め――その手を振り払った。
『レイ。それ、違う。今は違う。』
(アネット?)
『今その手を求めているのは、私じゃない。』
――刹那、レイの脳が若い女の声を受信する。
それは彼女の幻聴でも何でも無く、
本当に脳裏に送り込まれたテレパシーだった。
『レイさん! レイさん!? そっちは大丈夫!?』
「マ……ナ……?」
『良かった! っ、ベーゼからの伝言!』
仲間の生存を確認し安堵しつつも、
オペレーターに徹する少女は運転士からの伝言を告げる。
その内容は緊急性が伝わるほどシンプルかつ重大。
ただ一言、『侵入者を前方車両に到達させるな』だった。
恐らく言外に『例え死んでも』が付いている命令に
レイは僅かに訝しみ、そしてすぐに理由を悟る。
彼女の思考の助けとなったのは視界の中から消えた敵。
通すなと言われた件の侵入者スタンダールが
胸元より取り出した筒状の機材だった。
「『天門』か……!」
空間拡張魔術には必ず限度がある。
それが祝福由来だろうが強者の大魔術だろうが、
異界化させ引き伸ばせる空間には限りがあった。
故に高速で走る魔導装甲列車の前では、
空間拡張魔術と言えども単なる時間稼ぎにしかならない。
が、仮に『切り札』があれば話は別だ。
一撃で、必中で、確実に敵を屠れるキラーカード。
もしそんな物があるのであれば、
単なる時間稼ぎにも絶大な意味が生まれてくる。
そしてオルト・アビスフィアには現在、
切り札と呼べる強力な大規模破壊兵器が存在していた。
衛星攻撃兵器『天門』である。
宙の彼方に在る兵器本体は攻略不能であり、
また撃ち込まれる極太の光柱は対処困難。
以前レヴェナントを破壊し尽くした時のように、
この兵器は発動されるだけで戦局を決してしまう物だ。
だがその分、この兵器は使い所を選ぶ。
――『もう少し前の方じゃなきゃダメか。』
魔導装甲列車は常に移動し続ける標的。
これに光線を直撃させようと思うのなら、
後方車両にアンカーを刺しても意味は無い。
何故なら発射から着弾までのラグで、
列車が信号受信位置から移動してしまうからだ。
つまり列車を一撃で粉砕するためには
スタンダールは必ず前方車両に行く必要があった。
言わばそれは彼にとっての勝利条件。
朝霧やベーゼと戦わずとも達成出来る勝ち筋だった。
「ッ――!!」
ならば、とレイは再び膝を立てた。
未だ脳裏に幻影を浮かべながらも、
全身を軋ませながらも再起する。
『そうだよレイ。それで良い。』
「ぐっ……ぅぁあ!」
『今貴女を必要としているのは、あの子たち。』
「はぁああっ……! あぁ……ッ!」
視野は暗くそして狭く、頭は割れんばかりに痛む。
吐き気とめまいに苦しみながらも、
彼女は少しでも体内の酸素を逃がすために
割れた硝子で背中から肺に穴を開けた。
そして血をそこら中に振り撒きながら、
彼女は歯を食いしばって立ち上がった。
『頑張れ、私の英雄!』
「あああぁあぁ!!」
脳裏の幻影とハイタッチで別れを告げ、
青き雷光が再び走り出した。
――――
「っ!?」
何かを感じ取り前方車両のスタンダールは構える。
しかし背後から中々ソレはやって来ない。
訝しんだスタンダールは双剣を構えたまま、
扉の傍に近付き敵の襲来に備えた。
その時――
「『残像錯視』ッッ!!」
――車両側面に並ぶ窓ガラスを蹴破って、
レイは外からスタンダールの前に現れた。
「いや残像だな!? 音とズレてる!」
襲撃に驚きつつもスタンダールは即座に対応した。
そしてタイミングを完全に見切り
彼女の迫るであろう経路の前に刃を添える。
彼のその対応は的確で、
刃は確かにレイの実体の前に迫っていた。
がしかし、それよりも速くレイの攻撃が当たる。
残像に反映されるよりも僅かに速く、
彼女の袖口から射出された鞭が
スタンダールの手を撃ち抜いたのだ。
それによって双剣の一方は宙を舞って天井に刺さり、
そしてもう一方も素早い回し蹴りによって
列車の外へと弾き飛ばされた。
「なにっ!?」
武装を失ったスタンダールは即座に肉弾戦に備えるが、
その時にはもう彼女の実体は彼の腕に飛び移り、
細い両脚を腕と顔に巻き付かせるようにして
ガッチリと拘束していた。
「ぐぉ!? このアマっ!」
「乙女の柔肌だぞ? もっと喜べ!」
「このぉ!!」
スタンダールは負けじと魔人の腕力で腕を振る。
腕に巻き付く彼女を椅子や床に叩き付け、
確実にダメージを与えながら引き剥がそうとした。
「ぐぶっ!」
「勝てると思うな人間風情が!
