偽典:序文
迷走した。
迷走し、迷走し、
迷走に迷走を重ねて、
――やはり迷走していた。
やりたい事はあった。やるべき事も見えていた。
そのはずなのにやっているのは別の事だった。
したい、すべき、しているの三つは際限なく乖離し、
ふとした瞬間「何をしているんだ?」と現実に連れ戻す。
だがそれでも迷走の手は止まらず、
遂には致命的なタイムリミットの方がやって来る。
そして「あんな無駄な時間させ過ごさなければ」と、
激しい後悔の念が過去の自分を容易く殺す。
そうして亡者は狂ったように彷徨い続ける。
ドン底のような冥府を、今日も、今日も、今日も。
人生という名の正典が幕を引く、その時まで。
――四日前・レヴェナント――
「人工心臓は造れないのか、って?」
差し出された問いを復唱し、
フロルは椅子を回転させて相手の顔を凝視する。
同室していた者の正体は朝霧桃香。
まるで医者から診察結果を聞く患者のように
彼女は両膝に拳を乗せて神妙な面持ちをしていた。
やがてそんな彼女の心情を察したアンドロイドの少女は、
人間のような溜め息を漏らして回答を述べる。
「造れるよ。ただの人工心臓ならね。」
「――! それなら!」
「でもそれじゃお兄様の延命は出来ない。」
「っ!?」
「『不朽の心臓』じゃなきゃダメなの。」
六年前のあの日、森泉ショウの肉体は死んだ。
今は魔女ソフィアが与えた不朽の心臓によって
擬似的に生かされている状態だという。
故にただの人工心臓では彼の延命は叶わない。
死体を動かすには、ただの電池では出力不足なのだ。
「……不朽の心臓は造れないの?」
「原初の魔女の最高傑作だよ?」
「そうだよね。無理、だよね……」
「まぁお兄様の体に現物があるから
ぶっちゃけ模造だけならヨユーなんだけどね。」
「出来るの!?」
朝霧は驚愕と歓喜が入り混じった声を上げて、
椅子を蹴飛ばし立ち上がる。
しかしそんな彼女の期待に対して
フロルは申し訳無さそうな表情で返答した。
「けど炉心に使う一番大事な素材が足りない。」
「え?」
「赤蛇の悪魔……サマエルだよ。」
その言葉で朝霧は全てを理解した。
サマエルの消失によって壊れた心臓は
かの悪魔を再召喚しなければ直せないのだ。
あのサタンと同一視される、大悪魔を。
「……悪魔の召喚には何が必要なの?」
「人間の生き血、人数換算でざっと五千人分かな?
けど一回でサマエルが呼べるかはマジ運次第。」
「サマエル以外が来る事も?」
「そゆこと。サマエル曰く『ルシファー殿は対話可能。
ベリアル殿や魔王サタンが来たら悲惨』だってさ。」
「……っ。」
一回召喚するだけでも五千の生贄が必要。
しかもサマエル以外の悪魔が喚ばれた場合は、
その悪魔を処理してまた再試行する必要がある。
大悪魔クラスの処理と、都度要求される五千の生贄。
流石にリスクとコストが大き過ぎる。
「で、でも! 召喚さえ出来れば助かるんだよね!?」
「モカち?」
眉をひそめるフロルに気付かず、
朝霧は声を震わせ口を動かした。
「リスクとコストが大変なのは分かったけど、
そこさえどうにかなれば彼の延命は出来るんだよね!?
大悪魔の召喚が複数回行える代替エネルギーと、
サマエル以外を処理出来るシステムさえ揃えば――!」
「モカち。」
少女は朝霧の言葉を遮り告げた。
「人はそれを『出来ない』って言うんだよ。」
「……え?」
「そりゃあさ? 必要な物が揃えば何だって造れるよ?
でも揃わないんだよ。だから『出来ない』んだよ。」
「っ……!」
金があれば、時間があれば、技術があれば。
必要な物が揃っていれば『出来る』のは当たり前。
しかし実際には都合良く揃えられない。
だから人はその状態を指して『出来ない』と呼ぶ。
そんな当然の事すら分からなくなっていたのだと、
フロルの指摘によって朝霧は気付かされた。
やがて彼女はゆっくりと崩れていく顔を覆い、
椅子の上で肩を震わせ泣き続けた。
これが四日前の出来事。
彼とのデートを前日に控えた夜の話。
――現在・領主邸書斎――
キアラの公演を見届けた朝霧たちは、
その足で再びデガルタンス領主邸に赴く。
領主クロノから呼び出されたからだ。
「まずは二人ともお疲れ様でした。
ゲルズランドの誘拐犯たちは全員捕縛済みです。」
「トリシアも?」
「≪抜釘≫ですか……残念ながら彼女は手遅れでした。
我々が見つけた時には既に中毒死していました。」
曰く、頭部の破裂した死体が
ゲルズランドの倉庫内で発見されたらしい。
薬物の影響が過度に進行した場合に診られる、
最も凶悪な禁断症状だという。
朝霧はそんな彼女の死に様を想像し、
敵とはいえ思わず顔を歪ませてしまった。
そんな彼女の横顔を見つめながら、
ショウは前々から気になっていた疑問を投げ掛ける。
「そういえばクロノ。一つ聞いてもいいか?
何故アンタは麻薬密売組織を追っていた?」
「領主ですから。」
「それだけじゃないんだろ?
