第八話 閉ザス者
――封魔局本部・局長室――
「これは……」
異変に気付きマクスウェルは声を上げた。
連合総本部の一室を源流に吹き荒れた砂塵が、
マクスウェルの放送を遮り都市内を埋めていく。
直後に聞こえてきたのは老人の声。
その内容は全生存者に向けた撤退命令。
一人でも多くの命を生かすために砂粒に乗せた、
念波による最期のメッセージだった。
「フン、死に損ないめ。」
動き始めた生存者たちの気配を読み取り、
マクスウェルは髭を撫でて自身の行動を選ぶ。
やがて彼は思い出したように振り返ると、
背後の床で放置していたドレイクを視認した。
彼はもう魔力も気力も根こそぎ削がれて、
本当にボロ雑巾となっていた。
故にマクスウェルも放送を優先し放置していたが、
状況の変化を受けて、より確実な利を選ぶ。
「安心しろドレイク。四肢を落とすだけだ。」
彼の目的はあくまでも生け捕り。
故にその確実性を向上させるために
マクスウェルは冷気を纏わせた腕を伸ばす。
触れればたちまち肉は凍てつき、
容易く砕ける弱き氷像と化すだろう。
だが差し向けられた魔の手が
正に火竜の肉に触れようとしたその時、
局長室の扉が爆煙を放って吹き飛ばされる――
「乗り込めぇえええ!!」
――現れたのは三人の男性封魔局員。
そしてその先頭で咆吼を上げていたのは、
愛用のショットガンを担ぐ熟練隊員であった。
「六番隊……アルガー・ハウンド!」
「悪ぃな局長殿! 抵抗させて貰うぜ!」
ハウンドはショットガンを容赦無くぶっ放す。
しかし至近距離で放たれたはずの散弾を、
マクスウェルは肉体変化で全て躱す。
「貴様では勝てんよ。凡人代表。」
「だろうな。元より倒そうなんて思っちゃいねぇさ!」
「っ――!」
マクスウェルが気付いた時には既に、
散弾の撃ち込まれた窓側の壁は崩壊していた。
そして外を埋め尽くしていた大量の砂が、
詮を抜かれた浴槽の水の如く室内へと侵入する。
迫る強風の砂嵐にマクスウェルの意識は向けられた。
そして彼が迎撃のために氷壁を展開したその瞬間、
今が好機と言わんばかりにハウンドが叫んだ。
「リーヌス! グレン! 首尾は!?」
「ドレイク隊長の回収完了! いつでも行けます!」
「了解ッ……! 離脱するぞォッ!!」
全弾を使い尽くす勢いで局長に発砲すると、
ハウンドはショットガンを捨ててバイクを掴む。
そして若手隊員らと共にドレイク救助を成功させると
そのまま逃げるように局長室から離れていった。
「チッ。私としたことが……」
砂嵐の招き入れる亀裂を氷で塞ぎながら、
マクスウェルは心底不愉快そうな顔で呟いた。
そして飛行バイクの影も見えなくなった廊下を見据え、
彼は諦めたように肩を落として端末に手を伸ばす。
「仕方ない……『ロキ』を起動させるか。」
――連合総本部――
百朧の念を受け取り封魔局員や連合議員は動き始める。
吹き荒ぶ砂嵐に身を隠し、魔人たちの目を掻い潜って、
各々が各々の思い付く手段で中央都市からの脱出を図る。
『己のみを信じて散れ。反撃の機を伺い消えろ。』
陸路、海路、或いは空路。
そして転移や自身の魔術を活用する者もいるだろう。
脱出ルートは何でも構わない。とにかく今は離脱が優先。
呑気に立ち止まっている暇など全く無い。
が――
「百朧! おい百朧聞こえるか!?」
――森泉とラニサの足は止まっていた。
彼らは朝霧もマナも放ったまま、
老人の名を無線機に何度も怒鳴りつけていた。
やがてようやく彼らの呼び掛けに気付いたのか、
途切れ途切れの電波を拾って
彼らの無線に草臥れた老人の声が返ってきた。
『おぉクソガキ。なんじゃ来とったのか?』
「今どこだ!? すぐに向かう!」
『要らん。ちと血を流し過ぎてしまったのでな。
それよりも森泉、貴様……脱出のプランはあるのか?』
「っ! あぁ……勿論だ。」
直後、森泉の背後に位置する窓ガラスの向こう側に、
渦巻く砂塵を押し退け一機の垂直離着陸機が出現した。
その機体に刻まれていたのは髑髏のエンブレム。
亡霊達が所有する軍用航空輸送機であった。
そしてそのプロペラ音を耳にして、
通信機の向こう側で百朧がいつもの笑い声を漏らす。
普段なら不快にすら感じるそのせせら笑いも、
今の森泉たちには言いようも無い物寂しさを与えていた。
「……生存者は機内に乗れ。」
「!? 待て黒幕……! 本当に会長をおいて行くの!?」
「そうする事が奴への礼だ。」
ラニサは「嫌だ」と抵抗して無線機に叫び続ける。
しかしもう老人との通話は切れていた。
聞こえてくるのは砂嵐のように耳障りな音のみ。
やがて彼女は両手で無線機を握ると、
大粒の涙を流して泣き喚きながら膝を突く。
「……桃香、頼む。」
「! ……了解。」
そんなラニサの腹を後ろから抱き上げて、
朝霧は窓に寄せられた輸送機の中に彼女を乗せた。
機内にいたのはフロルと道和。
そして操縦桿を握るシックスの姿もあった。
朝霧がそれらの見知った顔に安堵していると、
立ち止まる彼女を押すように
マナと森泉も機内に乗り込んで来る。
「良いぞシックス! 出せ!」
リーダーの指示を受けて輸送機は建物から離れる。
直前に数体の魔人が通路の奥から駆け込んできていたが、
彼らはギリギリ機体に触れられず地上へと落下した。
回収出来た生存者は――現在たったの二人だけ。
「よし。すぐにゴエティアから脱出を――」
「――まってショウ君!
