第十八話 非戦闘員
祝福の名は『残像錯視』。
周囲に自身の一秒前の姿を見せる幻覚魔法だ。
実際の攻撃は目に映る幻覚の一秒先にあり、
フェイントを掛けられたと気付いた時には既に、
レイの拳は標的の顎を打ち抜いている。
そしてその能力は偶然にも、
朝霧が持つ『朱裂皇』の力にあるの優位性を持っていた。
(――!? 斬撃が、届かない!?)
不可避の一刀天『羽々斬』。
それは観測した標的に因果を越えた刃を当てる技。
例えどれほどの距離が離れていても、
例えその間にどんな障壁があったとしても、
朝霧の放つ赤い刃は敵に至る。
しかしあくまでもそれは『観測したら』の話。
今朝霧が見ている敵の姿はあくまでも一秒前の残像。
実体が幻の裏に隠れてしまっているのでは、
いくら究極の奥義を使ったとしても効果が無いのだ。
(なら基本は距離を置き、範囲の広い技で潰す!)
「対応バッチリ。ダメだなこれは……」
振り下ろされた大剣を躱し、
幻覚魔法の使い手レイは大きく飛び退いた。
身体強化と加速魔法が幾重にも掛けられた身体は
まるで紙飛行機のように滑らかに空を滑る。
「黒煙の人! 煙幕追加!」
「命令するなよな! まぁやるけどもっ!」
朝霧とレイの合間を分断するように
襲撃者の一人が腕を伸ばす。
彼もまたアバドンからの脱獄囚の一人。
朝霧との面識が無いが凶悪犯には違いない。
「祝福。『ブラックアウ――!」
「させぬ!」
伸ばされた男の腕を吸血鬼が斬り付ける。
人外の血で形成された刃がうねり、
煙幕使いの男に決して浅く無い傷を負わせた。
「ぐっ!? 亡霊達……厭世……!」
「今は四対四だ。努々忘れるな。」
生物のように暴れる血流を手元に収束させながら、
厭世は朝霧の隣に立ち四人の敵に殺気を向けた。
だがそんな彼の気迫に僅かな揺らぎがある事を、
襲撃者の中のリーダー格の男が察知する。
「強がるな厭世。いや……連続殺人鬼アルバート君。」
「「――!」」
「君は『四対四』と言ったが違うだろ。
その表情。庇うべき非戦闘員が紛れ込んでいるな?」
大柄のリーダー格はそう言うと
嫌味な笑みを浮かべながら朝霧たちの後ろを見た。
そこには彼の眼差しにギクリと反応を見せる、
ラインハルトとマナがいた。
「――奴らだな。」
標的を見据えてリーダー格の男は歯を見せて笑う。
そしてレイ以外の襲撃者二人に指示を飛ばした。
「ファルムス君、コーロさん! 雑魚から潰せ!」
「ざけんな! やるけども!」
「あぁ酷いわ酷い……皆酷い人だわぁ!」
罪人たちはリーダー格の男に従い行動し始める。
勿論それを見逃すような朝霧と厭世では無く、
二人は飛び込む脱獄囚たちを迎撃する構えを見せた。
が――
「朝霧を止めろ! レイ!」
「ったく、りょーかい!」
――最も素早く敵を屠れる朝霧に対し、
唯一戦闘の成立するレイが当たる。
彼女は『朱裂皇』状態の朝霧に対し、
真正面から地上を滑るように飛び掛かっていった。
(!? いやフェイントか!)