一連の事件、いくら何でも領主自ら前に出過ぎだ。
何か特別な理由があるんじゃないのか?」
「ふむ……」
クロノは顎に手を当て二人から視線を外す。
そしてそのまま彼は書斎の棚に目を向けた。
例の写真立てが伏せられた棚の上を。
「私には妻と娘がいました。
何を犠牲にしてでも守りたかった、そんな家族が。」
クロノは悲しげな笑みを浮かべて語り始めた。
曰く、当時の彼は大変な親バカで、
娘のお願いは全て領主の権力で叶えていたそうだ。
その一つが――『ゲルズランド』。
娘の名を冠した娘のためのテーマパークだった。
しかしこのアミューズメントパークは
麻薬密売組織の取引現場として悪用された。
領主が道楽のために作った施設の警備は甘く、
ゲルズランドは薬物売買の温床と化していた。
そして遂にはその毒牙がクロノの家族にまで迄ぶ。
取引を目撃した妻がクスリ漬けにされてしまったのだ。
狂った妻は娘を絞め殺し、正気に戻って自殺した。
この事件によってゲルズランドは封鎖。
クロノは麻薬のせいで一番大切だった宝物を失った。
「「っ……!」」
あまりにも悲惨な過去に朝霧たちは閉口する。
だがクロノは湧き出る想いを語り続けた。
「その日以来、私は復讐のために尽力しました。
魔法連邦の地下闘技場をデガルタンスに誘致し、
闇社会との繋がりも得て力と情報を蓄えた。」
決してそれは善なる行いでは無い。
しかし同情出来ると朝霧は心の奥底で思う。
(クロノさんはおよそ悪人。でもその動機は……)
「とにかく! 今日はとてもスカッとしました!
積年の恨みを少しは晴らせたような気がします!」
「まだだろ。まだ組織の大本は潰せていないぞ?」
「あぁ……はは、まぁそうですね。」
渇いた笑みを漏らしながらクロノは呟く。
そして頬杖を突きながら窓の外を眺めると、
彼は諦観にも似た吐息を漏らして吐き捨てた。
「敵はもう表に出て来ないでしょうけどね。」
「……!」
「私もしばらくは沈黙するつもりです。
お二人はどうしますか、朝霧隊長と黒幕さん?」
「な!? 気付いてたんですか!?」
驚く朝霧たちに対して
クロノは微笑みながら「当然です」と答えた。
そしてデスクに仕掛けられた装置を作動させると、
彼は隠し戸棚の中にあった資料を二人に差し出した。
「麻薬密売組織――『天獄』。これが敵の名前です。」
――ミョンドルド広場――
領主邸を後にして二人は夕刻の街中に戻っていた。
特にショウは広場へと繋がる階段に腰を落とすと、
クロノから貰った『天獄』の資料に目を通していた。
しかしどうやら目星しい新情報は無かったようで、
彼はすぐに溜め息を漏らして天を仰いでいた。
(今日でショウ君は六日目……でも収穫は……)
背後から彼の様子をジッと眺めて、
朝霧は唇を僅かに歪ませた。
そして手に持った冷たいジュースの缶を、
ショウの頬にそっと触れさせる。
「ん? お帰り桃香。」
(あぁやっぱり……そうなんだね?)
何かを悟り朝霧は悲しい表情を見せる。
しかしショウはその事に気付かず、
今日の残りはどう過ごすのかの相談を始めた。
まだ夕刻になったばかりで活動も可能。
であればやはり天獄の調査を続けていきたい。
――きっと彼はそう思っているのだろう。
朝霧はショウの思考を正しく理解していた。
しかしその上で、彼女は己のやりたい事を優先する。
「お寿司。食べに行きませんか?」
「え?」
「食べたかったんですよね、お寿司?
それに『今度二人で』って私も言いましたよね?」
「あ、あぁ。」
予想外の提案をされてショウは目を丸くしていた。
しかしそんな彼を半ば強引に引っ張る形で、
朝霧は彼の腕を掴んで移動を開始する。
「そういえば、何でお寿司が良かったんです?」
「ん? あぁ、寿司というかワサビだな。
あれなら俺も少しは『食べてる感』を感じて――」
「……。」
「あ、いや! 今のはそのっ!」
「大丈夫っ……大丈夫だよ、ショウ君!」
朝霧は隣を歩くショウの腕に抱き付く。
体を押し当て、肩に頭を乗せるその態度に、
ショウはようやく彼女が何をしたいのかを理解した。
そしてもう一度、彼は数秒前の質問を繰り返す。
「桃香……残りはどうする?」
「一緒にいましょ。今夜も……明日も……」
やりたい事はあった。やるべき事も見えていた。
しかしそれらは致命的なまでに乖離していた。
だからせめて、やっている事だけは合わせたい。
そんな想いを胸に乗せてショウは恋人に顔を向ける。
夕日を背に暗く染まったその口元に笑みを添えて――
「ああ。一緒にいよう。」
――そうして六日目も終わりを迎える。
明日は遂に『不朽の心臓』が停止する七日目。
しかし迷走を続けた彼らの手に成果は一つも無く、
人生という名の正典がもうじき幕を引く。
故に、ここから先は偽典の書。
終焉へと旅立つ者を見送る偽りの福音。
亡者は狂ったように今日も冥府を彷徨うだろう。