お前じゃ僕は倒せない! 核を潰す火力は無い!」
「要らねぇんだよ――そんなのは!」
レイは血塗れの顔に笑みを浮かべてそう呟くと、
魔人が腕を振るタイミングに合わせて
パッと両手、両脚を離した。
それによって彼女の体は窓方へと吹き飛び、
そのままガラスを割って外へと放り出された。
「は? 何をして……?」
彼女の行動の意味が分からずスタンダールは困惑する。
だがすぐにその答えが牙を剥いた。
気付けば彼の腕にはレイの鞭が巻き付いていたのだ。
「ぬっ!?」
直後、彼の肉体は鞭に引かれて窓際に寄る。
吹き飛ばされたレイへと引っ張られる形で、
窓の外にその上半身が乗り出したのだ。
またそれと同時に彼は驚愕の景色を目撃する。
自分と繋がれた鞭の先。
それを巻き付けた張本人であるレイが
列車の側面を青い閃光と共に駆けていたのだ。
「私の勝利条件は、お前を倒す事じゃない。」
敵はアネットの仇。しかしそれに拘っては勝てない。
今守るべき存在は共に戦うと決めた仲間たち。
一緒に終幕を目指す列車の乗組員たちだ。
「私はお前を――この列車から引きずり出す!」
「ぬぅ! おぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
決意と共に青の雷は加速した。
それは慣性の加わった女の壁走りと
魔人の腕力との綱引き勝負だった。
勿論これが競技的な勝負なら魔人の圧勝だ。
が、今のスタンダールの体勢は最悪で、
常人ならばとっくに肩関節が外れているような
力の伝えにくい状況であった。
またそれに加えて、
今のレイは全てのエネルギーを足に集約していた。
肺に穴が空き、呼吸は出来ず死ぬほど苦しい。
だがそれを気合いで無視し彼女は走り続けた。
「まずい……このままだとっ……!」
メキッメキと怖い音を立て始めた壁に怯え、
スタンダールは心底焦ったような表情を浮かべる。
そして何か頼れる物は無いかと首を振り、
彼は天井に突き刺さっていた自身の愛刀を発見する。
「はっ……はは、これだ!」
肉を変容させて腕を伸ばし、
刀を手に取るとスタンダールは笑みを漏らす。
そしてゴロンと胸が外を向くように体勢を変えると、
突風吹き荒ぶ窓の外へと体を晒した。
「はは! 惜しかったな! レイ!!」
勝ちを確信しスタンダールは高らかに笑う。
そして鞭の巻き付いた自身の腕ごと
レイを切り離そうと刃を掲げた。
「お前の負けだぁあああああああ!」
が、その時――
「いや。私たちの勝ちだよ。」
――スタンダールの背後にそれはいた。
黒いシルエットに赤い眼光を輝かせ、
大剣を構えて何も無い空中にそれはいた。
「っ!?」
「紅星、流転。暁の残光――」
魔人にとっても死の宣告に等しい詠唱と共に、
鬼神の如き女剣士が刃を振るった。
直後赤い斬撃がスタンダールの腹を捌き、
ほとんど外に乗り出していた彼の体を
そのまま海の方へと放り出させた。
「朝霧桃香、だとぉぉ!?」
例えいくら敵戦艦への対応に追われていても、
列車の外へとはみ出しながら戦う二人の姿は目に付く。
そしてあと少しの要因で勝てそうな状況なら、
朝霧が仲間を見捨てる道理は無い。
(予想通りとは言え、やっぱスゲェなあいつは……)
列車の淵にぶら下がりながら、
満身創痍のレイは口元に笑みを浮かべていた。
しかしその余韻をぶち壊すように、
海に付いた鞭の先でスタンダールが暴れ続ける。
「このぉぉぉっ! まだ終わる訳にはあああ!!」
「はぁ……お前はもう、くたばってろよ。」
そうしてレイは一本の機材を彼へと投擲した。
スタンダールの脳天に突き刺さったのは
彼の懐からくすねていた天門のアンカーだった。
「はぁ!?」
『信号確認。認証者エヴァンス・プレスティア。』
「待て……! 待て待て待てッ!!」
『天門――発射。』
「ふざけるなぁああああああああ!!!!」
天に魔法陣が展開さえ、
神の裁きが如き光の柱が落とされた。
しかしそれは本来狙うはずだった列車には当たらず、
代わりに海上にあった肉片を消失させる。