朝霧は見えない一秒先を予想し防御を試みる。
しかし普段はしない行動の代償として、
見えている拳からの意識が逸れた。
「まぁ引っ掛かるよな!」
「しまっ!」
この時レイは――祝福を使用していなかった。
あえて朝霧の前に本体を晒す事で、
そんな事はしないと思っていた朝霧の隙を突く。
結果、決してヌルく無いレイの拳が彼女の顎を捉える。
「ご……あ゛ッ!?」
「くっ、朝霧殿……!」
「お前の相手はこっちだよアルバート君!!」
朝霧に加勢しようとする吸血鬼の出だしを潰し、
リーダー格の大男が厭世と対峙する。
だがその身体は先程よりも数倍肥大化し、
男の全身からは無数の鋼鉄の刃が突出していた。
「思い出した。貴様、アビスフィア帝国の……!」
「ああ。元帝国幹部、航空幕僚長チェルノボーグだ。」
過去の肩書きに恥じぬように、
大男は全身の巨大な刃を振り回し大地を抉る。
その過程で吸血鬼の肉体は斬り刻まれ、
常人であれば即死しているほどのダメージを負った。
勿論、これしきの事で死ぬ厭世では無いが、
再生と迎撃に全力を注がねばならないのもまた事実。
朝霧も厭世も敵の足止めを喰らってしまう。
そして――
「伏せろ! マナ!」
――非戦闘員たちにも攻撃が及ぶ。
黒煙使いの男が戦闘員たちから分断するように
更なる煙幕を焚いたかと思えば、
常に悲痛そうな顔をした女性が二人を襲う。
コーロと呼ばれたその女は
何も無い空中を踊るような歩法で進むと、
二人の頭上で立ち止まり祈るようなポーズを取った。
(っ……僕はともかく、せめてマナちゃんだけでも!)
「酷い、酷い、酷いですわ。」
「そんなに嘆いてどうした!?
優しく抱きしめてやっから降りてこい!!」
そう叫びながらラインハルトは拳銃を構えた。
しかし彼の銃口が向けられた次の瞬間、
悲しげな顔の女は更にぐにゃりと歪みだし、
やがて耳をつんざく金切り声を上げた。
「酷い酷い酷い酷いわ! あぁ……なんてこと!
この世の中は酷い人ばかり――」
(来る……!)
「――皆、死ねばいいのに!」
刹那、現れたのは紫色に輝く巨大な腕。
しかしそれは女の周囲からでは無く、
彼女に敵意と銃口を向けた
ラインハルトの足元より出現した。
アバドン脱獄囚――≪加害者≫コーロ。
彼女の祝福は術者を防衛する守護霊の召喚。
しかし曇りに曇った彼女の瞳は、
この世のありとあらゆる者を敵と見なす。
「『V・V』ッ……!!」
「離れろマナ!」
大地より現れた二つの腕が、
ラインハルトたちを取り囲み収束していく。
だが拘束される前に突き飛ばされたマナは、
ギリギリでその中に囚われずに済む。
「酷いわ。償うべき罪から逃れるなんて。」
「っ――ラインハルト!?」
一人拘束されたラインハルトは
更なる締め付けの圧迫に悲鳴を上げる。
しかし守護霊はその手を緩めるどころか、
虫にもしないような圧力で彼を潰そうとした。
「ごぉぅ!? まず……落ち……ぅ……!」
途切れそうな意識をどうにか保ち、
ラインハルトは打開策を探して周囲に目を向ける。
しかし煙幕で区切られた向こう側は確認出来ず、
また真っ赤に染まる耳が辛うじて拾った戦闘音が
朝霧たちの救援も望めないという絶望を直感させた。
(せめて、片腕だけでも外に……!)
「あぁどうして皆は分からないの? 自分の醜さに!
どうして抵抗するの? 全部貴方が悪いのに!」
(ぐぅぉ!? 締め付けが更に強く……!)
「あの時だってそうよ! 私は弱者なのに……!
あの女……ミストリナ・クレマリアが私を投獄した!」
「「――!」」
「聞いたわ聞いたわよ! 彼女死んだんだってね!