もう少しだけ味方の離脱を援護したい!」
「っ!? 気持ちは分かるが駄目だ桃香!
今はこの砂塵の中で皆も離脱している事を信じろ!」
「分かってる。だからショウ君たちは先に行ってて!
私はもう少しだけ助けられる命を増やしてくるから!」
「おい待て!?」
森泉の静止も聞かず、
朝霧は窓をこじ開け砂塵吹く空へと飛び出した。
恐らく結晶体の極天魔術で飛翔しているのだろうが、
その様子は砂嵐の中に消えてしまってもう見えない。
森泉はそんな彼女の幻影をしばらく目で追って、
やがて深く溜め息を吐くと扉を閉める。
するとそんな彼を誂うように道和が声を上げた。
「どうするよリーダー? このまま離脱するか?」
「馬鹿言え……今朝霧まで失う訳にはいかない。」
「ならやる事は決まってるよなぁ?」
「あぁ――シックス! 朝霧を追え。彼女を援護する。」
「はぁ本気!? ただでさえ操縦困難な悪天候なのにっ!
この砂嵐の中で今からあの子を探せって言うの!?」
「『ハプニングも楽しんでこその人生じゃよ』。」
「ふざけっ……! あぁもうっ、やってやるわよ!!」
直後、操縦桿は大きく傾けられ、
彼らを乗せた輸送機は百八十度方向を変える。
またそれと同時に道和が機体を覆うバリアを展開し、
予想される敵の追撃から輸送機そのものを防衛する。
「これで間抜けに撃ち落とされる事は無いだろう。
あとは……誰か、朝霧との通話手段を持ってないか?」
「なら私が祝福を使う。」
声を上げたのはマナだった。
彼女の祝福は『限定的テレパシー』。
かつてソピアー領主邸の式場でも使用したように、
この祝福は『仲の良い者』との遠距離通話を可能とする。
「聞こえる、朝霧――?」
これらの魔法を複合して朝霧たちは、
友軍がゴエティアを離脱するその援護を開始した。
――――
「急げグレン! もっと速度を上げろ!!」
「無理ですってハウンドさん! 四人乗りは流石に!」
封魔局本部から脱出して、
ハウンドらは砂嵐の中へと突入していった。
しかし彼らには他の仲間と連絡を取る術は無く、
誰が何処で何をしているか全く把握出来ていなかった。
加えて彼らには脱出のための手段が無い。
今は取り敢えず封魔局管轄の空港を目指しているが、
そこからどうするといったビジョンは無かった。
(さてどうするハウンドよ……?
ドレイク隊長を死なせる訳にはいかないぞ……!)
ハウンドは何度も自分に語りかけて、
背負った責任の大きさを何度も確認していた。
だが彼がその自問自答に集中していると、
突然彼らの前方に一匹の魂喰いがぬるりと現れる。
「しまっ!」
砂嵐で視界が確保できなかったバイクは
障害物の回避に失敗して横転してしまう。
バラバラに放り出された四人の隊員たち。
そんな彼らをぐるりと一目すると、
魔人はドレイクへと襲い掛かる。
「っ……! させるかぁぁああ!!」
もう後先も何も考える事無く、
ハウンドは無我夢中で飛び込んだ。
彼を動かすのは血肉に染み込む使命感。
自らの体を盾として優秀な戦力を守らんとする、
名も無き一般兵の矜持であった。
――が、彼が命を賭して身を乗り出した次の瞬間、
迫る魔人の気色悪い異形な頭部が
真っ赤な鋭い閃光と共に斬り飛ばされる。
やがて眼前の出来事にハウンドが呆けていると、
首を刎ね飛ばされた魔人の胴体を潰すように、
大剣を突き立てながら朝霧が空から落下してきた。
「な!? 朝霧……!」
「ハウンドさん! それにドレイクさんも!?」
二人が互いの顔を確認して驚く中、
上空には亡霊の輸送機が駆動音を響かせ近付く。
その騒がしい音でハウンドは逆に安堵すると、
グレンやリーヌスも見ている中で弱々しく崩れ落ちた。
「はぁ……っ! また生き残れたか……!」
「まだ気を抜かないでください!」
「っ、そうだな。悪い朝霧隊長……!」
「でも――良い働きでしたハウンド隊員。」
「――! ハハッ! お褒めに預かり恐縮ですよッ!」
立ち上がろうとする魔人の核に弾丸を撃ち込み、
ハウンドは嬉々として朝霧の背中を守る。
そうして視界の最悪な周囲を警戒しながら、
新たにリーヌス、グレン、ドレイクを機内に乗せた。
これで回収済みの生存者はハウンドを含めて合計六名。
(よし! この調子でどんどん生存者の回収を!)
そんな事を考えながら
輸送機と朝霧が再び空へと昇った、
その時――
「「――ッ!?」」
肌を刺すような不気味な気配が魔法使いを刺激する。
直後に彼らが目にしたのは紫色の光の柱。
砂嵐に覆われた海上都市の更に外周を囲むように、
都市内部の中央電波塔と海岸の数ヶ所から、
異様な気配を放つ複数本の光柱が出現していく。
砂嵐越しでも確認出来るほど強い光を放つそれは、
やがて空中で湾曲し電波塔から伸びる一本と接触した。
その光景はさながら――鳥を閉じ込める鉄の檻。
「都市防衛システム『ロキ』、起動。」