良かった、あぁ良かった! 神様はちゃんと見ていた!」
「……」
久々のシャバと能力の解放でハイになっているのか、
かつて自身をアバドン送りにした隊長格や、
その当時の状況を思い出して彼女は声を上げる。
しかし狂ったような声で発せられたその自分語りが、
逆にラインハルトの闘志に火を付けた。
「ぁぁ……神様は、ちゃんと……見ている。」
彼は腕の関節を外しながら、
片腕だけを守護霊の手中から脱出させる。
そして抜け出したその片腕の先には、
彼の持ち込んだ拳銃がしかと握られていた。
「僕に、チャンスをくれたんだ――」
非戦闘員、ラインハルト。
彼は魔法連合の有望議員として
一通りの魔術と武術を習得している。
剣や銃は人並み以上に扱えるし、
魔法に至っては神域とされる魂源魔術の一部が使えた。
しかしそれはあくまでも貴族の嗜み程度。
特異点勢力やその配下の組織と戦える物では無い。
故に彼もまた非戦闘員。
強者に守られるべき弱き者の一人である。
――が、彼には他の者には無い特技があった。
ラインハルトの固有能力『直感の祝福』である。
「狙いは……いらない。」
その祝福は彼に物事の急所を教える。
詳細情報は無くとも事態を好転させる転換点を告げる。
つまりこの能力を使えば彼は、
最適なポイントへの射撃が常に可能となるのだ。
「――此処だ。」
目を瞑り、呼吸を止めて、
口から血を垂らしながら彼は引き金を引く。
直後に弾丸は一直線に何処かを目指し、
やがて肉の中へと侵入して対象者に呻き声を出させた。
ラインハルトの弾丸に当たったのは、
いつの間にか木の上に移動し戦場を俯瞰していた、
黒煙使いの男ファルムスであった。
「こ、のぉ……っ!」
ファルムスは血の吹き出す鳩尾を抑えながら、
糸の切れたように絶命しそのまま落下する。
やがて彼の死体が草のベッドに倒れる頃には、
ファルムスの能力によって展開された黒煙が消える。
「はっ! だから何よ!?」
「ぐぁああああぁぁあああ!?」
味方の死など一切気にも止めず、
コーロは更に守護霊のパワーを強めた。
確かに彼女の言う通り黒煙が晴れたとはいえ
朝霧も厭世も未だ敵に足止めされている。
そしてマナには彼を救う手段が無いのも変わらない。
(くっ、僕も……ここまで、か!)
その時、暗闇の空から何かが飛来した。
一発の弾丸のようなそれは音も無く闇夜から迫り、
そしてコーロの脳天を後頭部から直撃する。
「あ? …………がっ?」
刹那、弾丸は彼女の頭部で形を変えて、
その内部に収まっていたある液体を散布した。
次の瞬間、コーロの頭部は弾けて脳汁をぶち撒けた。
「「っ……!!!?」」
あまりにもショッキング、
そしてあまりにもグロテスクなその光景に
その場にいた誰もが言葉を失う。
やがて力なく消え去った守護霊の腕から
ラインハルトを救出しながら、
マナは地面に飛び散ったその液体を観察した。
「え、これって……?」
月明かりに照らされたその液体は毒々しい緑色。
肉を溶かし、草花を溶かし、
そして地面までもを溶かして地中に消えた。
マナはその液体に心当たりがあった。
忘れもしない。それはある日突然故郷を襲った天災。
「まさか!?」
――――
「……着弾を確認。弾丸は無事に機能しましたね。」
草地に寝そべって双眼鏡を覗き込み、
黒髪眼鏡の優男が隣の狙撃手に声を掛ける。
彼もまたそのグロテスクな光景を目撃したはずだが、
もう慣れてしまっているのかその声色は明るかった。
「しかし良かったんですか? 問答無用で攻撃して?」
「今更そんなこと言うなっての……ゴホッゴホッ!」
狙撃手を担当していたのは白髪の老人。
彼は銃を小さく変形させブーツのポケットに仕舞うと、
蓄えた立派な髭を駆動式の義手で撫でながら
正しく機能していない自身の端末に目を向けた。
「電波障害……ったく人様ン家の前でドンパチと……」
「!? 朝霧です! 朝霧がいます!」
「ほー? 」
老人はニヤリと悪人らしい笑みを浮かべた。
そして髭を撫でる手を止め、
袖口から一瞬で黒い機械の刀を出現させる。
「復讐しますか?」
「おうよ! どのみち目撃者は潰さなきゃだしな。
それに、はぁぁぁ……この身体も試してみたい!」
「フ、了解。お供しますよ――」
義手の手首を回転させながら、
全身機械塗れの老人は口角を釣り上げた。
其れは現在一線級の活躍をする技術たちの祖。
各組織を支えた開発者たちの元上司。
かつては稀代の天才と呼ばれた世紀の大戦犯。
その名も――
「――ドクター・ベーゼ。」




